第9話

 妖気が動いた。

 ――来たか……!

 振り下ろされた銀の光をかわし、刃を振るった。

 切り落とされた刀身が転がり、黒い影が地面に降り立った。

(こいつは……)

 意外な「妖獣」の姿に、圭吾は眉をひそめた。

 中ほどから折れた刀を構え、敵意も露に睨みつけてくる青年は、圭吾が纏っているものと似た黒装束を纏っている。

「宵闇……?」

 近づいてきたのは妖気だったはずだ。

 しかし、目の前にいる青年は、どう見ても妖獣には見えない。

「退け……! 我々が戦う理由などない……!」

 鋭く告げた青年の手で、折れた刀身が白く光って伸びた。刀の再生は金属性の高等術の一つだ。まずまずの能力の持ち主といっていいだろう。

(あれは霊気……。やはり、先程の妖気はこの男が放出したものではないな……)

 繰り出される刃を受け流しながら、しげしげと相手を観察する。

(あの眼……、妖眼ようがんではない……。剣の腕は並といったところか……)

 妖獣は、暗く光る妖眼と呼ばれる赤い眼が特徴だ。そして、この単調な攻撃――、

(幻術?)

 青年は鬼気迫る顔で刃を振るい続けているが、眼は眼前にいる圭吾ではなく、別の何かを映している。

 何者かに操られているというよりは、術にかかって幻覚を見ているように見える。幻を見せて同士討ちを誘う――、幻術の代表的な攻撃だ。

(幻術を操る妖獣か……。面倒な……)

 金属性が多い天狼は、刀や槍を使っての接近戦を得意とする者が多い。遠距離攻撃を得意とする幻術使いは相性が悪い相手だ。

 決死の形相で突っ込んできた青年を軽くかわし、脇腹を切り裂いた。

 幻術が効いている間は、何を言っても無駄だ。この青年には圭吾が妖獣に見えていて、言葉は妖獣が喚いているようにしか聞こえない。

「き、貴様ぁ……! 目を覚ませ……! 何をやっているか、わかっているのか!?」

 悲痛な声で叫び、青年は腹から血を流しながら尚も向かってくる。

 痛みで解けるような生易しい術ではないらしい。

(やむを得ん。斬るか)

 霊体ではなく器である肉体を。

 肉体が死ねば、天狗は現に留まることができず、天狗道に引きずり込まれる。つまり、一時的な死が訪れる。

「妖変の折だ。悪く思うな」

 圭吾の霊気を吸い上げ、刃が白い光を放った。

 怯んだ表情を浮かべながらも、青年は己を奮い立たせるように刀を構えた。

「妖獣の術に嵌り、班長に刃を向けるとは……! 奥羽の宵闇として、恥を知れ……!」

「その言葉、返してやろう」

 軽く地を蹴った。 

 青年が反応するよりも早く踏み込み、刃を振るう。

「…………え……?」

 呆気にとられた様子の青年の口と腹から大量の血が噴き出した。

 倒れ伏した青年の後ろで空間が揺れ、景色が変わる。

(結界……? こいつが張っていたのか?)

 木の根元に誰かが横たわっている。

 知ってる顔だが、意外な人物だ。

(あれは壱ノ班の……)

 奥羽一の精鋭班の班長を務める功刀だ。何度か話をしたことがある。

 どこか風狼斎を思わせる大らかな人柄で部下達から随分と慕われていた。

 足元でうめき声がした。

 先程の青年が鬼のような形相で上体を起こしていた。

「……行か……、せん……、ぞ……」

 血まみれの手が折れた刀を掴んだが、そこまでだった。

 手が滑り落ち、倒れた青年の周りの草が真っ赤に染まる。命が途絶えた体から霊体が抜けて浮き上がり、風が渦巻いた。

「……現に戻った暁には腕を磨くのだな。意気込みだけでは、敵は倒れてくれん」

 風は霊体を呑み込み、空へと舞い上がった。天狗道に還ったのだろう。

(……敵の術に落ちた挙句、守るべき者を守りきれず倒れるとは……、宵闇としても、配下としても未熟……。だが……、)

 ――最後の瞬間まで、己に悔いはなかっただろう……

 同じ戦場を駆け、同じ敵と戦う。宵闇の班は、どの霊山も同じだ。

 指揮役と部下が固い絆で結ばれ、背中を守り合っている。

 加勢に入った現場で、主従の立場を超えて傷だらけで庇い合う姿を何度も見てきた。

 同じ主従でも自分達とは随分と違う。

 同じ詰所にいて、同じ屋敷に暮らして、毎日のように顔を合わせているというのに、主とまともに話したことはない。

 日々の雑務の指示はもらえても、肝心の役目の相談などされたこともない。

 護衛だというのに妖変の場に入れてもらったこともなければ、遠出の供すら許してもらえない。

 風狼斎が危機に陥った時、自分は、あの宵闇のようになりふり構わずに守れるのだろうか?

 だが、仮に守ったとしても、それは風狼斎の意思に背く行為でしかない。命に代えてでも主を護ることを至上とし、主の為に命を捨てることを最大の美徳と考える圭吾達に、自身の危機を見捨ててでも生き残れと命じたのだから。

(いったい、俺は何のためにここにいるのだろうな……)

 天狼当主から命じられたのは、風狼斎の護衛と役目の補佐だ。

 なのに、護衛としても、補佐役としても、自分は全く役目を果たせていない。

 この役目を命じられた時、その役目の重さに震えた。だが、それ以上に誇らしかった。「戦神」とまで称される風狼斎の傍近くに仕えることは武家の者にとって最高の誉れだ。喜んで盾となり剣となるつもりでいたのに……。


 ――いや……、違うな……


 自嘲が浮かんだ。

 では、「主」は雲の上の存在だった。

 天狼の当主は遥か高みにいて、自分達はただ見上げるばかり。当主を補佐するのは参謀や重臣の役目であり、護衛部隊は隊長の指示通りに動き、主を守る為だけに刀を抜いていればよかった。

 主は絶対者であり、個人的に顔を合わせることもなければ、声をかけてもらえることもない。当主を庇い負傷したとしても労いなどなく、命を落とせば亡骸は塵のように実家に送り返されるだけ。それが、護衛部隊の「普通」であり、「日常」だ。

 主君と共に戦場を駆けたい、などと……。願うこと自体が軽蔑すべき愚であり、主君に刀を抜かせるのは最も恥ずべきことだった。

 自分達は主の剣であり盾。主を護れさえすれば、それでいい。剣や盾に意志も心も要らないのだから。

 なのに――、この現に来てから、風狼斎と楽し気に話す班員達に焦燥を覚えるばかりか、他の主従が羨ましく思えるようになった。

(……俺も……、分不相応なことを考えるようになったものだな……)

 仮の主君とはいえ、自分の存在を認めてもらいたいなどと――。

 きっと、風狼斎が自分達のような者と同じ場所まで降りてきてくれるから、そんな不毛な希望を抱いてしまうのだ。

 憂鬱な気分で息を吐いた。

(今、考えることではないな……)

 とりあえず、功刀を手当てせねばならない。話せるようならば、この異常な妖変のことが何かわかるかもしれない。

「功刀殿。生きておられるか?」

 霊気を込めた手で軽く頬を叩いてみても反応がない。

 背中から酷く出血していて顔は青ざめ、意識はない。危険な状態だ。

(刀傷……?)

 背中を縦断するほどの大きな裂傷は、刀で斬りつけられたものだ。霊符が張られているが、随分と光が弱く、傷口から妖気がうっすらと立ち上っている。

(……六合が効いていない……?)

 功刀を「班長」と呼んだということは、あの青年は壱ノ班の宵闇のはず。宿す破邪も強く、六合の符から強力な浄化の力を引き出せるはずだというのに――。

(何らかの力が霊符の力を削いでいるということか……?)

 発動させてみた六合と天一の符は、圭吾の指先で普段と変わらない青い光を放っている。この森に原因があるわけではないらしい。

 背中の傷に霊符を重ね、勾陣の符を放つ。黄の光が再び功刀を隔離するのを見送り、再び歩き始めた。

(助からんかもしれんな……)

 あの深手では妖変が終わるまで息があるかどうか――、かなり厳しいだろう。

(それにしても妙だ……)

 功刀は奥羽の宵闇でも頭抜けた戦闘力を持っている。

 それが、こんな霊山近くの、己の庭も同然の森の中で後ろを取られたというのだろうか。

(……功刀が出撃するほどの妖変ならば、壱ノ班を伴っていたはず。我が班長ならばともかく、指揮役が単独行動をしていたとは思えんが……)

 通常、宵闇は単騎で出撃するが、凶悪な妖獣の場合は指揮役が班を率いて出撃し、集団戦を行う。

 攻撃された時、おそらく功刀の周りには壱ノ班の部下達がいたはずだ。壱ノ班は十人ほどの精鋭班。全員が臨戦態勢に入る中、指揮役に近づく者がいれば、一人くらいは気づくはず――。

 それに、あの刀傷。肩から腰にかけてを綺麗に斬っている。

 功刀ほどの使い手が、やすやすと後ろを取られた挙句、一切の回避行動をとる間もなく斬られたということになる。不意打ちだとしても、どうやって周りにいる部下の囲みを抜けて近づいたというのだろう?

「……おかしなことを言っていたか……」

 先程の宵闇の言葉が、やけに思い出された。

 幻術に嵌った者の戯言だろうと気に留めなかったが、よくよく考えれば不自然だ。

 妖獣に向けて放ったというよりは、どちらかといえば、仲間に呼びかけていたような……。

 背後で気配が動いた。

 振り返りざまに薙いだ刃に硬い手ごたえが返る。

(なに……?)

 攻撃者の姿に、軽く目を見張った。

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