【11月29日】キスする程度の間柄
王生らてぃ
本文
あの時、あのキスが無ければ、わたしたちはふつうの友だち同士でいられたのかもしれない。
まだ、何も知らない子どもだった。
でも、それは言い訳だ。
「ねえ、ちゅーしてみようよ」
わたしの申し出に、
「なんで?」
「ひーちゃんのこと、好きだから。ちゅーってね、好きな人どうしでするものなんだよ」
「それは、男の人と女の人がするんだよ」
「わたし、ひーちゃんのこと好きだもん。しようよ」
それが最初だった。
まだ小さい子どものころ。
それからわたしたちは、たびたびキスをするようになった。
「ねえ、やっぱり変だよ。こんなの」
たしか10歳になったばかりのころ、陽彩が不意にそんなことを言った。
「変じゃないよ」
「変だよ。わたしたち、女の子同士なのに、こうやって、き……キスしたりしてさ。みんなから隠れて、こそこそして。もういやだよ」
そうやって、めそめそ泣き出しちゃうのが陽彩のかわいいところであり、同時に、悪いところでもあると思った。わたしは陽彩のことを抱きしめて、涙をぬぐってあげると、また慰めるようにキスした。
その日以来、陽彩はちょっとよそよそしくなって、あまり会話もしなくなった。当然キスもしなくなった。わたしは、陽彩に嫌われたんだと思って、意地になって、あんまり陽彩のことを考えないようにした。
「ねえ、ちょっと、いいかな」
中学に上がって、しばらくしたとき、よそよそしい態度で陽彩がわたしのことを呼び出した。わたしたちは旧校舎の、日当たりの良い渡り廊下で対峙するように並んだ。
「なに。陽彩」
「なにって、ことでもないけど。ていうか、昔みたいに、ひーちゃんって呼んでくれないんだ」
「用がないなら、戻っていい?」
帰ろうとするわたしを、陽彩の手が引き留めた。そして振り返った時に、唇にすごい勢いでキスされた。わたしはとっさに振り払おうとしたが、それを抑えた。
「えへへ。久しぶりだよね、こうやってキスするの」
笑いながら、理由も、言い訳もせずに、陽彩は自分の教室に戻っていった。
わたしは呆然とその場に立ち尽くす。
言いようのない、不快感だけがそこに残っていた。
卒業式の日。
わたしたちは制服姿で校門まで歩いて行き、途中で校庭の桜の木の影に入った。そこは目立たないが、校庭と校舎とを一望できる、隠れたフォトスポットだったのだ。
「ここでキスして」
陽彩は急に、真剣な眼差しでわたしに言った。あの渡り廊下での一件以来、わたしたちの関係はさらにぎくしゃくして、そのまま卒業してしまおうというときに、そんなふうに言われた。
「して。はやく」
「なんで?」
「好きだから。なによ、昔はあなたの方からいつもしてくれてたじゃない。こっちが嫌がっても、有無を言わさずに」
「いやだ」
「断ったら、あんたの高校に噂流してやるから。あんたがレズのキス魔だってこと。あなた、たしか隣の県の進学校に通うんだったよね。知り合いがほとんどいないところでそんな噂立てられたら、どうなるかわかってるよね」
背筋の凍る思いだった。陽彩にはわたしがどこの高校に行くかなんて伝えていない。いったいどうやって知ったのだろう。
わたしは、そんなことできるわけない、と思いつつも、陽彩のその言葉に屈して、彼女とキスをした。昔はキスするたびに、罪悪感と、同じくらいの嬉しさ、幸せ、充足感があったはずなのに、今はもうなにもない。
長い長いキスだった。
誰にも見つからないことを祈りながら、早く終われ、早く終われと念じ続けた。
「さようなら」
なぜか陽彩は泣いていた。
校門から出ていって、二度と振り返らなかった。
◯
高校では、勉強に追われ忙しく、周りにはそれなりの友だちができた。陽彩が今どこでなにをしているのかなんて考える余裕はなくて、3年間をただひたすら必死に過ごしていた。
都内のいい大学に合格し、親にも一安心をさせることができた。
ひとり暮らしを始めて、大学では好きなことを勉強し、アルバイトで貯めたお金で自由に遊ぶこともできた。サークルも楽しかった。
「久しぶり」
街で声をかけられたときは、わたしは怪訝な顔をしてしまった。
間違いなく、その顔と声色には覚えがあったのに、なぜか、いや、そんなはずはない、と思い込んでしまう自分がいる。
「陽彩……?」
「そうだよ」
彼女の右手には、左手を握られた、小さな女の子がいた。
「どうしたの、その子」
「わたしの子ども」
女の子は、陽彩の体の裏に隠れて、おびえている。
「17の時に産んだの。それで高校も中退した。いまは資格の勉強をしながら、アルバイトをして、娘を幼稚園に通わせてる。今日は久しぶりの休みの日で、街まで遊びに来たのよ」
若々しい笑みで、陽彩はコートの裾を直した。「若々しい」? わたしと同い年のはずなのに。
「そうなんだ」
「そっちはいま、大学生でしょ。いいね、楽しそうで」
「何が言いたいの?」
「ごめんなさい」
不安そうにその唇は震えていた。
「中学の時。ずっとあなたに、ひどい態度を取っていた気がして。謝りたかったの。でも、そんなタイミングがなくて。今日、偶然会えて、本当に良かった。ごめんね」
彼女の左手には、指輪がはまっていなかった。ほんとうに、望んだすえの子どもなのだろうか、とか、無粋なことを考えながら、わたしは曖昧に返事をした。震える陽彩の唇に、見とれていたからだ。
キス、したい。
あなたの震えをわたしの唇で止めてあげたい。そう思ったけれど、わたしはぐっとこらえた。
「じゃあね」
陽彩は、なにかに見放されたような顔をして、娘さんの手を引いて去っていった。
ごめんなさい。
わたしはうつろになった唇を動かして、陽彩の背中に呼びかけた。ごめんなさい。あなたの人生をめちゃくちゃにしたのは、きっとわたしのせい、わたしのキスのせいだ。わたしのほうからしておいて、それをほったらかしにしてしまったわたしのせいだ。
でも、今度こそ、今度こそわたしたちは二度と会えないだろうと思った。たった数秒前のことなのに、都会の雑踏に紛れて陽彩の姿はもう見えない。わたしのほうが突き放されたような気持ちになった。ひとりぼっちで、もうあなた以外の人を愛することができない。
【11月29日】キスする程度の間柄 王生らてぃ @lathi_ikurumi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます