罪を重ねる
「あ、お帰りなさい、津軽さん」
「んァ……体、大丈夫か?」
玄関の開く音で、ひょこりと台所から顔を出した涼丸に、津軽が少し驚いた様子で聞き返す。一月前の一件で負った怪我は殆ど癒えていたが、三日前の診察ではまだあまり動き回らないようにと言われていたはずだ。そんな涼丸が、台所から顔を出し、その向こうで煮炊きするのが見えれば、驚きたくもなるだろう。
それを分かったのだろう、涼丸はふにゃりと笑みを浮かべた。
「お医者さんに、お墨付きをいただきました。師匠や協会の方とも話をして、次の中席の昼から、復帰させていただくことになりました。暫くは様子を見ながら、ってことなので涼太アニさんか師匠と同じ寄席に」
「そが。良がたな……」
「津軽さん?……あ、お鍋!!!」
にこにこと嬉しそうにする涼丸を、津軽は無表情に眺めてる。無表情ではあるのだが、何か言いづらそうにしているように見えて、涼丸はきょとんと首をかしげた。何か、と口を開くより先に、吹き零れそうになっている鍋に気づいて、ぱたぱたと鍋に駆け寄り、火を少し落とす。
そんな涼丸の背後に近づいた津軽は、少し考えてから小さく息を吐く。
「涼丸、あの事件の事だが」
「あ……その事、なんですが……」
「ん?」
「そこだけ、記憶が抜けてしまったみたいで……思い出そうとしても、思い出せないんです」
事件直後も思い出そうとしてできなかった記憶は、完全に消えてしまっているのか、今ではそこだけ穴が開いてしまったかのように、空白となっている。約一月、何も聞かないでいてくれたのに、何も答えられず、申し訳なさに首を竦める涼丸だったが、意外なことに、津軽は安堵したような様子を見せた。
「そが。もう犯人は逮捕されでらはんで、思い出そうどすねでい」
「え、あ、そうなんですか……?」
「おめと最初さ話すた時さ、おめば蹴り飛ばすてあった奴だ」
「え、っと、そんなことありました、っけ?」
「……」
言われたことに心当たりがなく、きょとん、と涼丸は再び首を傾げた。その様子に、津軽はスッと目を細める。仕事帰りに津軽と会ったのは確かだけれども、その時に何があったけ、と考えてみてもそれもなぜか思い出せない。
うーん?と悩む涼丸だが、津軽から安堵や困惑など色々混ざった気配を感じて、何とか話題を変えようとつい昨日師匠から伝えられた話を振ることにした。
「あ、あの!津軽さんは、師匠から聞いていると思いますけれど……」
「んァ。あの件だな。よろすく頼む」
「こちらの台詞です!お世話になります」
お前はもう少し、噺家以外の世界を知っといで。
そんな師匠の一言で、涼丸はこの長屋、もとい津軽の家に居候することになったのだ。両親もそれにむしろ賛成しているのだから、どれだけ世間知らずと思われているのだろうかと、複雑になったのはここだけの話だ。それを思い出して、なんとなく口元がへの字になる涼丸だったが、それでも、津軽とまだ一緒に過ごせることはなんだが嬉しくて。
また表情の緩んだのを見ながら、津軽は無精ひげの生えた頬を掻いて、涼丸の頭を乱暴に撫でた。
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