第8話 不安と安堵

 筒井ユウゴが【エデン】で働き出して約1ヶ月。

 雑用や掃除、ヘルプなどを通じて店を観察して気付いた事がある。

 聖也のようなNo. 1ホストなんかはもちろん人気があるのだが、影があったりちょっとダメそうなホストはいわゆる「太客」が必ずついているのだ。

 色んな客に愛想を振りまいて売り上げをあげるのももちろんいいのだが、いくら演技に自信があるとは言え、まず酒が飲めないのが難点であった。

 その点、決まった太客を捕まえさえすれば、他のホストを指名する事なく必ず自分に金を使ってくれる。

 ダメなホストが好きな客は、自分が育ててやるという楽しみが強いようだ。

 そうだな…まずはそのセンで太客を捕まえなければ。

 ユウゴは、店内をぐるりと見回した。

 今日いる客はだいたいよく来る常連ばかりのようだが、その中でも別格な客がいた。

———桜田アヤメだ。

 VIP席で5人のホストをはべらせ、豪遊している。

 さすがにあのレベルはちょっと俺には無理だな。

 しかし、よくもまぁいい歳してよくやるよ…。

 リカは絶対にこんな所には来ないだろうな。などと、考えていると

「アヤメさんから、ドンペリタワーいただきましたぁーーっ!!!」

 聖也が誇らしげに叫んだ。

 へぇ…さすがだな。俺には夢のまた夢だ。

 ドンペリタワーが売れたら一体その日の給料、いくらになるんだろう。

 そんな事を考えながら、テーブルを片付けたり掃除をしたりしていた。

 アヤメがこの店全員にドンペリを一杯づつご馳走するという挨拶が終わり、聖也が追加のシャンパンをカウンターに取りに行った時、アヤメがこちらに気付いた。

 その時、アヤメはハッとしたような顔をしてユウゴを見た。

 なんだ?俺、なにかしたか?

 ユウゴは身に覚えが全くなかったが、なぜかその時アヤメが近いうちに自分の太客になるのではないかという予感がした———




 アヤメがユウゴと視線を交わし、なぜあんなに胸がざわついたのか———

 アヤメ自身はすぐに気が付いていた。

 かつての恋人———田所耕造にそっくりだった為である。

 背こそあんなに高くはないが、顔、雰囲気、佇まい、なんとなく影がありそうなところ。

 忘れた訳ではないが、忘れようと努力してきた。

 今のアヤメの生活には排除すべき人物だからだ。

 だが、どうしても忘れられなかった。それは、まだ愛しているとかそんなことではなく、かつて一緒に犯罪を犯した相棒であった為、いつか世間にそれをバラすのではないかという恐怖だ。

 もちろん、相棒であったのだから自分も同じ罪に問われる。

 だが、耕造の今の生活環境によってはそちらの方が楽になれるのではないか、いつか心変わりするのではないかと常に心のどこかで思っていたからである。

 考えたくはないが気になっていた現実を、ユウゴと目が合った瞬間に思い出させられた。

 ———耕造に会わなければ。すぐにでも———

 居ても立っても居られなくなったアヤメは、聖也に「お会計ね。カードでお願い。」と言い、自分に付いていた5人のホストにチップを渡して支払いを済ませ、そそくさと席を立った。




「黒川。ここで停めてちょうだい。貴方はこのまま帰っていいわ」

「はい、でも大丈夫ですか?社長。お帰りは?」

「大丈夫。タクシーを呼ぶから」

「かしこまりました。お気をつけて。何かあったらすぐにお呼びください」

「わかったわ、ありがとう」

 アヤメが立ち寄るにはおおよそ似合わない安い木造アパート。

 黒川は一抹の不安を感じたが、詮索してはいけないと思い、すぐに車を走らせた。

 目指すのはその木造アパートの2階の角。階段を上がるたび、ギシギシと音が鳴り、階段全体が小刻みに揺れる。

(相変わらずね、このくたびれ加減も)

 前に来た時よりもさらに年季が入り、階段の手すりもあちこち塗装がはげている。

 アヤメは2階の角部屋の前に着くと、一度深呼吸をしてノックをした。

 時間も時間だから寝てるかしら…?

 ドアに耳を付け、中の音を伺う。布の擦れるような音がし、こちらに向かっているようだ。

(よかった…起きてる)

 ホッとしたアヤメの前にドアを開け、出てきた人物———田所耕造は、予期せぬ訪問者にいささかびっくりしつつも、部屋の中へ入るように促した。


「なんだ、随分と久しぶりだな。相変わらず羽振りが良さそうじゃないか」

 田所耕造は、湯呑みに入ったお茶をアヤメに差し出しながら言った。

「ありがとう、いただくわ。ええと…10年振りかしらね。【夏の雪】のOB会以来だから…」

「そうだな。…だが、よく俺がまだここにいるってわかったな」

「ええ。身体が元気なうちは絶対にここで暮らすって前に言ってたから」

「ああ。ここは俺の思い出の場所だしな。男は思い出に縛られて生きていく生き物なんだ」

 そう言って耕造は寂しそうに笑い、湯呑みのお茶をひと口すすった。

 田所耕造は、小さな町工場に勤めていたが、先日60歳の定年を迎え、今は時々ビルの清掃員としてアルバイトで生計を立てている。質素で地味ではあるが、充実した生活を送っている。

 白髪まじりではあるが、60歳にしては若く見え、昔はかなりの色男だったんだろうと予想させる顔立ちで、清掃員の同僚のご婦人にもかなり人気がある。

「で、女帝桜田アヤメがこの寂しいおじさんに何の用だい?」

 耕造がおどけて尋ねた。

「用ってほどじゃないけど…元気にしてるか気になっただけよ」

 アヤメは、言えなかった。過去の悪事をこれからも墓場まで持って行ってくれなど。

 耕造はあれからきちんと自分の人生を生きている。もちろん罪は償ってはいないが、真面目に真っ当に生きている。

 そんな耕造が今さら、罪を世間に告白するだろうか?

 アヤメの不安は、耕造の様子を見て一気に消し飛んだ。

「へぇ、そうかい。ま、こんなボロアパートだけどさ、いつでも遊びにきたらいいよ。俺はいつでも大歓迎」

「ええ、そうさせてもらうわ」

 しばしの昔話に花を咲かせ、アヤメはアパートを後にした。

(ああ、よかった。もっと荒んだ生活をしていたらヤケになってたかもしれないけど…この調子なら大丈夫よね。あとは、心変わりしないように時々ここに様子を見にこなきゃ…)

 安堵したのもつかの間、この数日後、鬼軍曹から10年振りの電話がかかってくる事になる———

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