第2章 翡翠の墓標

プロローグ


「私……どうなっちゃうんだろう……?」


 暗い石造りの部屋の中。涙混じりの声で少女がつぶやいた。

 どうしてこうなったのだろう──幾度となく疑問を反復させるが、答えはいっこうに出てこない。


 石の壁で囲まれた小さな部屋。その入り口には固い鉄格子が張られており、少女の自由を奪っていた。

 体温を奪ってくる冷たい床の上には、その少女も含めて10人ほどの人間がうずくまっている。

 いずれも年端もいかない少女ばかり。ある者はシクシクと涙を流し、ある者は哀しげに両親を呼び、ある者は瞳から光を消して絶望に表情を凍らせていた。


 少女がどうしてその部屋に閉じ込められているのか──それはちょっとした気まぐれが発端である。


 少女はとある農村に暮らしていた。

 彼女の両親は村の片隅で薬草を栽培しており、月に1度、村から少し離れた場所にある大きな町へと薬草を売りに来ていた。

 ポーションの材料になる薬草の需要は大きい。薬師ギルドに栽培した薬草をまとめて卸し、少女の家は収入を得て生活していたのである。


 その日、少女は父親と一緒に町にやって来ていた。いずれ薬草栽培の仕事を継ぐために父親の仕事を手伝うためだ。

 父親と同じ馬車に乗って町に訪れ、薬師ギルドで顔見知りの従業員と会い、父と一緒に馬車から薬草を運ぶ手伝いをした。

 そこまではいつも通り。これまで何度となく経験してきたことである。


 だが……そこから先は普段とは違った。


「ちょっと冒険者ギルドに寄ってくる。1時間ほどで戻るから待っていなさい」


 そう言い残して、父親が道に馬車と少女を置いて行ってしまったのだ。

 父親の目的は、おそらく最近になって村の周りに増えた魔物討伐を依頼することだろう。


 今から1ヵ月前──魔王を名乗る存在が突如として人類に宣戦布告をした。

 それ以来、大陸のあちこちで魔物の動きが活発になっており、その波は少女が住んでいる村にも押し寄せている。

 元々、狼やはぐれゴブリンくらいしか出なかった村の周囲に、オークなどの強いモンスターが出現するようになったのだ。

 父親はその対処を冒険者ギルドに依頼するため、娘と別れて町の大通りへと消えていった。


「退屈だなあ……どうしよっかな」


 少女はつぶやいて、大勢の人が行き交う町を見つめた。

 大通りにはいくつもの出店が並んでいる。そこからは美味しそうな匂いが香っており、少女の鼻を誘ってくる。

 手伝いの駄賃としてお小遣いをもらったことだし、ちょっと買い物にでも行ってこようか──そんな気まぐれから、少女は町の大通りへ1人で行ってしまった。


 その町の治安は決して悪くはない。

 大通りでは町に住んでいる子供達が遊び回っており、町を治めている領主に雇われた警備兵も巡回している。

 少女の行動は決して軽率とは言えないが……それでも、もう少しだけ用心するべきだったのだろう。


 出店を周り、少女は時間を忘れて買い物に夢中になってしまった。

 気がつけば父親が用事を済ませて帰ってくる時間が迫っていたのである。


「いけない、早く戻らないとお父さんに叱られちゃう!」


 少女は足早に道を戻っていく。

 少し出歩くくらいならば父親も怒ったりはしないだろう。

 だが……約束の時間を破って遊んでいたとなれば話は別。少女の父親は時間にキッチリした性格をしており、常日頃から誰かとの約束に対して誠実であるようにと子供に教えていたのである。


 少女は道を駆けていくが、大勢の人々でにぎわう街では思うように走ることができない。

 どうしたものか……焦る少女の目に裏通りにつながる横道が目に入った。

 その道は少女が父親と一緒に何度も通った道だった。ここを通れば、かなりショートカットして戻ることができるだろう。

 迷ったのは数秒。すぐに少女は裏通りへと入っていった。


 そこから先のことはよく覚えていない。

 裏通りに足を踏み入れた少女は人気のない道を進んでいった。あと少しで目的の場所にたどり着くかと思ったところ……突如として布のようなもので視界が塞がれて目の前が真っ暗になったのだ。

 気がつけば、石の壁と床、鉄格子の扉で囲まれた部屋に押し込まれており、周りを自分と同じような子供達に囲まれていた。


「うっ……」


 少女は込み上げてくる涙を必死に堪えた。

 もしもここで涙を流してしまえば、何かが決定的に崩壊してしまう。

 そうなれば、頭の片隅によぎる『最悪の予想』が実現してしまうような気がしたのだ。


「…………」


 膝を抱え、身体を丸めて寒さに耐える少女であったが……突然、ガチャガチャと鉄格子の扉が音を鳴らす。


「きゃあっ!」


「ヤダヤダヤダヤダッ!」


「怖いようっ! おかあさーん!」


 鳴り響いた金属音に子供達から悲鳴が生じる。少女もまた息を呑み、開かれていく扉を凝視した。

 鉄格子の扉を開けて入ってきたのは大柄な男性。そして、腹を贅肉で膨らませた身なりの良い男である。


「ほほうっ! 随分とたくさん獲ってきたものよの。誉めて遣わすぞ!」


「ありがとうございやす。旦那」


 身なりの良い男が腹肉を揺らしながら上機嫌に言うと、大男が笑顔で頭を下げる。


「これだけあれば猊下も満足してくれよう。ワシの評価も上がることだろう。ほっほっほ、今夜は祝宴だのう。そちらにも良い酒をふるまってやろうぞ」


「恐縮ですございやす、伯爵殿……それで、こちらの『羊』はいつもの場所に出荷してもよろしかったでしょうか?」


「うむ、かまわぬぞ。かまわぬが……少々、小腹がすいたのう」


「っ……!」


『伯爵』と呼ばれた男が順繰りに子供達を品定めする。

 舐めるような醜悪な視線に、少女は小さな身体をこわばらせた。


「ほほうっ、美味そうな『肉』がおるではないか! これは上物ぞ!」


「ヒッ……!」


 伯爵の目に留まったのはその少女だった。

 少女が短い悲鳴を上げ、石の床の上を張って逃げようとするが……太い腕がその足首を捕まえる。


「多少のつまみ食いは猊下も許してくれよう。今夜はこの『羊』を楽しむとしようか」


「い、いやあっ! やめて、やめてくださいっ!」


「ほっほっほ、活きの良い子羊よ! これはディナーが楽しみになったのう!」


「ヒイッ!?」


 足首を掴んだ伯爵が少女の身体を持ち上げる。少女の身体が逆さづりになり、スカートがまくれ上がった。

 少女が手足をバタつかせて逃げようとするが、伯爵はその拙い抵抗を楽しむようにクチャリと歪んだ笑みを浮かべる。

 伯爵はさらに少女の片脚を持ち上げ、細い太腿にベロリと舌を這わした。


「ヒンッ! 気持ち悪い……!」


 ナメクジが這いずるような感触に少女の全身に鳥肌が立つ。

 少女の足が醜悪な顔面を蹴りとばすが……そんな痛みすらも楽しむように伯爵は弛んだ腹を上下に揺らした。


「良い、実に良いぞ! やはり子羊は新鮮なものに限るのう! 丸焼きにするか煮込み料理にするか……いやいや、活きの良さを生かして刺身にするのも悪くはないの!」 


「…………!」


 少女の脳裏に恐るべき予感が走り抜ける。

 目の前のでっぷりと太った男がまともな人間であるとはとても思えない。

 自分はこれから、どうなってしまうのだろうか?


「誰か……助けてよう……いやだよう……」


 少女が弱々しく泣き声を上げると、伯爵は舌なめずりをして満面の笑みを浮かべる。


「ヌフフフフフッ! 子羊の顔が絶望に染まる瞬間、堪らぬなあ。ただ捌いて喰うだけでは物足りなくなってきたわ! いっそのこと、生きたままむしゃぶりついて踊り食いにしてやるのも悪くはない……」


「ガッ……」


「のう…………は?」


 伯爵が呆けた声を漏らす。

 突然、背後にいた大男──ジャックと呼ばれたその男が、前のめりになって倒れたのである。


「ヒイッ!? 何じゃあっ!?」


 ジャックの頭部は獣に食い千切られたかのように抉られていた。

 大きく欠けた頭部からどす黒い血が流れ、石畳の床に広がっていく。先ほどまで会話をしていた部下の死に、伯爵は大きく目を見開いて少女を掴んでいた手を放す。


「あ……」


 伯爵が鉄格子の外に視線を向けた。石畳の上を転がった少女もまた、つられたようにそちらに視線をやる。


「『人喰い伯』──ベロンガ・ジャクソルトだな?」


「だ、誰じゃ、貴様は!?」


 扉の外から投げかけられたのは若い男性の声音である。

 その声は平坦ではあったものの、背筋を凍らせるような冷たさを孕んでいた。


「ここはワシの屋敷ぞ! 部外者が入ってきてタダで済むと思っているのか!?」


「タダで済むと……ね。面白いことを言ってくれるじゃないか。腹を抱えて笑いたい気分だよ。タダで済まさないのなら、どうするつもりなのか教えてもらいたいものだ」


「っ……!」


 扉の向こうから1人の男が現れた。20歳に届かないくらいの年齢の若い男である。

 黒衣の服にマントを羽織って、カラスの羽のような漆黒の髪を丁寧に切りそろえてまとめていた。

 まるで夜闇を凝縮したように上から下まで黒で固めた男だったが……それ以上に目を惹いてくるのは、その冷たい眼差しである。


 例えるならば……命を刈り、魂を喰らう死神だろうか。

 一切の情を感じさせない不吉な瞳は、見つめているだけで生命を吸い取られそうな錯覚を覚える。


「あ……がっ……」


「…………!」


 その恐るべき瞳を目にしながら少女が正気を保っていられたのは、死神の瞳が伯爵だけを見つめていたからである。もしも一瞥でもその目が向けられていたら、股を濡らして気を失っていたに違いない。

 反対に……真っ向から死神の眼で見つめられた伯爵の反応は顕著である。

先ほどまで愉悦に歪めていた顔面を、今度は激しい恐怖によって歪めていった。


「だ、れだ……わしを、わしを……だれと……」


「まだ目を合わせただけで何もしてないのだがな。睨みつけただけでこのザマとは笑わせてくれる。それが数えきれない子供の命を奪い、文字通りに『食い物』にしていた邪悪の権化とは……殺された被害者が浮かばれないな」


「う……ぎ……わし……を……」


 一歩、二歩と死神が距離を詰めてくる。

 伯爵が極限の恐怖と緊張感に堪えきれなくなり、呼吸困難を起こして膝をつく。

 そのまま放っておけば勝手に死んでしまいそうな有様だが……死神が腰の剣を抜いて天井に向けて掲げる。


「顔を伏せて耳をふさいでいろ。もう何も見なくていいし、聞かなくていい」


「っ……!」


 つぶやかれた死神の言葉──それが伯爵ではなく自分に向けられたものであると気づき、少女は言われるがままに顔を伏せて両手で耳をふさぐ。


「ぎゃあああああああああああああああああっ!」


「…………!」


 直後、断末魔の悲鳴が狭い部屋の中に鳴り響く。

 まるで屠殺場の家畜の鳴き声のような悲鳴である。耳をふさいでなお鼓膜に飛び込んでくる絶叫を最後に、少女はそのまま気を失ってしまった。


 その後、何者かによって保護された少女は町の警備兵に引き渡されることになり、無事に父親と再会することになる。


 結局、最後まで少女は知ることがなかった。

 自分が何の目的で誘拐されたのか。自分を誘拐した人間が何者なのかも。


 そして……自分を救出した男が『ゼノン・バスカヴィル』という名前であることも、最後まで知ることはなかったのである。






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お知らせ


本日より更新を再開いたしました。

ストックが切れるまでの間、毎日18時に更新させていただきます。

改めまして、どうぞよろしくお願いします。


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