第10話
黒装束の青年が音もなく着地した。握られた抜き身の刀から立ち上る青い霊気は妖気に濁ってはいない。
(こいつも宵闇……、霊格は先程の男と同じくらいだが……)
圭吾の剣を難なく防いだことといい、宵闇の中でも実力者だ。この男も壱ノ班の班員なのだろうが、先ほどの青年と異なり、目には意思がない。人形のように虚ろな目は、術に囚われた者の特徴だ。
しかし、圭吾をして眼を見張らせたのは、二人目の宵闇の襲撃ではなく、男の背後に姿を現した黒衣の集団だった。
(あの目……、後ろの連中も、術に堕ちているな……)
数は二十を下らない。霊格は目の前の宵闇と同程度といったところか。
隙の無い構えといい、全員がかなりの使い手――、精鋭班だろう。
(まさか……、壱ノ班、弐ノ班全員が術に……?)
一介の妖獣が宵闇の精鋭班を丸ごと術に嵌めた挙げ句、自在に操るなどと……、俄に信じがたい。しかし、そうだとすれば、あの功刀が背後から無抵抗で斬られたのも、先程の宵闇の言葉も説明がつく。
(なるほど……。あの男、腕はなかったが、なかなかの忠義ではないか……)
あの宵闇は術が浅かったのだろう。
部下に不意打ちされた功刀を隔離し、操られた仲間達の襲撃から一人で守っていたに違いない。この状況下では、功刀を見捨てて霊山に戻り、危機を知らせるのが最良の判断だ。壱ノ班の宵闇ならば、そのくらいわかっていただろう。それでも、あの宵闇は自らの指揮役を守る道を選んだということだ。
宵闇としては誤った判断だが、圭吾としては好ましい。
(術に堕ちた傀儡とはいえ、壱ノ班、弐ノ班を一度に相手か……。いいだろう。相手にとって不足はない……)
御三家とその分家の者は特に強い霊風を帯びている。
一対多数の場合、風術が最も有効だ。しかし、この深い森の中では風の力は半減し、速度も鈍る。木々を縫って動き回る宵闇の動きを封じるのには向かない。
――不運な奴らだ……
静かに構えた刃が白く灯った。
「妖獣が……、今度こそ仕留めてくれる……」
指揮役らしい男の言葉に、宵闇達が一斉に攻撃態勢を取った。統率のとれた動きに、軽く感心する。
「今度こそ」ということは、圭吾の前に何人か「仲間」を葬ったのだろう。正気に戻った時、度しがたい後悔に苛まれるだろうが、知ったことではない。
指揮役が刀を振り下ろすと同時に、黒い影が四方八方から躍りかかった。
“我が気よ、刃を成せ……”
刀身から生まれた白い光が圭吾の周りに散った。前後左右、頭上で白い光が短刀に姿を変える。
三十を超える白い刃が獰猛な獣の眼のようにギラリと光った。
“貫け”
白刃が空を切った。
周囲で絶叫と血飛沫が上がる。
ある者は胸を射抜かれ、ある者は脚を切り裂かれ、ある者は腹を貫通され――、草の生い茂る地面に転がった。瞬く内に、あたりは血の臭いと苦悶の声が溢れる地獄絵図へと変わった。
「なっ、化け物が……! よくも部下達を……!」
怒りに顔を歪ませた指揮役の男が地を蹴るよりも、踏み込んだ圭吾が腹を薙ぐほうが速かった。
「がっ!?」
腹から血を流しながらも霊符を手にする男の顔面を掴み、後ろの木の幹に押しつける。鈍い音と共に、男の頭が半ば木にのめり込んだ。
“鉄蛇よ、縛れ”
腕から伸びた霊気が姿を変えた。鋼鉄の蛇が男を締め上げ木の幹に拘束する。
口から大量の血反吐を吐いたのを最後に、男は動かなくなった。
“鉄蛇よ”
圭吾の両腕から散った白い霊気が鉄の蛇となり、地面に転がっている宵闇達を情け容赦なく締め上げて拘束する。大蛇と同等の圧力に耐えられなかった宵闇達が次々に意識を手放した。
「よ……、よくも班長を……ひっ!?」
意識を失うに至らず、喚く男の顔すれすれに刃を突き立てた。頬にできた赤い筋から血を流し、男は顔を強張らせた。
「これでも解けんか……。やむを得ん」
――全員、
霊気を高めようとした眼前に、ひらりと一枚の葉が舞った。
微かな木の匂いと瑞々しい葉の緑に、放たれようとした白刃が霧散する。
(……何を迷うことがある……? 宵闇の回復力は侮れん……、天狗道に送るのが最も確実な手ではないか……)
完全無力化のほうが効率がいいのはわかりきっている。術に堕ち、自らの指揮役を斬っただけでは飽き足らず、集団でしかけてきたのはコイツらだ。万全を期して皆殺しにしたところで、圭吾に非はない。だが……。
――コイツらを殺したところで……、班長は喜んでくださらんだろうな……
向こうでならば、術に侵されていようが酌量の余地はない。護衛部隊に刃を向けた時点で、当主への反逆となり、即座に斬り捨てる他、選択肢はない。
だが、ここは現だ。この場での主、風狼斎の意向を優先しても良いだろう。
「……命拾いしたな」
手を離れた青龍の符が、もがいていた者達を眠りに堕としていく。
やはり生温いことこの上ないように感じるが、これが風狼斎の望みのはずだと、自らに言い聞かせる。
昏睡している宵闇達を勾陣で隔離し、周りを見渡した。
変わらず、森の中は鬱蒼としていて妖気がどこからともなく漂ってくる。
妖獣が健在な証だ。
(思ったよりも面倒な妖変らしいが……、良くないな……)
見上げても頭上の木々は妖気の霧がかかっていて空の色を隠している。
刃守を発った時、既に陽が傾き始めていたから、そろそろ夕刻。じきに逢魔が刻だろう。
――確か……、逢魔が刻には戻ると仰っていた……
すぐに戻るつもりでいたから、書置もなく出てきている。何の連絡もなく圭吾が戻らないとなると、風狼斎もさすがに不審に思うだろう。さらに遅くなれば、近江から戻った戒が無邪気に事の顛末を話すに違いない。
そんなことになれば、こっそりと刃守に様子を見に行ったこともバレて……。
(いかん……。いかんぞ……)
主君の言動を信じられずに行動を監視するような真似をするなどと――。
たとえ、主の身を案じたが故の行為だったとしても配下として恥ずべき行いだ。
風狼斎は咎めるような真似はしないだろうが、心証は良くないはず。あまつさえ、他の班員、特に寧々あたりに知られるようなことになれば――。
ぶわりと嫌な汗が噴き出した。
(班長……っ)
いい加減なようでいて、風狼斎は自分の言葉は律義に守る。
以前は帰りの道中で珍しいものに興味を引かれて遅くなる時もあったが、近頃は目新しいものがないのか、寄り道もしなくなり、かなり正確に戻ってくる。
だが、今日ばかりは――。
(どこぞの山中で珍しい薬草に心を奪われていようが、山奥の廃城で木霊に囲まれて月見をしていようが、今宵に限っては何も申しません……! ですから、どうか……! どうか……! どこか安全な場にて物見遊山を……!!)
今度からは多少の寄り道は何も言うまいと心に強く誓い、妖気が濃くなる奥へと駆ける。
木々が深くなるにつれ、霧は色を濃くし、ついには前後左右が灰色に覆われた。近づく妖気の塊に立ち止まった。
(ようやく出てきたか……。即座に終わらせてくれる……)
靄の向こう――、正面に気配が生まれた。
人影が浮かぶなり、刃を振り下ろす。肉を斬る手応えが伝わり、血の臭いが舞った。
だが、人影は倒れない。
止めを刺そうと踏み込んだ先で霧が晴れた。
(な……に……?)
そこに佇む人物に凍りつく。
見開かれた緑の瞳が、恨めしげにこちらを見た。
「圭……吾……っ」
肩から鮮血を流した男は自らの刀で体を支えるようにして踏み止まった。
蒼白の面に張りついた黒髪は血で汚れ、青ざめた唇から大量の血が溢れ出した。
「おま……え……、なぜ……」
呪縛を受けたように体が強張り、刀を持つ手がカタカタと震え出した。
「兄……、上……?」
呆然と呟くと、腹に重い衝撃が走った。
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