Episode.15 アイモ
「わあ…!ハンバーグだ…!」
「なかなか美味いもんだぜ」
僕たちは兵舎へと戻り、朝食を食べた。みんな美味しそうに食べていたし、その時はアイモという白髪の少年も、ハンバーグに喜んでいた。「おいしい!」と言って笑うアイモの顔が、さっき戦場で見た時とは全然違うことに、僕は戸惑っていた。
僕は一人で食事をしなくちゃいけなかったけど、ロジャーさんが「話し相手も居た方が食事は楽しいさ」と言って、前の席に座ってくれた。周りの席から僕とロジャーさんはじろじろ見られたけど、僕はアイモのことが気にかかっていたので、ロジャーさんにこっそり聞くには良かった。でもここは食堂だから、少し人目が多すぎる。
アイモは、隣に座ったヴィヴィアンさんにほっぺたに付いたソースを拭いてもらったり、吹雪さんから付け合せのコーンを分けてもらったりして、嬉しそうにしている。本当にただの子供だ。なのに、彼がさっき戦場で見せた、獲物を仕留める時の楽しみを知っている顔、そして、疲れを癒やした後すぐに「闘える」と言った時の、憎しみのこもった目。きっと何か理由があるに違いない。
「気になるか」
僕がハンバーグの付け合せの豆らしきものをいじくりながらアイモを盗み見ていると、目の前に居たロジャーさんはそう聞いてきた。
「アイモは…」
ロジャーさんは一瞬、少し切なそうに顔を歪めた。でもすぐに笑顔に戻って、「飯のあと、俺たちの部屋で話そう」とだけ言って、ハンバーグをせっせと口に詰め込んでいた。
食事が終わって兵たちが食堂を出ていく時、みんな朝の身支度も済んでいなかったから、各自の自室に一度帰っていったし、僕たちもそうしたけど、アイモだけは違った。アイモはヴィヴィアンさんに見送られて廊下の先にある、第一班の待機室へ真っ直ぐ向かっていった。僕とロジャーさんは自室に戻り、ロジャーさんが後ろ手に扉を閉める。
ロジャーさんは二段ベッドの下の段、僕のベッドに座って、胡座になった。僕は隣に腰掛け、床に足を垂らす。言いにくそうで、話すのが辛そうだったけど、ロジャーさんはそのうちまた、シャーロットさんのことを話した時のように、ぽつりぽつりと喋り始めた。
「アイモは…両親をモンスターに殺された」
それを聴き、僕は思わずロジャーさんを見た。ロジャーさんはこちらを見ない。
「…あれはもう、二年も前のことだ。外敵への監視体制も何もなかった頃で、まだ五歳だったアイモは両親と眠っていて、突然街に現れたモンスターに家が次々なぎ払われていく中、自分の家までモンスターが来た時、三人で慌てて目を覚ました」
そこでロジャーさんはポケットを探って、煙草のような箱とオイルライターを取り出したけど、少し見ていただけでベッドに置いた。
「アイモの両親は、アイモを外に逃がすためにその場に留まり、まだなんの力もなかったアイモは逃げるしかなかった…」
ロジャーさんの話が途切れるたびに、僕はアイモの顔、その表情を思い出した。僕を見てはにかんだ顔、嬉しそうにハンバーグを食べる顔、兵長の怒鳴り声にびっくりして怯えていた顔…。僕はそのアイモの顔が恐怖に怯え、悲しそうにくしゃりと歪むのを想像していた。
「そしてギフトを授かった日、アイモは世話になっていた家を飛び出し、軍まで来たんだ。俺がちょうど門番と押し問答していたアイモを見つけて、わけを聞く前にまずなだめようとした時だ。アイモはこう言った…」
僕は、なんとなく分かっていた。でもそれがどんなに辛いことだろうか。六歳や七歳の少年がそんな道を選ぶことの、どこに救いを見つけたらいいんだろうか。
「“奴らに復讐してやるんだ”。…あいつはそう言って俺を睨みつけた。俺が説得しても、兵長が怒鳴りつけても無駄だった…それに、あいつの力を見ただろ。充分役に立つ。俺は反対したが、兵長はあいつを「兵士」として採用した…」
僕は、「それは反対するのが当然だ」と思った。小さな少年に、復讐のために殺戮を繰り返させるなんて、どう考えてもおかしい。力なんてあってもなくても、あの子はまだ子供だし、人間なのだから。そう思って考え込んでいた時、隣のロジャーさんがベッドに置いた煙草をまた取り上げ、今度は火を点けた。憂鬱そうな灰色の煙は、風もない小さな部屋をたゆたう。
「あいつのベッド、待機室にあるだろ」
「あ、はい…」
そういえばそれも僕は気になっていた。どうしてアイモだけあそこにベッドを置いているのか。ましてや子供なんだから、さみしいんじゃないかと、今なら思う。
ロジャーさんはしばらくためらっていたけど、何口か煙草の煙を吸って、こう言った。
「“誰かと眠るのが怖い”…。あいつはそう言うんだ。一緒に寝てやろうとしても、泣いてわめいて部屋からおん出される。一緒に眠っていて、モンスターに両親が襲われたことが、今でも思い出されるんだろう。…“自分を守るために、そばに居る誰かが死ぬなんてもういやだ”…あいつはそう言って泣くのさ。仕方がないから俺たちはおやすみを言いに行くだけしか出来ない…あいつは今でも、苦しんでるんだ」
そう言ってロジャーさんは虚空を睨みつけた。それはアイモの両親を殺したモンスターを思い描いていたのか、もしくはこうなる運命の歯車を組んでいた何者かを憎んでいたのか、僕には分からなかった。
その後数日、僕たち軍には出番が無かった。もちろんその方がいいに決まっている。その間僕は慎重にアイモと距離を取りながらも、少しずつその距離を縮めていった。いつもはにかみ笑いで僕を迎える彼はとてもかわいくて、僕は宮殿に居る春喜を思い出したりもした。春喜とアイモは、ちょうど同じくらいの年だ。
僕はアイモが厩舎に行くところについていって、馬たちに一緒に飼い葉をやったり、訓練場でボール遊びをしたりした。そうしているとアイモも楽しそうだったけど、夜に眠る時間になると、アイモは一班の待機室へと一人で戻っていくのだった。
僕はある日、待機室に誰も居ない時、アイモのベッドに座らせてもらってアイモにこう話した。
「アイモ」
「なあに?お兄ちゃん」
僕はいまだに、兵士たちに自己紹介をしていない。みんなが当たり前のように、僕を「お兄様」と呼び、ロジャーさんは「あんちゃん」と呼ぶ。ヴィヴィアンさんは僕に目もくれなかった。
僕はうつむいて話し始めた。アイモは隣に居て、下から僕の顔を覗いていた。
「僕も…お父さんとお母さんが居ないんだ」
アイモはそれを聴き、とても悲しそうに、泣きそうな顔をした。だから僕はアイモの頭を撫でて、言い聞かせるように微笑む。
「でも、僕には弟が居る。今はめったに会えなくなってしまったけど…。だから、こうしていると春喜と居るみたいで、懐かしい気持ちになる。アイモが本当はさみしいのも分かるんだ。僕の弟もさみしがりだから…」
「僕、さみしくなんかないよ」
僕はそう言うアイモの頭をまた撫でようとしたけど、その手はそっと、アイモにどけられてしまった。
「アイモ」
「何」
アイモはこちらを見ない。だから僕は、こっそりアイモの後ろから腕を回した。そして、思いっきりアイモの脇をくすぐる。
「こちょこちょこちょ!」
「きゃー!何するの!やめて!やめてったら!くすぐったいー!」
そう言ってアイモは笑い転げていた。僕はアイモを思いっきりくすぐり、アイモが小さな体をくねくねと捩って逃げようとするのを追いかけた。でも、僕はそのうちに手を引っ込める。アイモは、くたびれるほど笑ったのがまたおかしくて笑ってしまうような、そんな顔で僕を見ていた。僕はまたアイモの頭を撫でる。アイモは気持ちよさそうに目を閉じた。
「アイモ、君をひとりぼっちにはしないよ。いつでも」
僕がそう言うと、アイモははっとして僕を見上げた。その時アイモには、今までの自分がはっきりと見えたに違いない。アイモの両目はひどく怯えて見開かれた。そしてうつむいて堪らえようとしながらも、アイモは泣き出した。それからしばらく、なんとか目をこすって涙を止めようとするのにそれが出来ず、押し止められない悲しみに、アイモは無我夢中で助けを求めて僕の胸に縋りついた。アイモの泣き声が、僕の胸に強く響く。
悲しみを留めておくなんて、子供には出来ないはずだ。アイモはずっとそれをしてきた。僕はアイモの頭や背中、肩をさすって抱きしめた。
「アイモ、アイモ」
「ママ…!パパ…!ママ…!」
アイモが泣き止んで、僕がアイモを抱きしめていた腕を放した時、バタンと待機室の扉が開いた。そして、戸口に立っていたヴィヴィアンさんは僕たちの姿を見た途端、こちらに飛んできて、僕をベッドから突き飛ばし、アイモを抱きかかえた。
「…アイモに何をした!」
「違うの!ヴィヴィアン違うよ!僕、慰めてもらっただけだよ!」
ヴィヴィアンさんは僕を睨みつけるのをやめて、腕の中のアイモを見る。
「慰めてもらった…?」
「そう!そうなんだ!だから…」
アイモがそう言おうとしたけど、ヴィヴィアンさんは僕をもう一度ぎりっと睨みつけ、こう叫んだ。
「お前にそんなこと頼んでない!お前はハルキ様とやらの手下だろう!」
どうやらここで、彼女の想いは吐き出されるらしい。僕もそれを聴きたかった。だから真っ直ぐ彼女を見た。
「…違います」
僕は床から立ち上がって、窓際に立った。ここからは、宮殿が遠く彼方に見える。空は綺麗に晴れていた。ヴィヴィアンさんは更に声を張り上げた。
「何が違う!ハルキ様とやらはな!命を勘定すらしないんだ!シャーロットを跡形もなくこの世から消したって平気なんだよ!それに、今度はその力をお前に授けて、軍に送り込んだんだ!魂胆が見え透いてる!」
僕はずっと、宮殿をよく見ようと目を凝らしていた。でもそれはいつまで経っても遠くにぼんやり見えるだけで、丘に咲いていた色とりどりの花たちも、青い地平線の境界をぼんやりと染めているのが、わずかに分かるだけだった。
「ヴィヴィアンさん」
「なんだよ」
僕はそこでヴィヴィアンさんに目を戻した。彼女はアイモを自分の後ろに隠して僕を睨んでいた。
「僕も、何かが間違っているんじゃないかと考えています」
「はっ…?」
そうだ、何かがおかしいんだ。僕はそう思って、もう一度宮殿の方を見据えた。宮殿の頭にある青い水晶玉が、ちらりと光った。
「何かがおかしい。それは僕もずっと感じていました」
僕がそう言った時、ジョンさんとロジャーさんが「よお」と言って、開いたままの扉から現れた。僕は話を続ける。
「僕の弟は、この地で「神」と呼ばれている。でも、人が神になることを神がタダで許すでしょうか?それに、神の力を分け与えておきながら、外からの侵略者によって、僕たちを脅かすなんてことを神がするでしょうか?まるで反対のことをしているじゃないですか」
ヴィヴィアンさんは信じられないという目をして、考えようとしたのか、目を伏せた。ジョンさんとロジャーさんは、「何が始まったんだ?」という顔で戸惑っていた。僕は構わず、また続ける。
「現実には有り得ないことが、もう数え切れないほど起きているんです。何が起こってもおかしくない。…もしかしたら、神は僕たちのことをあまり良く思っていなくて、何かをするために、僕の弟を利用しているのかもしれない。なら、僕はそれを全力で止めたい」
僕はそこで部屋の中に居る、アイモ以外の人を見渡す。
「僕は、弟に会いに行って、このことを確かめられないか、やってみるつもりです」
すると、ジョンさんがそこで口を開いた。
「そいつは無理だ。兵士はハルキ様に会えないことになってる。オズワルド様にそう命令したらしい」
僕はそれで確信した。軍には、春喜に疑念を抱いている人が多い。それを遠ざけるということは、その「疑念」を辿れば「真実」に近づくからかもしれないからだ。
「とにかく、皆さんも考えてみてください。そして、方法を見つけて、僕は春喜と話が出来ないか、やってみます」
その場は静まり返り、誰も何も言わなかったけど、みんな同じことを考えているだろうと僕は思っていた。
Continue.
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