第6話 鉄仮面
精悍な顔立ちに銀縁眼鏡。
冗談やくだらない話にも一切笑わないし眉ひとつ動かさない。
格闘技をかじっていた事もあってかスーツの上からでもわかるしなやかな筋肉。
初めて会った人はおろか、彼の事を知っている人物でもあまり関わりたくはないだろう。
だが、それでいいのだ。かえって好都合である。
「黒川、今日のスケジュールはどうなっているかしら?」
「はい、社長。午後から新規オープンの宝石店の打ち合わせが入っております。そのあとは…イーストカンパニーの会長と会食となっております。」
黒川と呼ばれた男は、車のハンドルを操りながら答えた。
「そう。わかったわ。着くまで少し眠るから起こしてちょうだい」
「かしこまりました。」
黒川がハンドルの横にある小さなボタンを押すと、運転席と後部座席の間にゆっくりと仕切りが降りてきた。
社長———桜田アヤメは眠りを妨げられるのを最も嫌がるのだ。
黒川が秘書としてアヤメの元に仕え始めて15年位経つが、まだまだ知らない事ばかりだ。
チンピラまがいの事をしていた黒川が、仲間に裏切られ、無一文になってボロボロになっていた所をアヤメが拾った。
人生に絶望しかなかったその時の黒川に救いの手を差し伸べてくれたアヤメに忠誠を誓う事を決めた。
一度は捨てた人生、一生この人に捧げよう。その為にはどんな事もする覚悟であったので、世間では間違った事でも、躊躇なくしてきた。
もちろん、それを口外するつもりもないし、黒川にとってアヤメが全てであったので、カラスが白いと言われれば、黒いカラスを白に染めるくらいの覚悟もある。
それほどまでにアヤメを崇拝しているので、アヤメの黒川への信頼も揺らぎないものであった。
秘書は黒川以外には付けないし、敵の多いアヤメの露払いも全て黒川に任せてきた。用心棒の様な役割も兼任している。
汚れ仕事さえも嫌な顔ひとつせず淡々とこなす彼を、桜田グループの社員達は【鉄仮面】と、呼んでいた。
アヤメの過去は知らないし、知ろうとも思わない。どんな事をしてきたのか、そんな事も興味はない。
大会社の社長ともなれば、恨み妬みも買うだろう。そんな事は百も承知であるし、誰しも聖人君子ではない。
時には多くの社員を切り捨てたり、業績の悪い店は潰したり、それは会社を経営する上で必要不可欠な判断であるし、当たり前である。
だが、黒川は自分が切り捨てられたら———と考えたら、居ても立っても居られなくなる。
アヤメに捨てられないようにするには、と、常に考えながら行動を共にしている。
そう言えば、最近、やたらと社長に電話してくる男がいる。
別に社長の交友関係を探るつもりはないが、その男から電話がかかってくると社長は嫌な顔をするし、必ず席を外し、会話を聞かれないようにしている。
もしかして、社長にとってよからぬ相手では、と黒川は確信していた。
「うるさい小蠅を排除するか…」
鉄仮面がますます冷たく光ったような、そんな表情で黒川は呟いた。
黒川の自由時間は、アヤメの食事の間とアヤメを自宅に送り届けてから、朝迎えに行くまでの間のみだ。
それ以外はほとんど、アヤメと行動を共にしているので動ける時間と言えばほぼ、深夜から早朝にかけてだった。
その間に電話の男の事を調べるのはなかなか至難の業であろう。
アヤメに直接聞いた所で教えてはくれないのはわかっているし、探偵などを雇ってもいいが、もしアヤメに気付かれたらクビどころでは済まなくなる。
ただ、何も手がかりが無いわけではなかった。
何度かかかってくる電話の中で、盗み聞きをした訳ではないのだが、キーワードとなりそうな言葉を耳にしている。
【劇団】【鬼軍曹】【夏の雪】———
後でネットで調べてみるか。
黒川は、目的地である宝石店の駐車場に車を停めた。
仕切りを少し上げ、「社長、着きました」と、声をかける。
「ありがとう。先に行ってるわ」
「かしこまりました。すぐに行きます」
打ち合わせ用の書類とノートパソコンを用意し、アヤメの後をついて行く。
「黒川、この打ち合わせが終わったら少し自宅で休みたいの。貴方も次の会食まで少し休んでらっしゃいな。」
「かしこましました」
アヤメの言葉は黒川に好都合だった。
例の男の件を調べられる。
【夏の雪】の情報はネットですぐに出てきた。
あまりにも簡単に男の正体がわかったので、黒川は少々拍子抜けしてしまった。
鬼塚和男と言う人物が作った劇団で、桜田アヤメもかつて【夏の雪】の女優だったこと。
鬼軍曹と呼ばれるほど芸には厳しいが、その指導には定評があること。
現在、70歳近いが独身であること。劇団以外の趣味もなく、身寄りがないこと。
(おいおい、こんな事まで出てるのか…ネットというものは便利だが怖いな)
個人情報もなにもあったもんじゃない。まぁ、どこまで本当かマユツバものかもしれないが…
黒川は、ネットの情報を疑いつつも、勝算はあった。
(独身で身寄りがない…か)
これは使えると思い、ある人物に電話をかけ始めた。
男は幾つになっても一生雄なんだ、ここはやっぱり雄には雌を、だろう。
「はぁい、クロちゃん。ひさしぶり」
電話の向こうで間の抜けた、だがそれでいて憎めない愛嬌のある声が聞こえた。
「クロちゃんはやめろと言っているだろう。まぁいいや、お前に頼みたい事がある」
「いいよぉ、クロちゃんの為だったら」
「ある男を堕とせ。メロメロになるくらい」
「うん、わかったぁ。で、誰、それ」
「ある劇団の団長だ。気を付けろ、こいつは演技力の塊だから見抜かれるなよ」
「うん、大丈夫だよぉ。ルミ、もともと演技できないから」
ルミは屈託なく笑った。
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