第54話 老執事の警告

 ハーレム主人公の苦労を心から理解した俺は、寝間着から着替えて部屋を出た。最近はご無沙汰になっている朝の自主トレをするためである。

 今になってトレーニングを再開することにした目的は、意図せず出来てしまった弟子に教えを施すためだった。


「我が師よ、いよいよ鍛練を付けてくれるのだな!」


 鍛錬場に向かって廊下を歩きながら、ナギサが華やいだ声を上げる。

 剣道着のような和装に着替えたナギサは、髪を頭の後ろでくくり、腰には愛用の刀を差していた。何がそんなに嬉しいのか、スキップするような軽い足取りで俺の後ろをついてくる。


 ちなみに、他の女子達は朝食の準備をしてくれていた。鍛錬場に向かうのは俺とナギサだけである。


「まあ……約束はしたからな。教えられることは教えてやるさ」


「うむうむ! これで私はまた剣の道を前に進める……! ふふっ、ふふふふふ……血沸き肉躍るではないか!」


「…………」


 ご機嫌な様子のナギサに対して、俺はそっと溜息をつく。

 鬼人族の戦士であるウルザに、神官のエアリス。それに加えてサムライのナギサまでもが仲間に加わり、結果的に共同生活を送ることになってしまった。

 強い仲間が増えるのは頼もしいことだが、女性に囲まれた生活というのは意外と気疲れするものである。世のハーレム主人公は、どうしてこんな生活に耐えられるのだろうか。


「おはようございます。ゼノン様」


「む……」


 そんなふうに思い悩みながら歩いていると、前方から1人の男性が現れる。

 ロマンスグレーの髪とヒゲ、左目のモノクルが特徴的な初老の男性だった。年齢に似合わずがっしりとした身体つきで、執事服を身に纏っている。

 父の側近であり家令として家を任されている使用人の長――ザイウス・オーレンだ。


「昨晩は随分とお楽しみだったようですね」


「……そう見えるのなら、お前の目は節穴だな。その片眼鏡も買い替えたほうがいい」


「我が師に何の用かな。ご老人」


 俺とザイウスの間に流れる剣呑な空気に気がついたのか、ナギサが俺を庇うように前に出た。

 その右手は刀の柄に触れており、いつでも必殺の一撃を撃ち放てるような体勢をとっている。


「ほう……これはこれは……!」


 ザイウスは目の前に現れた女剣士をしげしげと眺め、感心したように息をつく。


「粗削りながらも油断ならぬ雰囲気、真剣のように研ぎ澄まされた殺気……ゼノン様、良い仲間を見つけられましたな。どうやら充実した学園生活を送っておられるようで、安心いたしました」


「……まあな」


「同時に2人の女性を屋敷に連れ込んだ時には、よもや色欲に溺れてしまったのかと心配しましたが……セントレア家のご令嬢といい、こちらの女性といい、いずれも滅多にいない人材でございます。旦那様もゼノン様の成長ぶりに喜ばれることでしょう」


「あの男が? はっ、冗談を言うなよ。アイツが俺にそんなに興味を持っているわけがないだろうが」


 父親――バスカヴィル家の当主であるガロンドルフ・バスカヴィルとは、入学式の直後に折檻を受けてから会っていなかった。

 数ヵ月も顔を見せない父であったが、どうやら仕事先と愛人宅を行き来しているらしい。時折屋敷に帰ってきてはいるようだが、俺が学校やクエストで留守にしている時がほとんどのようだ。

 仇敵と見定めている父親と顔を合わせずに済んでいることは嬉しいことだが、それでもガロンドルフが自分にまともな父親のような感情を向けてくるとは思えなかった。


「もしもあの男が欠片でも息子への愛情を持っているのなら、週一でも月一でも、顔くらい見せに来るだろうよ」


「それは……」


 ザイウスは反論しようと口を開く。しかし、睨みつけてやると黙り込んだ。

 ガロンドルフという男が裏社会においてどれほど有力な人間なのかは、俺の知るところではない。

 しかし、父親として失格者なのは、拷問のような折檻を受けた俺が誰よりも知っているのだ。反論など許さない。


「……ゼノン様、旦那様は来月、屋敷に帰ってきてゼノン様と会われるつもりです」


「あ?」


「来月、学園で期末試験がありますので。その成績次第では、またゼノン様に御説教をされることでしょう」


「…………」


 俺は言葉を失い、微かに肩を震わせてしまう。

 どれほど強がったとしても、身体が拷問を受けた時のことを覚えている。

 もしも来月の試験で『学年主席』をとれなければ、父親は再び戻ってきて俺を拷問することだろう。


「……そんなことはさせるかよ。俺は二度と、アイツに屈服なんてしない」


「ゼノン様?」


「あんな父親にはなりたくないものだな。自分の身体にあの男の血が流れているかと思うと、心臓をえぐり出したくなってくるぜ」


 捨て台詞のつもりで言ってやると、何故かザイウスが加齢によってできたシワを深めて苦笑する。


「そうはおっしゃいますが……ゼノン様は若い頃の旦那様と大変よく似ておられますよ」


「……ゾッとすることを言うじゃないか。喧嘩を売っているのかよ」


「事実でございます。旦那様も若い頃は女性を屋敷に連れ込んで毎晩のように……いえ、これは関係ありませんね」


 ザイウスは言葉を切って、ゲフンゲフンと咳払いを繰り返した。


「ともあれ、『親の心、子知らず』という言葉がございます。いずれ、ゼノン様も旦那様のお気持ちを知る時がやってくることでしょう」


「はっ! そんな日が永遠に来ないことを祈るよ。発狂したくはないからな!」


 皮肉の言葉を残し、ザイウスの横をすり抜けて廊下を進んで行く。もう話すことはない。これ以上話していても、不快な気持ちになるだけだ。

 さっさと歩いて行く俺に、ナギサも巨体の老執事に警戒の目を向けながら後に続いてくる。


「ゼノン様」


「…………」


 無視して歩いて行く俺の背中を、ザイウスの落ち着いた声音が追いかけてきた。


「いずれ必ずその時はやって参ります。貴方様は『バスカヴィルの魔犬』の後継者。スレイヤーズ王国の夜を支配するお方なのですから」

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