Episode.19 戦場







僕はそれからいつも先頭に立ってまた別の世界へとモンスターを葬り去り、闘いが終われば兵士たちを労って、全員の生還を喜んだ。僕の右手から生まれる力は莫大なものとなり、僕は直感でそれを自在に伸び縮みさせることが出来るようになっていた。そして新聞の号外では僕のことが鮮やかに賞賛され、街に出れば人々は僕に感謝をして歓迎してくれた。


家に帰れば、僕がおそらく好意を抱いているのだろう彼女が迎えて、優しく僕を癒してくれる。でも僕は、そのことについて「想いを遂げたい」と思ったり、胸をときめく気持ちを口に出すことが出来なかった。おそらく彼女も同じなのだろうとさえ、僕には分かっていたのに。



僕はもちろん生き残っていくつもりだけど、一番危険な場所に居ることは間違いない。そして、彼女は戦場を知らない。そのことは、僕と彼女の間に、大きな壁を作っている気がしていた。


この恋を分かち合ったとして、後に彼女の嘆きが残ることになった時、僕にはそれをどうすることも出来ないのだ。僕から命が取り上げられれば、必ずそうなる。僕はそのことに恐怖し、「彼女との距離をこのままにしておこう」と思うようになった。




「お兄様、朝ですよ」


ある朝僕は、いつものように枕元で小さく鳴るベルの音で目が覚めた。彼女が片手にベルを持ち、それを揺らしながら僕を見つめている。僕は、初めのうちは気まずくて恥ずかしかったけど、彼女に起こしてもらうのは今は、幸せだ。


「ああ、おはよう…」


眠い目をこすって体を起こし、ベッドの脇に立っている彼女が、もうきちんと仕事着のエプロンドレスに身を包んで、結び髪を朝の光に晒しているのを見る。


「今朝は何にしましょうか?」


「何があるの?」


「お肉が少しと、豆と木の実、あとはお野菜があります」


「じゃあお肉を焼いて、それから残りはスープにしよう」


「はい、ではそのように。スープは具沢山、ですね?着替えが済んだら降りてきて下さい」


「お願いね」


僕たちは当たり前のように、二人とも知っている言葉を省いた会話をする。だんだんとお互いの生活に慣れて、今では旧知の仲だったように過ごしていた。



彼女の名前は「天地理子」。僕と同じく元は日本人で、元の世界では普通のOLだったらしい。でもこの世界ではその需要は無く、仕方なく始めた住み込みのメイドさんから始まって、議事堂の管理の仕事にまで上り詰め、僕の家のメイドとして送り込まれてきた。僕たちは初めてこの地に降り立った時の驚きや戸惑いを互いに話して、「一体どういうことになっているのかわからなかったよね」と、懐かしく笑い合ったりもした。


彼女はその時、「ハルキ様のことが、心配でしょうに…」と僕の顔を覗き込んだので、僕は、「そうだね」とだけ言った。




彼女は毎日忙しく仕事をしていても、手の空いた時間には僕の話に付き合ってくれたり、買い物に同行してくれたりする。


この日は朝も昼も敵襲は無く、彼女が軍との連絡手段を持ち、僕たちは街の市場へ向かった。


軍との連絡は、ある石で行われる。それは一つの石を母体とし、母体の石を強く叩くと、その子たちである別の石が一斉に光り出すというものだ。春喜はある晩、その石のことを夢で職人に告げ、その職人が夢で言われた通りに大岩を叩くと、辺り一面が光に包まれたらしい。大岩は人々の連絡手段として用いるためにいくつも「母体」として削られ、真っ先に導入された軍では、兵長室に槌と一緒に置かれている。僕は兵長室にある石から削り取った「子」の石を渡され、外出の時にはそれをいつも理子さんに持ってもらっていた。


「これでよし。では行きましょう」


「今日は、緊急招集がないといいんだけど」


「そうですね」




市場では、行き交う人々がお互いに体をすり抜けさせようと忙しなく動き回り、店主たちは明るい呼び声でお客を呼んでいた。「ここに来れば生活に必要なものがすべて揃う」と言われている大きな市場で、中には二、三店ほどだけど、軍人相手に武器や防具を売る店もあった。それらの店はあとで見て回ることにして、僕は理子さんの様子も見ながら、忙しく賑わっている市場を歩いていく。


「やあ!英雄さん!頑張ってくれよ!」


「いつもありがとうな!」


「いい肉がある!精をつけてくれよ、安くするぜ!」


方々から僕に向かって声が掛かり、僕はそれに笑顔で受け答えをした。すると、さっき叫んでいた肉屋の店主のところへ、理子さんはちょっと寄りたがっているようだった。


「お肉屋さん、寄るかい?」


「あ、あの…お兄様は、お肉が好きですから…」


彼女がそう言ってそのお店に行き、「バロンの肉はありますか?」と店主に聞いた。


「バロン」とは、とても大きな牛のような動物で、僕が「モップ玉みたいだ」と思った、あの荷車を引いていた動物だった。筋肉質に引き締まった大きな体の肉は、味わい深く食べ応えがあり、人々からとても好まれている。でも飼育に手間と時間が掛かるので、市場では高値で取引されていた。


理子さんは、「ございますとも。いくら必要ですか?」と言ってくれた店主からその肉を少し買って、僕たちはまた市場を歩き、豆と野菜も買った。


市場の中ほどは雑貨店が並んでいて、革細工や靴、鉱物から作られる宝石、それから綺麗に編まれた布から出来た服などに、理子さんは目を輝かせてあちこち見て回った。彼女は小さな石細工を売っている店の前でちょっと立ち止まり、体を屈めて石を見てから、僕の元に戻ってきた。その顔はちょっと残念そうだったけど、綺麗なものを見た後の彼女の表情は、和やかで優しかった。


「何、見てたの?」


「あ、その、なんでもないんです」


「僕にも見せてよ」


僕がそう言うと彼女は、雑貨屋の前に並べられた、青く輝く不思議な石を僕に見せてくれた。それは中でちらちらと小さな光がいくつも飛び交っているように見えて、見ていて飽きない石だった。


「へえ。どこで採れたんだろう、こんなの。綺麗だね」


「え、ええ…」


彼女はどこか気が引けていたようだったけど、店先でじろじろと売り物を見ていた僕たちに、店主が声を掛けてきた。


「買うのかい、買わないのかい。英雄さんよ」


僕はすぐに、「買います。おいくらですか?」と聞いて、その石を彼女に渡した。僕は理子さんが戸惑って困っている間に、店主にお金を渡す。その時、愛想のない職人気質な店主に「どこで採れたものなんですか」と聞いてみると、彼は「井戸を掘る時にぶちあたった、でかい層さ」と答えてくれた。僕はそれを聞いて、「あんなに綺麗な石がそんなにあるのか」と、またこの世界に驚いた。


理子さんの元に戻ると、彼女はしばらく興奮したように石を手のひらの上で眺めていたけど、顔を上げ、宝石の光が乗り移ったように輝く瞳で僕を見つめた。


「ありがとうございます、とても綺麗で…嬉しいです!」


「どういたしまして」




僕たちはその日は武器屋などは見ずに帰ることにして、家路に就いていた。すると、彼女の胸元に下げられた「子の石」が、急に光り出す。


「お兄様!」


「わかってる!僕は兵舎へ向かうから、これで!」


僕はもう走り出していて、彼女が「お気をつけて!」と叫ぶのが、後ろから聴こえていた。





あの日に始まった闘いは、すでに三日続いていた。補給部隊からは食糧や兵器が毎朝送り込まれ、僕たちは疲れや傷を負ってはそれを癒し、それぞれのギフトや手に持った銃で敵を打ち倒し、闘い続けていた。そして、ある者たちは戦場に伏した。戦友を悼む時間など無く、僕たちは彼らを残し、また立ち向かった。





「はあ…はあ…」


僕はその時、右腕と腹を切り裂かれて、血が噴き出るのを吹雪に治してもらっているところだった。吹雪の周りにはギフトを持った者が二人と、銃を構えた兵士が五人付き、僕の治療が続けられていた。


痛い。苦しい。痛い。でも、早く僕が戻らないと。僕は朦朧としている意識で必死に自分を取り戻そうとしながら、岩の上に横たえられていた。


「あと少しです!後方異常はありませんか!」


吹雪が叫んでいる。


「こちらに三体迫っています!発射!」


「俺の力に適うかよ!ミンチにしてやるぜ!」


そう叫んでいるのは、ジョンだろうか。


乱射される銃撃音が衝撃を生み、モンスターの唸り声や肉の引き裂かれる音、途中で倒れたのであろう咆哮のような悲鳴が聴こえてきた。少しずつ重く大きな足音が迫り、それが兵士たちの攻撃を凌駕していると、僕は直感で悟る。


戻らなくちゃ。早く。早く。戻って消さなきゃ、全員が死ぬ。


「間に合わない!大きすぎる!」


一人の兵士がそう絶叫した。


僕はそれまで横になっていたけど、「間に合わない」という台詞に急いで起き上がり、右腕を伸ばして残りの力をすべて注ぎ込む。


次の瞬間にはもう、モンスターは悲鳴や呼吸を存在ごと消され、何も残らなかった。戦場全体を揺らす地響きや悲鳴が遠くから聴こえ続ける中、僕たちの戦場だけはふっつりと音が途切れる。その場に居た兵たちは消えたモンスターに驚き、硬直していた。


でも彼らはすぐに僕を振り返って、口々にお礼を言ってくれた。


「お兄様!助かりました!」


「ありがとうございます!」


僕はそれに返事をしようとしたけど、腹から血が噴き出し続けていたのに起き上がって力を使ったことで、その場にバッタリと倒れ込んでしまった。でもその時、僕は見た気がする。遠くに青く光る、少年の姿を。






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