私は、3.11を忘れない
RURI
私は、3.11を忘れない
長かった様な、短かった様な。
今日で、2011年3月11日午後2時46分に発生し、大きな揺れと津波で各地に甚大な被害を与えた東北太平洋沖地震から、ちょうど10年。被災地は少しずつ復興の道を歩み、その影響を肌で感じる機会は少なくなってきた。報道される機会も段々と減ってきて、連日のようにニュースで取り上げられていたのも今となってはもう大分前のことに感じられるほどである。
今でも福島第一原子力発電所事故の影響で住んでいた場所に戻れない方々がいたり、行方不明のままの方々がいる。10年経っても未だ、その傷跡が完全に癒えている訳ではない。
私は震災を知らない。なぜなら10年前のあの時、一番大変だった時に私はそこに居なかったから。ものすごい揺れが街を襲う様子を、津波が何もかもを飲み込んでいく様子を、私はテレビの前に立ち尽くして何も出来ずにただただ見ていることしかできなかった。
あれから10年。当時まだ小学生だった私が、大学生になるだけの月日が経った。東日本大震災を知らない世代が、小学生になるだけの月日が経った。津波に飲まれた仙台空港は完全に復活し、ひと月以上も止まった新幹線は延伸されて北海道まで行けるようになった。地盤沈下で浮き上がっていたマンホール、うねうねと波打ちひび割れていた道路は、今やどこにも見当たらない。
2013年には星野仙一監督(当時)率いる東北楽天ゴールデンイーグルスが日本一に輝き、被災地に光をもたらした。あの時の日本シリーズでホームランを打った選手が、今やコーチとして選手育成に携わっている。あの時在籍した選手も、今もイーグルスでプレーしているのは十数名ほどである。
今日であれから10年。取り上げられる機会は減り、その爪痕を感じる機会も減った。震災を知らない世代もだんだん増えてきて、そしてこれから震災を知っている世代は少なくなっていくのだろう。私自身、震災を意識する機会は減ってきている。やがて東日本大震災は記録としては残っても、人々の記憶からは無くなっていってしまうのであろう。
だけど、せめてこういった瞬間だけでも。10年前の今日、平穏な日々を切り裂く大災害があったのだと、未だに元の生活に戻れていない方々がいるのだということを意識して欲しい。
あれから10年。未だに、震災は終わっていない。つい一月前には、東北太平洋沖地震の余震とみられる最大震度6強を観測する大きな地震があった。久しぶりに新幹線が止まり、未だに元通りのダイヤには戻っていない。
あれから10年。震災を知らない世代が増えてきた。そしてこれからも、間違いなく増えていく。
あれから10年。この10年、色々あった。震災が取り上げられることは徐々に減り、恐らくは人々の記憶からも少しずつ無くなっていっている。コロナウイルスが全世界に蔓延し大きな影響を与えている今日、震災を考えることは少なくなった。
でも、せめてこの時だけでも。10年前のあの日、多くの命を奪い、一瞬にして生活を脅かした大災害があったのだということを思い出して欲しい。それが、明日は我が身に起こるかもしれないものだということも。
あれから10年。あの時、私は何も出来なかった。これまでも、別に何か出来た訳ではない。
でも、忘れないことだけは出来る。あの未曾有の大災害を、風化させはしない。私に出来ることはちっぽけなものだけれども、今私に出来ることはやっぱり多くない。でも、だからこそ、私はこれをいつまでも言い続けよう。
——私は、3.11を忘れない。
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