第15話
歩いているうちにも、夜の闇と森に立ち込める妖気は濃くなっていく。
何度か宵闇の襲撃を受けたが、それも暫く前から止んでいる。人数など数えていなかったが、ほとんど片付いたのかもしれない。
「圭、少しばかり聞いておきたいんだが……」
少し前を歩いていた風狼斎が、不意に口を開いた。
「向こうで、当主殿と共に出陣したことはあるか?」
「は。何度か」
御三家にはそれぞれ守護を担当する領域が存在する。国境線を含む広範囲を守る天狼は最大兵力を誇り、当主自らが最前線で指揮を執ることも多い。
それ故に、天狼当主は他の武家や貴族から敬意を込めて「御三家筆頭」と称される。当主の盾となる護衛部隊も跡目争いの暗殺合戦に引き続き、実戦経験には事欠かない。
「……当主殿がお前の目の前で刀を抜いたことは?」
「ございません。お館様のお傍まで敵を近づけるなど、あってはなりません故」
「……それは、班の他の連中もか?」
「おそらく……。お館様のご出陣及びご外遊には我々護衛部隊も同行しますが、自分が知る限り、お館様御自ら刀を手に戦われたことはなかったはずです」
「そうか……、わかった……」
それきり黙り込み、風狼斎は思案するような顔で歩いていく。
何か気に障ったのかと不安になるが、霊気は穏やかだ。
先ほどの言動といい、護衛部隊のことを知りたかっただけなのかもしれない。
(……よくよく考えれば、あの風狼斎様の戦いを間近で拝することができるかもしれんということではないのか……?)
今更ながら気づき、急に心が躍った。
向こうで風狼斎と顔を合わせることができるのは、御三家や大貴族の当主、皇帝や皇族のみ。一介の護衛部隊員などと、式典で遠目に姿を拝するのが関の山だ。
唯一、近くで姿を目にすることができる機会があるとすれば戦場だが、風狼斎が出陣するのは、先の戦のような特殊な場合を除き、敗戦の色が濃くなった厳しい局面だ。最前線で指揮を執る天狼当主を守る護衛部隊は風狼斎が戦場に降り立った時には、ほぼ全滅している。
護衛部隊員である以上、完全に諦めていたが、今夜、このまま妖獣との戦いになれば、伝承や戦記の一頁を垣間見ることが叶うのでは――?
(いや、いかん……。風狼斎様に妖獣を近づけるなどとあってはならんこと……。御傍に控える以上、あの御方に刃を抜かせるわけには……、だ、だが、少しくらいは……、)
圭吾が護衛部隊員にあるまじき葛藤をしている間にも、風狼斎は野鳥でも探しているように木々を見上げながら暢気に歩いている。
あんなに供を嫌がっていたわりには、これといって不具合がある様子はない。他者がいると気が散るというわけでもなさそうだ。
(しかし、解せん……。何故、あれほどまで戦場に護衛を連れていくのを嫌がられるのだ……? 俺達があの御方の御不興を買ったわけでもないようなのに……)
今回の護衛の話は、天狼当主から風狼斎に持ちかけた話だと聞いている。
当初、風狼斎は断っていたが、最終的には天狼当主の顔を立てて了承したという。
そんな経緯を知っていただけに、最初の頃は疎ましがられているのではないかと圭吾でさえ危惧していたし、他の班員達も猛獣に接するように緊張していた。
しかし、屋敷で顔を合わせれば向こうから声をかけてくれるし、ふらりと出かけた時は班員全員に山菜や果実の土産を持って帰ってきたりする。そういう性分なのかもしれないが、少なくとも嫌われているわけではないはずだ。
寧々が言うように、自分だけが煩くて嫌われている可能性もないわけではないが、それならば他の班員を戦場に連れて行くだろう。
(……属性のせい……? いや、それならば、劾修は土属性だ。関係ないか……)
圭吾を始め、護衛は金属性の者を中心に選ばれた。
金属性が苦手な風狼斎を金属性の刺客や暗殺の刃から守る為だと、当主直々に理由を説明してくれたので、よく覚えている。
事実、金属性同士ならば相手の存在に気づきやすく、金属の刃の気配も知覚しやすいので、よくわかる。
もう一つ、理由があると聞いているが、こちらは今一つ理解できない。
「なあ、圭。このあたりに銀狐の里があったのは知ってるか?」
おもむろに切り出された話題に思考を中断した。
「は。現在は更に山奥に移転したと聞いておりますが……」
「その通りだ。里の移転理由までは把握してるか?」
隠れ里が移転する理由は様々だが、一番多いのは妖変だ。里の大部分が妖気で穢されてしまうと、浄化を諦めて里を閉ざし、他の地に里を移す。
だが、この付近にあったという銀狐の里は妖変が原因ではない。
「人の世の穢れが流れ込み、不調の者が続出した為だと……。それ故、里は閉ざさず、里が担っていた役割ごと、奥羽が引き継いだ、と記録にありましたが……」
「よく知ってたな。ちゃんと他所の山のことも情報収集してるんじゃねェか」
立ち止まり、風狼斎は笑みを浮かべた。
「いつ、自分が出撃することになるかわかりません故」
「さすがだな。護衛部隊員は真面目だって聞いてたが、お前といい他の連中といい、噂以上に勉強熱心だよな」
「は……。ありがとうございます……」
誇らしいと同時に一抹の寂しさが沸き上がった。
自分達が情報収集に励むのは、生き残る為だ。些細な情報を逃したが為に、次の日の朝陽を拝めないこともある。護衛部隊においては、情報の取得はそのまま自らの生死に直結してしまうのだ。
(現に来てからは、夢のような日々だな……)
腑抜けたとは思わないが、向こうに戻れば、また死と隣り合わせの日々が待っているのだと思うと、憂鬱な気分になる。
「おそらく、この妖変の発生源は里の跡地だ。霊狐は里を拓く時、結界の上から幾重も術をかけて守る。移転理由を考えると、守りの術ごと引き継がれた可能性が高いが……、この様子じゃ、術式が妖気で暴走しちまってるな」
「術式が妖気に……」
里を守る術式そのものに妖気が作用して暴走する――、霊狐のように術を得意とする霊獣の隠れ里で時折起こる現象だ。
妖獣によって引き起こされたものなのか、偶然、起きているのかで対処法はかなり異なる。それでも、ここまで強力な暴走は、圭吾が知る限り前代未聞だ。
「では、班長は、今回の妖変は術式の暴走とお考えですか?」
「いや、本体は別にいる」
碧の瞳が森の木々を映した。
思わず周りを見渡すが、妖気と鬱蒼とした森が広がるばかり。他に何も見えない。
だが、この青年には「妖獣」の姿が見えている――、そんな気がした。
「ひとまず、霊域そのものが妖獣化してるようなものだと思っておけばいい。戦いになったら、霊刃はあまり撃つなよ」
「何故ですか?」
「幻術にやられてた時、背後から襲った霊刃があっただろ? あれは妖獣が撃ったんじゃねェ。お前が放った
「自分の刃を……。そんな術式が……」
思い返せば、あの時、背後から襲った刃は白かった。
そんな基本的な事すら見落とすほど、冷静さを欠いていたのだろう。
「奥羽近くの里の話は鞍馬にはあんまり入ってこねェから、オレも詳しくはねェが……、さっきから視てる感じだと、ここは――」
周りで妖気が膨れた。
咄嗟に地面に刀を突き立て、霊気を込める。
前後左右から飛来した灰色の刃が、圭吾と風狼斎を包むように巡らされた白い半円の防御幕に弾かれて地面に落ちていく。
幕に触れた妖気が刀を通じて手に伝わった。
(この妖気……?)
あることに気づき、戦慄が走った。
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