第43話♮ やっと心を救われた少年の帰りを待っているレストラン





 俺は、驚きで言葉を失っていた。

 それでなくとも、口を塞がれてしまっているので言葉を発することは出来ないのだが……


 そっと、ポニーの顔が俺の顔から遠ざかる。

 真っ赤な顔で俺を見つめてから、恥ずかしそうに目を逸らすポニー。


 そんな彼女に、何か言葉をかけようとしたけれど、上手く言葉が出てこない。


 ポニーの言っていたことは、多分すべて正しいのだと思う。


 言われて思い返せば、俺は気付いていたのだ。

 深山の気持ちも、藍澤さんの気持ちも、店長の気持ちも、ポニーの気持ちも……

 彼女達が俺のことを本気で思って、想いを寄せてくれていることに。

 俺は、そんな彼女たちの真っ直ぐな気持ちから目を逸らして、気付かないふりを続けて来ていたのだ。

 その理由は、ポニーの言った通りだ。

 

 俺は怖かったのだ。

 大好きだった姉さんが、大切に思っていた家族がこの世から消えてしまってから、俺は自分の中に特別な存在を持つことが怖くなってしまっていたのだ。

 だって、またあの夏のように失ったら、俺はもうきっと立ち上がることが出来ないから。

 あのときだって、姉さんの起こしてくれた奇跡で何とか立ち上がったのだ。

 でも、もう姉さんはいない。

 もう、俺を助けてくれる誰かは存在しないのだ。

 だから、特別な存在を作らないようにして生きて来たんだ。

 そうしようと思ったことは一度もない。

 でも、ポニーに指摘されて腑に落ちてしまった。

 自分には相応しくないとか、自分なんてそんな風に思われるわけがないとか、勝手に決めつけて、うっすら感じていた彼女達の気持ちを気のせいだと片付けて来た自分に……。


 過去の出来事を乗り越えたなんて言って、俺はずっと引きずっていたんだ……

 姉さん達の死を、大切な誰かを失う悲しみを……

 そして、そうやって俺はきっとこれまで、彼女達を傷付けて来たのだろう。

 彼女達の精一杯の勇気や、真っ直ぐな感情を、俺は全てないものとして切り捨てて来たのだから……。


 そして、小学生のころから、ずっと俺に向けられていた目の前の少女の気持ちも、俺はずっと無視して『親友だ』と言ってごまかしていたのだ。

 それがどれだけ彼女の気持ちを傷付けるかも考えずに、俺は俺の心を守る為に現実から目を背け続けて来たのだ。


 本当に、なんて情けない奴なんだろう。

 俺は自分の情けなさに悲しくなった。


「俺は何て情けない奴なんだろう……

 そんなことを考えてそうな顔をしてますね、神越君」


 ポニーは俺の心を見透かしたようにそう言って、俺の顔を真っ直ぐに見つめた。


「この期に及んで、まだそんなことを考えているなんて……

 本当にそう言うところですよ、神越君?」


 ゆっくりと俺に近付いてくるポニー。

 俺の目の前に来たポニーが不意に手を振り上げた気がして、俺は頬を叩かれるんじゃないかと思って覚悟を決めて目を瞑って身を固くした。

 すると……


 ふわりと、俺の身体を暖かくて柔らかい何かが包み込んだ。


「え?」


 情けない声を漏らす俺。

 そんな俺を、ポニーは優しく抱きしめてくれていた。


「情けないなんて思わないよ、神越君。

 何よりも大切な人たちを一度に失った君が、悲しいのは当たり前だよ。

 そこにいるのが当然の存在を失った君が、臆病になるのは当たり前だよ。

 むしろ、そうやって悲しみや恐怖を押し殺して、

 何でもない顔をして笑ってきた神越君は誰よりもカッコいいと思うよ」

「……ポニー」


 俺の頭の上から、優しく降り注ぐポニーの言葉。

 それは、俺の身体に沁み込んで、そのまま心にも染み渡っていくようだった。


「ただ、神越君のことを大切に思う人たちの気持ちからは逃げないで欲しいんだ。

 もちろん未来のことは誰にも分からないから、

 それを保障することは出来ないけど、

 その人達は簡単に君の前から消えたりしないから。

 その気持ちをないものにしないで欲しいの。みんな君の幸せを望んでるんだよ?」


 胸の奥が熱くなって、目の奥がチリチリと痛んだ。

 鼻の奥がツンとして、噛みしめた唇が自然とわずかに震え出した。


「私も、みんなも、神越君の幸せが二度となくならないように、

 全身全霊をかけて一緒に守るから……

 大丈夫だよ。今度はもう幸せが君の前から消えたりなんてさせないから……

 だから、みんな一緒に幸せになろうよ」


 優しく俺の頭を撫でるポニーの手。

 そこから伝わってくる彼女の優しさが心地よかった。


「私の気持ちを受け止めてくれなくてもいいよ。

 私じゃなくてもいい。

 ただ、誰かを好きだっていう神越君の気持ちを、

 なかったことになんてしないであげて……

 その気持ちは、何よりも大切な気持ちだから……」


 気が付けば、俺はポニーの大きな胸の中で涙を流して泣いていた。

 恥ずかしいから、声は必死に押し殺したけれど……

 涙はどうしたって止まってくれなかった。




 変わらないものなんてない。

 失われないものなんてない。

 だから、そんなものは最初からないと思って生きて来た。


 でも、それはずっとそこにあったんだ。

 変わるかも知れないし、失うかも知れないけれど。

 確かにそこにあって、ずっと俺のことを待っていてくれていたんだ。


「ははは……、お前が俺を幸せにしてくれるのか?」

「うん。

 私で良ければ、神越君のこれからの人生を、

 笑顔と幸福に満ちたものにしてあげるよ。

 私の全身全霊をかけて…… 神越君と一緒に……」

「……そいつは、頼もしいな……」


 俺は、情けない泣き顔をポニーにさらして、そんなバカなことを言って笑った。


「マリヲはクッパの生涯のライバルだけど……

 少し前に流行ったでしょ? 覚えてる? クッパ姫。

 クッパは『クッパ姫』になって、マリヲに幸せにして貰ったって別にいいんだよ?

 物語の結末なんて、私達が好きに決めていいんだよ」


 そんな俺に、ポニーは可愛いその笑顔で楽し気にそう答えてくれた。


「ははは…… 俺が姫か……

 確かに、膝を抱えて助けを待っていた俺は、

 囚われのお姫様とも言えなくないか……」


 自嘲気味に笑う俺の両頬に、ポニーは両手でそっと添えて笑う。


「神越君の気持ちを教えて欲しいな。

 ずっと誤魔化して来た、本当の気持ちを……」


 俺は、その質問にどう答えるか一瞬悩んで、考えることを止めた。

 だって、そんなのもうとっくに決まっていたから。


「……俺は、お前が好きだよ。

 マリヲでもなく、ポニーでもない、

 馬堀万里子って言う可愛い女の子が……

 俺は大好きなんだ」


 俺がそう言うと、ポニーは満面の笑みでこういった。


「うん、知ってる。

 だって私も君のことが大好きだから……」


 いつもの笑顔、俺が好きになった、優しい彼女の笑顔が少しづつ俺の顔に近付いてくる。


「お前は、なんでも知ってるんだな?」

「……ふふふ、何でもじゃないよ。

 知ってることだけしか知らないよ。

 でも、神越君のことはきっとどこの誰よりも知ってると思うよ?」

「……それじゃあ、今俺がどうして欲しいかも知ってるのか?」

「あはは、そんなの簡単だよ……」


 そして、ポニーは、いや、万里子は俺の唇にそっと柔らかい唇を重ねた。


「愛してるよ、神越君、ううん、仭君」


 その唇から、ポニーが俺に寄せてくれる優しい愛情が伝わってくる気がした。


「大丈夫。仭君の幸せは私が絶対守るから。

 ほら、私って丈夫だからさ。きっと仭君より長生きするよ。

 だから、これからずっと、君の隣で君を守り続けるよ。

 君の隣で、君の大好きな笑顔で、君のことをずっと支えていくよ」

「……まるでプロポーズだな?」

「まるでじゃなくて、プロポーズだよ。

 言ったでしょ? 私、しつこい女なんだよ?

 さっきの言葉、もう言質は取ってるから引っ込めさせないからね?」

「はは、ああ。引っ込めるつもりなんてないよ。

 俺もお前が、大好きだからな。

 お前のことを俺は生涯通して守り通すって約束するよ」


 二人で顔を見合わせて笑い合う。

 冗談のような言葉を、お互い本気で言い合いながら。


 そのまま、二つの唇が吸い寄せられるように重なり合う。


 きっと、俺とポニーはこんな感じで、死ぬまで軽いやり取りを続けるのだろう。

 ずっと一緒に、お互い寄り添い合いながら……。







 続く――。

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