みーくんは今日も夕陽を眺める (改訂版)

ゆうすけ

第1話 僕の仕事はみーくん次第

「ショー君、お疲れさま。今日は大変だった?」


 アリサさんは、僕の出した伝票に綺麗な字でさらさらとサインをして、するりと引き出しの中にしまいながら言いました。


「んー、そうでもなかったです。ちょっと寒かったぐらいかな」


 伝票をアリサさんに提出して、僕の今日の仕事は終わりです。

 アリサさんは長いまつ毛と黒髪が印象的な、美人なお姉さんです。僕が仕事を始めたころからずっと、受付はアリサさん一人で回しています。


「で、アリサさん、明日はどうなってるんです?」

「ごめんね、ショー君。まだ分からないのよ。本当は一件入れておきたいんだけど、告知が終わらなかったみたいで」

「そうなんですか。まったく、みーくんももう少しまじめに働くべきですよね」

「あれが彼女のスタイルなんだから。みーくんのこと責めちゃだめよ?」


 なんだ、またみーくんの告知待ちなのか。

 僕はそっとため息をつきました。

 

 みーくんは名前からの連想を裏切って、女の子です。なぜみーちゃんでなくてみーくんなのか、長い付き合いになる僕も知りません。

 そして、みーくんはとても気まぐれです。

 告知の仕事は彼女の専任。それが遅れると、後に控える僕が困ることになります。何日も続けて暇になったり、そうかと思えば一日何件もまとめて仕事が入ったり。そういうことが、これまでにもしばしばありました。

 でも、なんだかんだでみーくんがそのことで注意されたり、怒られたりしているのは見たことがありません。告知の仕事の細かいことや決まり事は、個人情報に関わるから、とみーくんもアリサさんも決して教えてくれません。なんとも釈然としませんが、それが僕たちの職場の長年の慣行でした。


「でも、さすがに困りますよ。もう少し計画的に仕事しろって注意してやろうかな」

「でもね、ショーくん。あれでずっと問題なくやってきてるでしょ?」

「いやいや、問題なら起こってますよ。現に僕が明日休みか仕事か分かんないじゃないですか」


 僕の声は少しだけ尖ったものになっていました。アリサさんは綺麗な横顔にわずかに困惑の表情を浮かべています。でも、みーくんの仕事の態度についてアリサさんに苦情を言うのは筋違い、ただの八つ当たりです。


「ショー君、あんまりみーくんを責めないであげて」


 アリサさんは少し困った様子になりながらも、大人の対応でさらっと受け流します。僕は申し訳ないことをしたかな、と反省しました。みーくんに仕事させるのと、アリサさんに嫌われないのとどちらか選べ、と言われたら、迷う余地は全くありません。

 考えてみると、さぼり気味で遅れ気味であっても、最終的にみーくんが仕事をことは今まで一度もなかったのです。それは簡単なようで、なかなかできることではありません。後ろの僕があたふたすることにさえ目を瞑れば、みーくんは極めて優秀に仕事をしているといえます。アリサさんがみーくんに少し甘くなるのもいたし方ないことかもしれません。


「あ、ごめんなさい。アリサさんを困らせるつもりはないです。今日はもう帰りますね」


 僕はそう言い残して受付を離れました。奥の控室のさらに奥にある更衣室に向かいます。


 更衣室で仕事着から普段着に着かえ、道具をロッカーにしまって、タイムカードを押す。ここまでが仕事終わりの一連のルーチンです。

 今日は楽な仕事でしたが、やっぱり仕事着を脱ぐと解放感が体中から染み出します。長くて邪魔な仕事道具をロッカーに放り込むと、やっと一日の仕事が終わったという実感がわいて、気分も軽くなります。

 この職場は仕事着の着用が決められているかわりに、行き帰りの服装は自由。今日の僕はGパンにブルゾンというラフな格好です。僕は肩を軽く回すと、更衣室を後にしました。


 帰り際、アリサさんに「それじゃ、失礼します」と声をかけます。アリサさんはいつもの優美な表情で「お疲れ様。良かったらこれ持って行ってね」と受付のカウンターごしに缶コーヒーを二本くれました。


「二本?」

「みーくんの分よ。彼女もさっき仕事が終わって帰って行ったから」

「そうなんですか。じゃあ、渡しておきます」


 なんだ、みーくん、一応仕事してたんだ、と意外に思いました。みーくんのことだから、一日中こたつで寝ているか、それとも好きな料理を食べに街を出歩いているかだと思っていました。思い込みは良くないです。僕はまた少し反省します。


「アリサさん、みーくんの今日の仕事、明日僕に回ってきたりしませんよね?」


 実は、アリサさんは、昔はみーくんと同じ仕事を担当していたそうですが、今ではここの責任者兼受付で、僕とみーくんのスケジュールを調整するマネージャーのような仕事が本職です。伝票を整理したり、タイムカードを回収したり、僕たちの仕事着を洗濯したりしてくれているのは、あくまでおまけです。


「その仕事はあさってに組んであるわ」


 みーくんの告知の仕事の後に、僕の出番が来るまでの間隔はさまざまです。翌日の時もあるし、半月かかることもあります。平均すると二日から三日ぐらいでしょうか。アリサさんによると最長で半年かかったこともあったそうですが、僕はそこまで間が空いた経験はありません。

 逆に、みーくんと一緒に仕事場に行って、みーくんの告知の後、すぐ僕が仕事をする、というパターンもありました。しかし、その短さは異例中の異例です。長年やってきていますが、数えるほどしかありません。


 僕とみーくんがペアになってからは、みーくんの告知と僕の仕事の間が短くなりがちだ、ともアリサさんは言います。みーくんの前任者は、聞くところによるとさっさと仕事を消化してしまうタイプで、逆にみーくんはぎりぎりまで仕事を後回しにするタイプなんだそうです。そのあたりのやり方は各自の個性にある程度任されているようです。


 ここしばらくわりと忙しかったので、明日の休みがなくなるのは勘弁、と僕は思いました。


「ショー君、しつこいかもしれないけど、あんまり彼女を責めちゃだめよ?」

「……はい」


 まっすぐ僕をみつめるアリサさんのきれいな瞳に、ちょっと不本意ですが、僕は頷かざるを得ませんでした。

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