装甲歩兵戦記 ~ノースアメリカ・エクソダス~
高宮零司
開戦前夜篇
第1話 プロローグ 蟲が満ちる地で
――西暦2005年12月11日 アメリカ合衆国ユタ州 ソルトレークシティー郊外
M2『ウェデマイヤー』戦車のハッチから顔を出したウィリアム・ゲイツ中尉は、絶望に包まれながらドイツ製の双眼鏡を目に当てた。
見渡す限り、既に度重なる砲撃により用途を成さなくなっている道路と荒野が広がっている。
かって西部を目指した幌馬車が数え切れぬほど通ったであろうその道は、今日も乾いた風が舞っていた。
中尉の指揮する戦車中隊は、道路沿いの丘の上へ急造の戦車壕からなる防御陣地を構築していた。
陣地に潜むM2戦車は、たった8両。
一応は最新型と呼べる戦車ではあるが、数が足りない。
随伴歩兵は僅かに1個小隊しかいないが、いるだけマシとも言えた。
「これが、我が
唇を噛み締めながら、ゲイツはひとりごちる。
――まったく『星条旗よ永遠なれ』だ、畜生め。
星条旗に書かれている星が示す州の大半が、今や『
「こちらバイパー5。敵を視認しました。タランチュラ型、およそ50。後続がある模様」
一番敵から近い位置にいる戦車から報告が入る。
「バイパー1、了解した。まだ発砲はするな。ギリギリまで引き付ける」
「バイパー5、了解」
通信が終わると同時に、嫌な沈黙が訪れた。
これまで意識下に押さえつけていた恐怖が、足元から駆け上がるように沸きかえってくる。
デンバーの自宅に帰って好きなコンピュータをいじりたい衝動に駆られる。
彼の自宅は、もう既に敵の砲撃で吹き飛んでしまっていたが。
「中尉、気楽にいきましょうや。運が良ければ
若い黒人の伍長が、あやすような口調でマイク越しにゲイツに声をかける。
彼の指揮する戦車の操縦手でもある伍長は、彼よりも実戦慣れしている。
遙か昔に兵役期間を終え、つい最近再召集されたゲイツよりも。
そのせいか、伍長は年齢にしてはやたら達観した顔つきをしている。
ゲイツは内心で感謝しつつも平静を装った。
「国際連盟軍はあてにしない方がいいと思うけどね」
ゲイツの声に、伍長は否定も肯定もしなかった。
伍長は別段ゲイツのことを人間として好きな訳ではないからだった。
むしろ鼻持ちならないインテリ白人だとすら思っている。
それでも、アメリカ軍にとって将校とはいまやダイヤのように貴重な存在だ。
きちんとアップデートされているかあやしい詰め込み式の再教育であっても、士官教育を受けている将校がいなければ軍隊は動かない。
遠雷のような音の地響きが、圧力となって急造の防御陣地に叩きつけられる。
砂塵が舞い上がった中を、巨大な影が地平線を覆いつくすかのように蠢いていた。
そのさまは、巨大な蛇がのたうちまわっているかのように見えた。
それは象ほどもある大きさをもつ、蜘蛛のような生物の群れだった。
大きさはもとより、紫色の体色と、八方に突き出した鋭い角は明らかに地球上の生物たちとは明らかに異なる文脈のもとに属する生物であることをうかがわせた。
――あれが『敵』。我々、人類の『敵』。
1940年代に突如としてこの地球に姿を現し、人類をその支配者の座から蹴落とそうとしている生物。
国際連盟が制定した呼称は
プログラムの欠陥を表すコンピュータ用語を語源とするその呼称は、昆虫によく似た生態を持つ彼らの特徴から名付けられた。
無論、この世界を蝕む「欠陥」という意味もこめられている。
彼らはこの地上に現れるや、瞬く間に生存領域を広げ、人類の生存を脅かすほどにまでその数を増やしていた。
旺盛な繁殖力と、人類の兵器の威力に耐えうる強靭さを兼ね備えた彼らは、新たな地上の覇者となりつつあった。
――勝てない、勝てる訳がない。畜生、神様。
ゲイツは腕の震えを必死に押さえつけつつ、ハッチから身を乗り出したままで喉頭式マイクに怒鳴る。
今の彼を支えているものは、将校としての役割にすがりつくことで得られる現実逃避だけだった。
「全車射撃開始。
その命令と同時に、M2戦車の群れは一斉にその兵装である105ミリ滑空砲を咆哮させた。
「弾種、徹甲。斉射開始」
「了解、残らず吹き飛ばせ。準備完了!」
「よし、
「吹き飛べ、クソ蟲ども!」
飛び交う無線通信と、主砲の咆哮を聞いて、ゲイツはようやく身体の震えを収める。
――なんとか失禁せずに済んだか。
傍目には狂ったかと誤解されかねない自嘲の笑みが、思わず顔に浮かぶ。
後方の砲兵陣地から、頼もしい砲音が響いてくる。
たちまち着弾が発生し乾いた砂が巻き上げられ、砂煙で視界が覆われる。
――もしかしたら もしかしたならば、うまくいくのか。
そんなゲイツの甘い幻想は、一瞬で打ち砕かれた。
砲煙の晴れたあとから、
その先頭の一匹の鼻面にどこかの一両が放った砲弾が当たったが、砲弾は弾かれて上空へ向けて飛び去る。
「馬鹿な、105ミリとはいえ
ゲイツは部下に聞こえぬように小声で呻いた。
せめて、新型の120ミリ主砲に換装されていれば。
そんな妄想を抱くが、冷静に考えて生産数が恐ろしく少ないそれが手に入るとは思えなかった。
今度は蟲たちが反撃する場面だった。
既に前方警戒陣地の大半は蹂躙されている。
その有様は、軍隊蟻があらゆる障害物を乗り越えて進むさまに似ていた。
恐るべき速さでその八本の足を動かしながら陣地に迫ると、その身体に埋め込まれた角を高速で打ち出す。
生体炸薬の入ったそれは、人類側の用いるいかなる砲弾よりも高い効果を発揮した。
戦車の砲塔がターレットごと弾け飛び、宙高く舞う。
「A小隊、小隊長戦死。代わって指揮を取ります」
「バイパー3。駄目だ、数が多すぎる。支えきれない。畜生!」
ヘッドセットに悲鳴のような報告が相次ぐ。
ゲイツはまるで雷にでも撃たれたかのような表情で、呆然とそれを聞いていた。
――くそっ、逃げたい。いますぐ、何もかも放り出して。
彼は兵役期間さえ終われば、あとは軍隊とは無縁の生活を送る人間のはずだった。
それが戦局の悪化で、三ヶ月にも満たぬ再教育の後に戦場に放り出されたのだった。
彼は砲撃の振動に揺さぶられながら、まるで童子のごとくわめき散らした。
幸いなことに部下達はそれぞれに忙しく、そんなことを気にしている暇はない。
BUGたちはそんななか、冷酷なまでに順調に前進を続けている。
ついに何かを抑え切れなくなったゲイツは、無線機のスイッチを切り替え、司令部へ通信を求める。
「バイパー1より、コブラ・ヘッドへ。敵の数が多すぎる!後退の許可を」
「駄目だ、許可できない。大隊本部も既に戦闘に巻き込まれている。繰り返す、後退は許可できない」
「せめて増援を。このままでは…」
「現地点を固守せよ。増援は無い…」
爆発音、続いて何かを咀嚼する不気味な音。
「畜生!」
軍人としての何かが音を立てて崩れ去るのを感じながら、ゲイツは爆発音に負けぬように喚いた。
ヘッドセットをかなぐり捨てると、装甲板へ叩きつける。
「…中尉!中尉、聞いているんですか!我々は助かります!通信が入りました。
「LNF?」
ゲイツは伍長の話をしばらく呆けたように聞き、ようやく我に帰る。
「な、何だ?あれは」
ゲイツは我が目を疑った。
突如、何もないはずの空中に複雑な形の紋様が光で描かれる。
そして次の瞬間には、その場に鋼鉄の巨人達が現れていた。
およそ軍隊の用いるものとは思えない複雑な装飾が施された『巨人』は、まぎれもなく彼らに差し向けられた援軍であった。
「こちら国際連盟軍所属、ルフト・バーン王国軍。これより援護する!」
あまり発音が正しいとは思えない片言の英語が、頭の中に直接響いてくる。
「あ、有難い。こちら合衆国陸軍第一騎兵師団所属、第56戦車中隊。支援を頼む!」
思わずマイクに向かって怒鳴り返す。
無線通信ではない「通信」相手に聞こえているかどうかは怪しいものだった。
悪夢を見ているような気分で、ゲイツはその鋼鉄の巨人の群れを見つめていた。
「何ですか、ありゃあ」
伍長の呆れた声に、ゲイツはようやく自分を取り戻す。
「ルフト・バーンの
「異次元からやってきた魔法使いの王国、ですか。悪い冗談だ」
――くそ、どんなヨタな作家だろうと、こんな無茶な設定は採用せんだろうな。
蟲達と時を同じくして、この地球に現れた魔法使いの国。
ファンタジー小説から抜け出てきたような、強力な魔法を使いこなす神秘の王国。
性質の悪い冗談のような現実を突きつけられて、ゲイツはどういう態度をとっていいやら分からなかった。
「まだしもBUGを相手にしていたほうがマシだ。ファンタジーは大の苦手でしてね」
伍長のぼやきに、ゲイツは激しく心中で同意する。
助けてもらっている手前、声に出すことははばかられたけれども。
巨人達はその巨大な腕で、およそ不可能とも思える複雑な印を組む。
ゲイツには機械仕掛けの腕を、どうやってそんなに器用に動かせるのかまるで分からなかった。
それと同時に巨人の目の前に焔の槍が出現したかと思うと、それは群れをなして急速に空中を飛んでいく。
焔の槍はまるで誘導弾のように蟲達の群れへ、次々と命中する。
これまでゲイツ達が苦労していたのが嘘のように、蟲達は次から次へと焼き殺されていく。
「滅茶苦茶だ…」
それでも、とりあえず命だけは助かった。助かったのだ。
今日のところは命が繋がったと思っていい。
だが、明日からはどうなのだろう。
そして、どうして我が
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