Episode.13 消えた彼女、消す力
僕たちは、怒鳴り散らしていったヴィヴィアンさんを見送ってロジャーさんの部屋に入った。ロジャーさんは窓際にあった小さな木製の丸椅子に腰掛け、その前のテーブルに腕をもたせかけた。椅子はもう一つあった。
「まあ掛けな。話をしよう」
僕は小さなテーブルを挟んでロジャーさんと向かい合い、自分もテーブルに肘をついた。まるで内緒話をしているような小さな声で、ロジャーさんは長い話を始める。その前に、彼はちょっとくたびれたように微笑んで、ため息を吐いた。でもそれは、そんなに思い詰めているようには見えなかった。
「この部屋には…もう居ない兵士が俺と同室で入ってた。名前はシャーロット。シャーロット・ウォーターズ。俺と同じで、元の世界ではイギリスに暮らしていたらしい。ここに来るまでは、会ったことはなかったけどな」
そう言ってロジャーさんは懐かしそうに目を細め、すぐに下を向いて小さく笑う。もう一度顔を上げた時、彼の目には深い悲しみがあった。それから彼が消え入りそうな声で喋るので、僕は少し身を乗り出した。
「シャーロットは、強かった。彼女の能力は、相手のすべての動きを、一時の間まったく止められる力だった。そこを俺が焼き尽くす。俺たちはそうやってパートナーを組んで、闘ってた。シャーロットの強さはそればかりじゃない。どんな時でも冷静で、だから絶対にタイミングを逃さなかった。それで俺たちは信頼し切っていて、あいつがあんなことになった時、見逃しちまったんだ…」
そこでロジャーさんはしばらく悲しそうに眉を寄せて、ぐっと涙を堪えているように唇を震わせながら必死に閉じていた。僕は、「あんなこと」とはなんなのか聞きたかったけど、ヴィヴィアンさんが「シャーロットを殺した」と言っていたので、その先を僕が言葉で聞き出そうとすることも出来なかった。それに、それが春喜の手によってなされたのだということの詳しいいきさつも…。
やがてロジャーさんは涙を封じるためにきつく目を閉じ、鼻の根本を押さえて首を振る。
「…あいつは、あの日俺たちが対峙することになった怪物に飛びかかられて、首元に噛みつかれたんだ…。もちろん、俺がすぐに焼き払った…。でも、その時すでに、シャーロットは正気じゃなくなってた…。俺が焼いた奴は、毒を持ってたんだ。だからシャーロットはそれに侵されたのか、錯乱したようになりながらも俺に向かって自分の力を使い、襲い掛かってきた。噛みつこうとしてな…」
僕は、ロジャーさんが語ることに次から次へと驚いていたけど、それを顔に出すことは出来なかった。これは彼の辛い記憶だ。最後まで僕は邪魔をせずに聞かなきゃならないと思った。ロジャーさんはそこでついに涙をこぼし、悔しそうに歯を食いしばって、テーブルに乗せていた手に力を込めて拳を震わせていた。
「俺が…俺たちがあいつのことをちゃんと見ててやりゃあ、あんなことにはならなかったんだ。俺がどんなに後悔したって、一生謝ったって、あいつはもう帰ってきやしないだろう…」
ロジャーさんはそれからごく近くを見るような目をして、まるで今目の前でそれが起こっているように、その先を話してくれた。
「シャーロットが俺に飛びかかってこようとした時…突然「ハルキ様」が現れたと思ったら、シャーロットは俺の前から消えちまったんだよ…まるで霧みたいにな…」
それで僕は半分くらい合点がいった。そうか。春喜はそれをしたから、軍の人たちから恨まれているのかもしれない。ロジャーさんは、額を壁にぶつけようとする時のような動きで、なんとか悔しさを逃がそうとしている。そのたびに、テーブルを涙の粒が叩いた。
しばらく黙ってロジャーさんは泣いていたけど、顔を上げて僕を見つめる。
「あの時、もしハルキ様がああしなかったとしたら、俺たちは全滅だっただろう。シャーロットは誰の動きでも止められるんだからな…だから、お前の弟がしたことは、残るみんなを助けるためだったと俺は思う。でも、ヴィヴィアンやジョンはそうは思ってねえ。吹雪なんかは元々そんな考え方はしねえが、…ヴィヴィアンたちは、「ハルキ様はただ面倒ごとを片付けたかっただけだ」と思ってるんだ。だからお前はあんなふうに言われたんだ…。すまねえ。でも、ヴィヴィアンとシャーロットは特に仲が良かったから、頼むから責めないでやってくれ。あいつも傷ついているんだ…。すまねえ、頼むよ…!」
ロジャーさんが必死に僕に懇願するその目は、確かに僕と、僕の弟を信じてくれている目だったけど、やっぱり悲しそうだった。僕はとても居た堪れなくて、自分も泣きそうになるのをなんとか堪えた。
「わかりました…。ロジャーさん…あなたはとても、優しいんですね」
僕がそう言うと、ロジャーさんはちょっと笑って顔の前で片手を振った。
「そんなことねえよ。それに、「さん」付けはやめてくれ。「ロジャー」でいい」
その晩、二段ベッドの上の段をロジャーさんは譲ってくれようとしたけど、僕はそれは遠慮して下の段に寝ていた。
「ロジャーさん」
もぞもぞと布団を動かす音がして、「なんだぁ…?」と、眠そうな声がする。
「僕、頑張ります」
「…おうよ、おやすみ」
「おやすみなさい」
「おいあんちゃん!起きろ!敵襲だ!」
僕はその怒鳴り声と、肩を思い切り揺する腕で目が覚めて、びっくりして飛び起きた。そのまま服も着替えず顔も洗わずに、僕はロジャーさんに連れられ兵舎を飛び出して、集合場所へ向かう。
集合場所となっていた門と兵舎の間の訓練場のような場所には、もう兵長や隊員が出揃っていて、僕たちは兵長に「遅い!」と怒鳴られた。
「これで全員揃った!戦場まではそう遠くない!気を引き締めていけ!奴らを全力で排除しろ!ではこれから車で移動する!」
二人くらいの兵士が引いてやってきたのは、大きな大きな荷車のようなものだった。でも、車を引いているのはどう見ても馬ではなかった。その動物は馬車に三匹繋げられていて、毛足が長い大きなモップ玉のような、ずんぐりむっくりした見た目だった。毛が長い牛みたいだ。三匹とも顔の両側から二つの角が突き出していて、鼻息も荒く前足で砂を掻いている。僕たちはその馬車に次々乗り込んで、馬を引いてきた兵士がぴしっと一鞭くれると、車は戦場へと走り出した。
馬車に乗っている時、ロジャーさんが慌てて僕のところへやってきた。
「そういえばお前のギフトを聞いてなかったな」
僕たちは馬車にガタゴトと揺られて会話すら聴き取りづらい中、話を始める。
「ああ、それは…」
「聴いておいた方が俺たちが具合が良いんだ。作戦も立てられる」
ロジャーさんの目には、なんの疑いもなかった。僕も、自分が悪いことをしているわけじゃないのは知ってる。でも彼に、シャーロットさんのことを思い出させたくなかった。僕の能力は、「消し去る」ことなのだから。でも僕がこれを言わなければ、戦場で誰かが不利な場面に追い詰められるかもしれないんだ。
僕はちょっとロジャーさんに申し訳ない気持ちで微笑み、「右手をかざすと、ものが消えるんです」とだけ言った。彼はそれに驚いて目を伏せ、すぐに取り澄まして「そうか、わかった」と答えてくれたけど、もう僕の方を見なかった。
そこは、一滴の水も無い岩場だった。兵長が一番前に立って僕たちにこう言う。
「先ほど監視者からの報告で、ここから前方20キロの地点でモンスターが3体確認された!第一班はその地点へ向かえ!第二班もそれに続き、第一班の戦闘が見通せる高地を選んで援護をするように!他の者はここで待機!」
全員が「はい!」と返事をして、僕たちはモンスターとの決戦場へ歩き始めた。
歩き始めてしばらくして、僕は何かが呼吸している音のようなものが聴こえてくることに気づいた。僕の前には白髪の小さな少年を連れたヴィヴィアンさん、その前にロジャーさん、そしてロジャーと並ぶようにジョンさん、僕の後ろには吹雪さんが歩いていた。
「あの…何か音がしませんか?」
僕がそう言うと、さっきからイライラとしていた様子のヴィヴィアンさんが振り向き、「何もしないよ、黙って歩きな」と突っかかってきた。でも僕には確かに聴こえていた。かすかにだけど、「フウウ…スウウ…」と、大きな体で何者かが息をしているような音が、ちらっとだけど聴こえてくる。
すると白髪の少年は立ち止まり、「ほんとだ。近いよ」と、何気ないけど低く引き締まった声でつぶやいた。隣に居たヴィヴィアンさんも、他の全員も辺りを見回す。でもどこにもそれらしい影は見えず、背の高いジョンさんが近くにあった岩の柱のような高い場所へ登ろうとした。彼はひょいひょいと岩場を登り、こちらを見下ろす。そしてみるみる顔を凍りつかせて、大声で叫んだ。
「下だ!全員食われるぞ!逃げろ!」
僕たちが足元を見ると、岩場だと思っていたものは、巨大なモンスターの顔だった。それはゴツゴツとしていて岩に似てはいたけど、確かに瞼が二つあり、横長の鼻の穴から、土煙を舞い上がらせている。大きな口は土中に隠されているのか見えない。
「ひっ…うわあっ!」
「逃げろ!」
「走って吹雪!」
「早く!早く!」
僕たちは蜘蛛の子を散らすように次々と逃げ、その気配でモンスターは目を覚ましたのか、土の中からがぼっと一気に体を現した。硬い殻のようなものに覆われた体全体はゆうに10メートルはあり、ぶらりとそこから長い前足を下げて地面につけ、鉤爪で地面を引っ掻き、僕たちをその目と鼻で探していた。
僕は全員がどこに逃げたのか確認しようとしたけど、驚いたことに、白髪の小さな男の子は、岩場の陰にも隠れずに、平然とモンスターから15メートルくらいの場所に立っていた。もちろんモンスターは一番先にその子を見つけ、後ろ足を蹴る。
「あぶない!!」
僕がそう叫ぶのと、男の子が両手をモンスターに向けたのは同時だった。
「あっ…!」
モンスターはそれ以上走ることは出来なかった。その体は音もなくぷかりぷかりと宙に浮き上がり、高く上がっていったからだ。モンスターに向かって両手を差し伸べている白髪の子は涼しい顔でロジャーさんを振り返る。その顔は、どこか楽しそうにすら見えた。
「どうする?ロジャー。焼く?」
すると岩場の陰からロジャーさんは出て、隣の岩場に居た僕を手招きする。僕はおそるおそるながら、宙吊りにされてもがき続けているモンスターを見上げた。男の子の両手がじりじりと震えだす。
「早くして。ちょっと疲れてきたから」
男の子は額に汗を滲ませて僕たちを振り返った。ロジャーさんは僕を振り向く。
「お前の力を見せてやれ、みんなに」
僕が戸惑ったままでいると、ロジャーさんは「おいお前ら!もう大丈夫だから出てこい!新入りの力試しだ!」と四方に響くように叫んだ。みんな出てきて、僕たちの周りに集まりだす。
僕は不安だったし、気が進まなかった。まだこの力は使い慣れていないし、いくらなんでもあんなに大きいものが、兵長のインク瓶と同じようにすっと消えてしまえるわけがない。それに、この隊の人たちの苦い記憶を呼び戻してしまうんだ。
「ううう…」
苦しそうなうめき声に白髪の少年を見ると、少年は汗みどろになって、空中に向かって必死に震える両手を押し上げていた。
「早く!落ちてくるよ!」
「あんちゃん!やるしかねえ!」、ロジャーさんもそう叫ぶ。
僕はとにかく空中にぶら下げられたモンスターに向かって右手を構え、目を閉じて、「消えろ!」と念じた。それは一瞬のことだったけど、自分の手のひらが、かっと燃えるように熱くなったのを感じた。
おそるおそる目を開け、空を見上げると、何も無かった。いや、青い青い空に、ぽっかりと白い雲が浮かんでいるのが見えた。上手くいったのかと思って地上に目を戻すと、僕の前に居た白髪の少年が、ゆらりと倒れようとしているところで、僕は思わずそれを抱えようと走り出していた。
Continue.
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