血戦篇

第1話 身柄拘束

 剣京輔少佐が覚醒した時に、最初に感じたのは脳が痺れるような感覚だった。

 滅多に経験する事が無いからこそ、すぐに思い当たる。休暇で目覚ましが不要なとき、あまりに長時間寝過ぎた時の感覚だった。


 しばらくぼやけた頭で病室のような白い天井を眺めたあと、身体を起こそうとした剣はそこで初めて自身が拘束されていることに気付いた。

 両手首と足首の鈍い金色の光が明滅しており、どういう原理かはさっぱり不明だったが、それが彼の行動を封じているらしい。


 数分その不可思議な『拘束具』と格闘してみたが、重さを感じない割には金属製の手錠以上にきっちりと手足の可動範囲が狭められている。


 その気配を気取られたのか、その部屋に軍服の将校が入ってくる。その将校は血相を変えて訛りの強い王国語で何やら叫ぶと、再び剣の拘束されている部屋を足早に出ていった。


 しばらくして、部屋に入ってきたのは尖った長い耳が印象的な女性だった。背は剣よりもいささか高く、切れ長の意志の強そうな紅い瞳と、意外にふくよかな唇が印象的だ。

 人間で言えば三十路手前あたりの年齢に見えるが、外見からは年齢は判断できない。


――耳の形状からみて、おそらくはルフト・バーン王国の少数種族である長耳タムタム族。長命種と聞くから外見年齢は当てになるまい。おまけに襟章には元帥の階級章ときたか。


 その彼女の背後には五人ほどの漆黒の軍服に身を包んだ女たちが控えている。例外なく若く、均整の取れた体つきには動きに支障が出ない程度の筋肉の盛り上がりが見て取れる。 


 油断なくこれまた無骨なデザインの軍用魔法短杖を構えているところを見ると、剣の逃走、あるいは逆襲に備えているのだろう。漆黒の短杖は格闘戦にも使えそうだな、と剣はかんがえていた。


 内心その状況を面白がっているのは、まさにこの男の厄介な性格から来るものだろう。


「お初にお目にかかります。マサリア・リルシュ近衛魔法士団団長閣下。私は帝國陸軍七六二独立装甲歩兵大隊――ああ、貴国で言えば人形翼隊長、階級は掌千長といったところですかね」


「へえ、驚いた。帝國軍に私の名前が知られているとはね」


「貴国の軍、特に近衛ガーズには少々縁がありましてね。興味を持って調べたことがあります。それに貴方の名前は、我が国の同業者の中では有名ですよ。特に帝國の装甲歩兵乗り――貴女の国でいう人形遣いの中では」


「なるほど。少佐、君は意外にも勉強家ではあるようだ」


「ええ、元帥閣下。少佐風情でも、知識が邪魔になることなどそうはありません。特に同盟国の動向は気にかけて損はありませんからね」


「……なるほど貴公の性格は、おおよそ彼女から聞いていた通りだな。まあいい、拘束魔法を解いてやれ」


 そう言いながら、マサリアは目線を部下の女たちに送る。

「しかし……宜しいのですか」

 護衛の者達の長らしき女性が色めき立つが、マサリアの返事はにべもない。


「構わない。魔法も使えない丸腰相手に遅れを取るほど耄碌はしていない。それから、貴様たちは少しばかり席を外しなさい。ああ、施設の周囲警戒は怠らないように」


 少しのやり取りのあと、護衛たちは不承不承という表情で頷き従う。ただ、出口付近で振り返り、剣のことを殺意めいた目でにらみつけるのも忘れない。

「同盟国の軍人を拘束するとは、穏やかではありませんな。ただ、随分と重要な人物になった気がしますな。いささか少佐風情には過ぎた待遇だ」


「そう言うな、我々とてむやみに同盟関係を危険に曝す趣味は無い。ただ、君はあまりに重要な人物なのだよ。我が国の重要機密と言って良い情報を握ってしまった。由々しき事態ではある」


 マサリアの顔からそれまで浮かべていた薄ら笑いが消え、氷点下を思わせる怜悧な表情が顔を出す。


「元帥閣下ともなれば政治的なあれやこれやを気にかける必要が有るわけですな。なんともご苦労様な事です。ええ、皮肉ですがね」


「なんとも良い性格をしているな、少佐。貴国には貴公のような面倒な手合いが多すぎる」


「それはご愁傷さまであります、閣下。それで、どうされますか。同盟国とはいえ、国家機密に類する事項の秘匿を第一とするなら、殺すべきでありましょう」


 さも当然のことと言うように、剣は平然とした顔で言ってのける。


「それが難しいところだよ。確かに君が把握している古代巨人族に関するあれやこれやが露見するのは非情にマズい。反面、君とあのヴァルドゥの次姫が経験した事には証拠がない。君が新聞社の記者どもに事を暴露したとして、それを信じるものは陰謀論者くらいだろうさ」


「的確な評価です。私としても、あれはただの白昼夢と言われても否定はしがたい。実際、貴女ほどの人物を目の前にしなければ、そう思っていたでしょう」


「私としての結論はこうだ。君を『事故死』、あるいは『作戦行動中行方不明MIA』にするには利益よりも面倒が勝る。ただし、無罪放免という訳にもいかない」


「面倒ですな、まったく。心から同情します、閣下。私は大隊を指揮するくらいが性に合っております。政治に首を突っ込む事なぞ御免蒙ります」


「ええ、面倒よ。だけれど、その面倒を私は結構気に入っているの」


「さすがは元帥閣下。私などとは器が違いますな。それで、どうされますか。処理することなく無罪放免も無しとなれば」


 心底楽しそうに、剣は嗤った。自らの命運がかかっている事をこうまで楽しめるというのは聞いた通りの戦争狂ね、とマサリアは思った。今世界が必要としている類いの人種でもあるけれど。


「貴方、帝國を捨てる気はあるかしら」


 唐突なマサリアの言葉に、剣は考え込む顔になる。数分考え込んだあと、煙草をいただけませんかなと口を開いた。


 マサリアは自らの軍服のポケットを探ると、オイルライターとアメリカ製の煙草の箱を差し出してやる。それは剣が身に着けていた私物だった。

 手慣れた手つきで箱から紙巻き煙草を1本取り出し、火をつける。そして、ゆっくりと煙草の煙を吸い込む。そうして煙草を半ばまで吸ったあと、おもむろに口を開く。 


「事と次第によりますな。愛国者と言えるほどではありませんが、帝國には軍人としての教育と俸禄を与えてくれた事に対する恩義は感じています」


「祖国を捨てる気など毛頭無いとは言わない訳ね。貴方、やはり面白いわ」


「小官とて、人並みに我が身が可愛いですからね。それで、貴女の国でどうなるのです。私は」


「貴方には王国軍人となってもらう。無論魔法を使えない貴方は、近衛という訳にはいかない。我が国にも魔法以外の通常兵器で構成される軍が存在している事は知っているわね」


「名前だけは……鋼鉄師団でしたか」


「鋼鉄は軍としての歴史も浅く、未だ警備部隊としての域を出ていない。ただ、生来の魔法の素質に左右されるせいで、おいそれと将兵を増やせない近衛と違い増強は容易。将来、近衛とともに国防を担う軍として成長させる必要がある」


 もちろん近衛の私が言う話ではないけれど、とマサリアは付け加えた。そう言いつつも元帝國軍人を一人放り込むくらいの影響力は行使出来るのだろう。


「なるほど、そこで帝國から教官を招く必要があると。表の名目は立ちそうですな」


「そういうことね。だが、それだけでは不十分。貴様を文字通り取り込む必要があると私は思っている」


 話の展開に嫌な予感を覚えた剣は、何かしら言い募って逃れようとした。だが、そんな見え透いた手でごまかすにはいささか相手が悪かった。


「それで、どうするのです」


「古来より、厄介な相手を取り込む手段は決まっている。貴様には婿入りをしてもらう」


 マサリアは心底楽しそうにそう言ってのけた。

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