僕の弟、ハルキを探して

桐生甘太郎

Episode.1 ハルキ






僕が異世界に来て、もう一年経つ。兵士となり、「英雄」と呼ばれる前はただの人間で、何の力も無かった。でも、その頃のことをまだ思い出しては「帰りたい」という思う気持ちを、僕は消すことが出来なかった。それに、自分の弟がずっと気がかりだった。


僕は、街の外れにある一棟の家を丸ごと与えられ、居間の暖炉の火が生きているかのように燃え続けるのを眺めながら、ビロード張りのソファに腰掛けていた。目の前には、メイドさんが用意してくれた夜食のサンドイッチが、小さなテーブルに乗っている。


僕は今や、この世界で「最強」と呼ばれる能力を持ち、もう充分にそれを使いこなすことが出来る。でも、いくら「最強」でも、弟を元に戻してやることも出来ない。


どうしてこんなことになったんだろう。それを考え続けながら、闘いの後のとろとろとした眠気と、思い出される昔のことを考えていた。








僕はその日、道を歩いて家路に就いていた。



このあたりの商店街は煤けてしまって、店を開けているのは酔客相手に料理を出す小店と、それから床屋くらいなものだった。僕は、その二店だけが今日も店を開けているのを一瞥し、素通りする。八百屋も、魚屋も無い。でもまだあの二つの店は続いている。


どうしてそんなことになっているのか。「君の住むところは田舎の寂れた街なの?」と聞きたい人も居るだろう。冗談じゃない。ここは東京だ。それも、新宿だ。なのに、僕以外の人がほとんど通らない、潰れた店しかほとんど無い道を、さっきから僕は偵察していた。


僕は、二十一歳になった。本当なら、どこかの会社の平社員としてか、もしくは大学に進学して、「つまらない」と言いつつも、命を脅かされることなど無い日々を送っていたはずなんだ。





それは、僕が十八歳の時に起きた、一件の行方不明事件から始まった。ラジオからきちんと音声が聴こえているのか、祈る思いで聴いていたあの日のことを思い出す。


“東京都に住む小学一年生の男の子、タキガワハルキ君が、今朝方学校に登校してからの行方が分からなくなっており、学校側も「登校はしてこなかった」とのことで、警察では行方不明事件として捜査をし、情報提供を呼び掛けております。タキガワ君は身長120センチほどでやせ型で髪は短く、不明当時は青いTシャツに黒いジーンズ、そして青いランドセルを背負っていたとのことで、お心当たりの方は警視庁新宿警察署か、もしくは110番へ情報をお寄せ下さい。続きまして…”



その日から、日に日に不明者は増えていき、今じゃ東京は、まるでもぬけの殻のゴーストタウンとなった。でも僕は、事件の発端となった新宿に住んでいたまま、ねぐらを変えはしたが、そこから離れることはなかった。


行方不明になった男の子、タキガワハルキ。字を書けば「瀧川春喜」となるが、それは僕の弟だ。


僕たちは、父と母、僕、そして弟の四人家族だった。そして、居なくなったのは春喜だけじゃない。


うちには犬が居た。弟は人懐こいその犬をとても気に入って、なぜか「タカシ」と名付けて、人間のように扱い、一緒に勉強までしようとした。でも、春喜が居なくなった日に、気付いたらタカシも居なくなっていた。母さんはタカシのことなど後回しにしていたが、僕は気にかかっていた。春喜が家出をしようとしてタカシを一緒に連れて行った可能性だってあったからだ。でもそれは、その場では言わなかった。あんなに落ち込み、怯えて悲しんでいる母さんに、そんなことは言えなかった。


そして次の日、父さんは帰ってこなかった。母さんは狂乱しているように、夜明けまで眠らずに何度も警察の人に連絡を取ろうとして、でも、その日すでに全国区で頻発し始めた行方不明事件に振り回されていた警察は、ほとんど電話が通じなかった。



その翌日、母さんも家から忽然と姿を消し、どこを探しても見つからなかった。僕は、「これはただの行方不明事件なんかじゃない、ここに居ればまずいことになるかもしれない」と思ったので、すでに誰も居なくなっていた一軒の空きビルの中へ、身を潜めることにした。



新聞社やラジオ局には政府が人手を集めていたので、ラジオはずっと聴けたし、新聞も新聞屋に行けば買うことが出来た。日を追うごとにラジオでは行方不明者の名前を読み上げる時間が長くなり、新聞にはまるで、戦時の速報かのように小さな字で延々と人名が連なっていた。「死亡」と書かれていないだけマシかもしれないが、その人達にもう一度会えた人間はまだ居ない。



母さんが居なくなった翌日、僕はビルの中の会計事務所だった一室のソファで、かっぱらってきた毛布に包まり、ガタガタと身を震わせていた。「今度は僕の番だ」。そう思っていたからだ。ところが、空が白みだし雀が甲高く泣き叫ぶ頃になっても、何も起きなかったし誰も来なかった。何も見なかった。



それから数年が経ったが、街にはほとんど人が居なくなった。始めに話した通りこのあたりでは店も無い。スーパーはあるが、ほとんど品物は並ばず、その中から何を持って行ったところで、誰も見向きもしなかった。床屋の主人は金を取らずに土産物だけもらって髪を切り、居酒屋のおかみは酒さえもらえればあるものを出してくれた。僕も居酒屋には何度か行ったが、二度と入りたくなかった。


その居酒屋では、どの客も「あいつが居なくなってせいせいした」だとか、「この世も終わりだなあ」なんてことを言いながら、「次は自分なのではないか」という絶望を隠すためだけに酒を飲んでいるように見えた。おかみは、いつ行ってもろれつが回らないほど酔っぱらっているらしい。あんな場所はもうごめんだ。


学校や行政の方はどうかと言うと、生徒も教員もほとんどが居なくなってしまったので、新宿では今、小学校も中学校も、大学に至るまでが小さな一つずつの教室しか残っていなかった。進学も学部もあったもんじゃない。



国外でも状況は同じだった。人が居ない。残りの人たちは生きていくために働き、物を分け合っている。海外産の嗜好品などは真っ先に手に入らなくなった。流通も、経済も死んでいた。




つまりは、世界は、終わりかけていたのだ。でも僕は、弟を必死に探していた。





それはある日のこと。その日、僕はいつもの通りに「小早川会計事務所」の戸を開けて、侵入者が居ないかだけを戸口から確認してから、中に入った。スーパーから「もらってきた」荷物を応接間の方へ運ぼうとして、いつもの通り、気分が暗くなるだけではあるが「所長」のテーブルの上に置いた、手回しラジオのスイッチを押した。このビルには電気は通っていない。


ラジオから聴こえてきたのは、行方不明者の読み上げではなかった。



「本日起きました行方不明事件の中で、一件、警察が興味を示したものがありました。皆様にも注意を呼び掛けるため、お知らせ致します。本日午後から姿が見えなくなりました、葛飾区の三十五歳の男性のテーブルに、「メモ書きのようなものが見つかった」と家族からの通報があり、そこに「子供が」とだけ書かれていたそうです。テーブルの周囲に争った形跡が見られることから、警察はまたしても捜査の軌道修正を迫られ、いまだ手探りのまま、残り少ない警察関係者による、必死の捜査が続けられております…」



僕は途中から、ラジオを両手で掴み取り、かじりついて聴いていた。いつもは名前だけが続くラジオにうんざりしていたが、僕がラジオを手放さなかったのは、この瞬間のためだった。


「子供…」




この事件は、春喜の失踪からすべてが始まった。僕はそう思っていた。葛飾に向かうべく、僕は駐輪場に走り降りていった。







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