バイト先の喫茶店でクラスメイトが泣いてたので、ココアをサービスしてみた。

左リュウ

第1章 人形姫との契約

第1話 ココアをサービスしてみた

 人生において、気まずくなる時というものがあると思う。


 たとえば、小粋なジョークをかましたと思ったら全くウケなかった時。

 たとえば、顔見知りだがそんなに話したこともない人と二人きりになった時。

 たとえば、友達と喧嘩してしまい謝るタイミングを逸してしまった時。


 色々あるのだろう。そして、中でも最も気まずい時は、どんな時だろうか。


 今の俺は、その答えを知っている。


 それは――――


(…………気まずい)


 ――――女の子が泣いている時、だ。


「………………っ……」


 空のように蒼く透き通った宝石のような瞳。

 制服の下からもその存在感を主張させる抜群のプロポーション。

 全てのバランスが調和のとれた芸術品さながらの美貌と、お人形のような愛らしさを兼ね備えている『完璧』なる少女。誰が呼んだか、『人形姫』。


 真白桜月ましろさつき


 彼女こそ俺が通う天上院学園のアイドル的存在であり、俺と同じ一年A組の教室に通うクラスメイトであり――――俺のバイト先であるところの喫茶店で、なぜか独り涙を流している困った客だ。


(なんで泣いてんだよ……)


 ここは喫茶店『ウインドミル』。

 街の片隅にある小さな喫茶店だ。店主の道楽で経営しているというこのお店は、隠れ家的な場所として地元の人からほんのりと愛されている。


 そして俺は高校進学を機に、ここの店主のご厚意でバイトさせてもらっている。

 いつもは平和でお客さんの流れも穏やかで。

 修羅場とは縁遠いはずのこのお店に、なぜか俺の人生史上最大の気まずい瞬間が訪れるとは予想もしなかった。


 しかも、バイトに入って早々だ。休憩時間という言い訳も使えない。

 せめて店内に他の客でも居ればよかったのだろうが、生憎と今のところ店内にいるのは俺とあの真白桜月の二人のみ。


 店主マスターは休憩とかいって奥に引っ込んでるし。


 更に言えば、まだ声を出して泣きじゃくってくれればいいのだが、どういうわけか彼女は声を押し殺して……いや、声を出すまいと必死に何かを堪えるように、静かに涙を流すだけ。見ている側が辛くなるぐらいに。


 ……まあ、それって。俺のことなんだけれど。


(…………つーか、なんでこっちが気まずくならなきゃいけないんだよ。何にも悪いことしてないだろ)


 思わず愚痴っぽく心の中で吐き捨ててしまうのは、日頃の店主マスターを見ているからだろうか。


 悩んだりしてる客が居れば、さりげなく声をかけて悩みを聞いてあげてたりしてるもんな。コーヒーを一杯だけ出して、「私からのサービスです」とか言ってさ。


 そういうのを日頃から見てるせいだろうな。なんか、罪悪感みたいなのが湧いてくるのは。


(……仕方がない)


 様子を見たところ何か相当なことがあったんだろうし。


 何より。その姿が今にも、壊れてしまいそうだった。

 危うくて、危なっかしくて……少し目を離しただけで、バラバラに壊れてしまいそうで。


 昔の愚かな自分を、思い出してしまいそうになったから。


「……ん」


 何か優しい言葉でもかけてあげられればよかったが、俺は器用でもなければ店主マスターのような人生経験もない。


 ただココアを注いだカップを、彼女の前に置くことしか出来なかった。


「…………?」


 どうやら前は見えていたらしい。

 真白は頬に雫の軌跡を描きながらも、置かれたカップと、その中に入ったココアを見つめている。


「これ、は……?」


「……店からのサービスです」


 本当は店主マスターのように、『俺からの』とでも言えればよかったのだろうが。

 何となく気恥ずかしくて、『店からの』と口走ってしまった。


 彼女はその美しい蒼の瞳でカップを見た後、俺の顔をまじまじと見つめて。


灰露はいろ、くん……? どうして……?」


 意外にも。彼女は俺の名前を知っていた。そりゃあ、同じクラスなのだから当たり前なのかもしれないが。


 相手は人並外れた完璧さから『人形姫』とまで呼ばれている存在で、対する俺は特に目立つことも何もない、地味な存在だ。


 名前を認知してくれていること自体が、意外だった。


「ここでバイトしてんだよ。……で、バイトに入ってみたら真白が泣いてた。気まずくなったからそれを置いた。そんだけ」


 ダメだ。説明すればするほど恥ずかしくなってきた。というか説明をさせるなよ。察しろ。空気を読め。


「たまに店主マスターが客に同じようなことするから、その真似をしただけ。……まあ、店主マスターの場合はコーヒーだけど」


 そもそも俺はまだバイトを始めて二ヶ月ぐらいだし、コーヒーの淹れ方なんて教えてもらってない。……というかあの人、あんまり真面目に仕事を教えてくれないんだよな。


「……………………」


「……要らないなら、無理して飲まなくていいぞ」


「いえ……いただきます」


 真白はカップを手に取ると、小さくココアに口をつける。


 その所作がいちいち綺麗で。丁寧で。……どこか、儚い。


「温かい、ですね…………」


 いつの間にか彼女の頬を伝う雫は乾き。

 彼女の顔には、少しばかりの笑顔が咲いていた。




 それだけ。それだけだ。


 真白はその後、律儀にもお礼を言って帰っていった。


 なぜ彼女が泣いていたのか。その理由は気にならなかったと言えば嘘になるが、わざわざ訊ねようとも思えず。


 明日からはただのクラスメイトに戻り、いつも通りの日常を過ごすものだと――――そう思っていた。


 この時出した一杯のココアがきっかけで、俺と真白の関係が大きく変わることになるとは……この時の俺は、想像もしていなかったのだ。




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