鍛錬場となっている中庭には十ほどの試合場が設えられ、勝ち抜き戦が行われていた。通りかかった屈強の衛士達が試合に目をやっては一人、また一人と足を留めて行き、やがて中庭を囲む渡殿わたどのには人垣ができた。

 男達の目を引くのは少年達に混じって木刀を振るっている少女の姿だった。訓練用の竹で作られた軽い防具――頭を守る鉢と腹を守る胴巻き――をまとっているため、顔はよほど近くにいないと判別できない。体格は周りの男に比べて少し小柄なくらい。それでも少女だとわかるのは、背で揺れる髪のせいだった。この国の男であれほどの長さに髪を伸ばす人間は、よほどの物好きでないといないのだ。

 少女が木刀を振ると束ねられた長い金髪が辺りに光を撒く。そのせいもあって彼女は目立った。男達の大抵は冷やかしに見物に来ているようだったが、それだけでもないようだった。

 少女の相手は十七、八くらいの大柄な男だ。舐めてかかっているのが緩慢な動きでよくわかる。男は木刀を振り上げて面を狙う。次の瞬間、少女がわずかな隙間を見逃さずに素早く小手を打った。


「一本!」


 観衆の野次が飛び、防具から覗く男の肌が真っ赤に熟れた。試合は二本先取で決まる。余裕が無くなり動きが鋭く変化するのが目に見える。男は中段に構え直すと、少女を睨み据える。一歩踏み込み突きを繰り出す。少女はとっさに自らの刀で男の刀の勢いを削ぐが、場外へと追いつめられる。勢いづいた男はもう一歩踏み出すと同時に木刀を少女の頭上に鋭く振り下ろした。


「もらったあ――!!」


 男が叫び、風圧で少女の金髪が揺れ、切っ先が少女の頭を打った――と皆が顔をしかめた直後、ぱあんと竹を割るような音が響いた。少女がつむじ風のように男の懐に潜り込み胴を払っていた。そのまま走り抜ける少女の脇で、男が呻いて地面に膝をつく。


「勝負あり!」


 審判の声に観衆のどよめきが上がる。


「おぉ、すげえ」

「こりゃあ綺麗に決まったな。侮って負ける奴も負ける奴だが。これでまた予選通過か」

「でも、ここまでなんだがな。いくら強かろうと長官にゃ敵わねえ。俺たちでさえ敵わねえのに、去年あの子の相手をするとき、長官、手加減どころかめちゃくちゃ気合い入っていたからなぁ」

「わかっていてもめげずに受験するのはすごいがね。あの根性は負けた男に見習わせろよ」

「けどさ、女のくせにさあ、武官になりたいなんて、相当物好きだよな」


 好き放題言った後、皆一様に黙り込む。誰かがためらったような沈黙の後にぼそっと呟いた。


「でも――綺麗な髪だよなあ……」


 皆そういう目で見ていたことを知ったのだろう。その言葉を機に彼らを押さえ込んでいた重しが吹き飛ぶ。


「だよな。入所させちゃえばいいのにさ」

「おまえもそう思っていた?」

「だって、あの子がいればむさ苦しい職場も華やぐだろ」

「ここ女がほとんどいないからなあ。いたとしても婆さんだし。俺、早く宮中に上がって釆女を口説きてぇのにさ」

「だからって、まだガキだろ――相手にならねえ」

「一年後にはわかんねえって。ほら、見ろ。あの腰。去年より女っぽくなっているだろ」

「まあなあ」

「皆しっかり見るとこ見てんだな」


 げらげらと下品な雑談に笑いあう衛士達に一人の男がそっと近づいた。〈蘇比ノ国〉との西端国境防衛を受け持つ〈壇〉の靫負所――通称壇ノ団だんのだんの長官、橡木是近とちのきこれちか。壇ノ団内で一番の背の高さと一番の剣術の腕を持つと言われる男だった。

 是近がごほごほと大げさに咳払いをすると、衛士が一様にびくりと身体を強ばらせる。


「――あ、長官」

「さぼってんじゃねえ。おまえらには試験は関係ない。とにかく散れ。持ち場に戻れ」


 しかし、一人の衛士が気安く是近に話しかける。


「長官、今年こそはあの子合格しますかねえ? 去年より腕が上がってるみたいですよ?」


 その緩みきった顔。是近が少女の血縁者だとは考えたこともないのだろう。「紹介してくれ」という懇願を疎んで是近が公にしていないせいでもあるが、そこまで似ていないかと寂しさを感じることもある。

「合格はない」是近はばっさりと切り捨てる。


「やっぱり女だからですか?」

「いや――あの子には、覚悟が足りないんだ。国境を守るっていう覚悟がな」

「じゃあ、あの子は一体何の為にここに入ろうとしているんですか? 毎年……もう六年目ですよ」

「――さあな」


 それは一人の男の為。答えは知っていたが、口に出すのも腹立たしい。

 その男は〈まゆみの宮〉。瑞穂の民ならば知らぬ者がいない日嗣皇子ひつぎのみこ――東宮だ。

 彼を生んだのは〈壇〉の受領ずりょうの娘であり、是近の幼馴染であるあおい――帝に寵愛され皇子を生んだことで女御とまでなった女性だった。十年前に葵が亡くなったあと、是近は葵の妹でやはり幼馴染でもある菖蒲あやめに、皇子を守ってくれと直々に頼まれていた。

 といっても、辺境警備を行う靫負守の立場ではまず宮にほとんど寄り付くことができない。月に一度皇都の〈伊吹いぶき〉へと赴くが、その時にせめて自分の身を自分で守れるようにと剣術の指導をするくらいしかできていない。


(――伊吹ノ宮……)


 その佇まいを思い出したとたん、是近は宮を取り巻く生臭い臭いを嗅いだ気がした。それは血の臭いだろうか。それとも――


「あの場所は、瑠璃には向いていない。もちろん――殿下にもだが」


 ひっそりとした囁きに混じる名は風に流れていく。

 貴人の諱は伏せられ、その名で呼びかける者は、彼の身内と数少ない信頼の置ける者だけ。父である由良ゆらノ帝と彼の後見を務める叔母菖蒲。中宮である紫苑しおんをはじめとする女御達に、それから紫苑の娘であり皇子の妹姫である〈檜葉ひばの宮〉だけ……のはずだったが、そこになぜか是近が加わり、娘の瑠璃も加わった。


 故郷を愛する葵は、入内してから亡くなるまでの間、年に何度も〈壇〉に里帰りをした。それには幼い皇子も付いてきていて、同じ歳の瑠璃は絶好の遊び相手だった。兄妹のように過ごした二人が仲良くなるのはある意味必然ではあった。

 是近も、娘と同じように自身にじゃれてくる愛くるしい皇子を、畏れ多いとは思いつつも息子か甥のように可愛がった。結果ひどく懐かれいみなを賜ったのだ。そのおかげもあって是近はこの靫負守ゆげいのかみという職に成り上がれた。そして、さらに出世の道を辿るだろう。将来的には東宮――ゆくゆくは帝の傍に一生寄り添い、助ける役目を与えられるのだ。武官として最高の名誉と言っていい。それだけの信頼を頂いたということを素直に嬉しく思う。


 ――しかし、娘の場合、〝一生傍に仕える〟意味が是近とはまったく異なってしまう。だから、是近はずっと悩んでいたのだった。

 娘はその意味を知らずに、ただ是近と同じような意味合いで彼を守ろうとしている。きっと幼い皇子も、深い意味もなく諱を教えたのだろう。まさか自分の行為が、幼馴染の将来を縛るとは思いもせずに。


「冗談じゃない。あんなのは子供のお遊び。無効に決まっている」


 娘が亡くなった女御のような目に遭うのは絶対に許せなかった。それに――妻のような目にも決して遭わせられなかった。


(もう瑠璃は十六だよ、あかね。そろそろあの子の〝開花〟が始まるのか)


『暁天の倖姫こうきは夢を紡いで、対となる晦冥の司祇しきは夢の舵を取るの』


 是近の耳に亡き妻の語った言葉が蘇る。

 この瑞穂の地に一人の巫女姫が生まれると占われたのは二十年も昔のことだった。占ったのは是近の妻のあかね。そして占通りに新年の夜明けと共に生まれた倖姫、それは瑠璃だと彼女は怯えながらも断定した。しかし、彼女が語った対となる司祇がどこにいるのかはわからないまま。わかっているのは『司祇は倖姫が選ぶ』ことと『司祇を得なければ、倖姫は力が使えない』ということだけ。


 瑠璃の持つ力の兆候はまだ見えないし、是近は娘の見る〝夢〟が持つ意味を未だ完全には信じられない。だが、妻の話を聞いてから、彼はずっと娘を手元に置いておくと決めたのだ。仕事にも就かせず、もちろん嫁にも出さず。広い世界へ飛び出そうとするのを許さないのは、まずは司祇に出会わせないため。ひいては彼女を利用しようとする者から守るため。

 しかし、彼女は年頃になり、是近の作った檻を勝手に抜け出すことが多くなってきた。内側で蓄えた熱を力に、頑丈な鍵をこじ開けてくる。


「ちょうかーん、最終試験始まりますよぉ! 出番ですよぉ!」


 ぐっと刀の柄を握りしめたところで、部下の声が聞こえ、是近ははっとして現実に立ち返る。

 どうせ今年も瑠璃は不合格だ。入団試験の最終試験には是近がいる。そして絶対に手を抜くつもりはないからだ。

 各地方の靫負所では、宮中警備の衛士とは違い、男女問わずどのような身分のものでも受け入れる。――ある一定の条件さえ満たせば。


 その条件とは、大きく二つに分かれる。身分や財力のあるものは、後見を証明するものを。それから支度金と継続的な寄付を。見聞を広げるために入所する受領の息子や逆に官位に憧れて入所する裕福な商家の息子などがその方法をとることが多い。

 身分も財産もないものは、代わりに入所試験で力を示す必要があった。それは、勝ち抜きの予選を制し、その上で長官である是近から一本以上取れればよいだけ。一本で採用、そして二本取れば少尉に即採用だった。少尉にまでなれば、武官の花形である近衛府このえふへの推薦も夢ではなくなる。そのため皆が皆二本を狙ってくるが、万が一にも二本とられたら、長の交代。つまりは是近も長官として適正を試験されるため、気を抜きたくても抜けない。


(まったく良くできている)


 この制度を制定した男の顔を思い浮かべようとすると、なぜか一人の女性が瞼の裏に浮かんだ。――昔付いた古い傷が痛む気がした。

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