裏切り者は笑う

ちはぽん

第1話 女帝

 「アヤメさんからドンペリタワーいただきましたぁ〜っ!!!」

クラブ【エデン】のNo. 1ホスト、聖也の声が店中に響く。

 おぉ〜っ!という歓声があちこちから聞こえ、聖也のドンペリコールに合わせてグラスのタワーが出来上がっていく。

 No. 1の聖也の隣には、ブランドのスーツに身を包んだ上品なマダム。年齢は60手前のようだが洗練されたヘアとメイク、派手すぎないアクセサリー、エネルギッシュな雰囲気からか、随分若く見える。

———桜田アヤメ 58歳 桜田グループ社長

飲食店、エステ店、宝石店などの会社を複数経営し、女帝の異名を持つ。

会社を経営している者で彼女の名前を知らない者はいないと言っていいであろう。


だが同時に彼女の過去を知る者もいない。



 アヤメと聖也のまわりを【エデン】のNo.2からNo.5までのホストが囲み、テーブルの上にはシャンパンやフルーツなどが溢れんばかりに並んでいる。

 他のテーブルの客とは格が違うのが一目でわかる。

 黒服たちがグラスのタワーを並べ終え、聖也とアヤメに一礼すると店内の照明が薄暗くなる。

 アヤメと聖也がおもむろに立ち上がり、タワーの前へゆっくりと歩いていく。


「エデンへご来店の皆様。私、桜田アヤメからお客様全員及び、スタッフの皆様に一杯づつご馳走させて頂きますわ。桜田グループと皆様のますますのご発展を祈りまして…乾杯。では皆様、よい夜をお過ごし下さいませ。」

 アヤメの挨拶が終わると割れんばかりの拍手が起こり、シャンパンタワーの前にはみるみる人だかりができていく。


(ふん…どいつもこいつも…愚民丸出しね)

 アヤメは席に着くとタバコをくわえた。

 すかさず聖也がライターに火をつけ、タバコの先に付けようとするがアヤメはそれを手で制した。

 不服そうな聖也に「いいのよ。ありがとう。」と言い、ゆっくりと煙を吐き出した。

「いつかアヤメさんのタバコに火を付けさせてもらえたら俺を一人前として認めてくれますか?」

「違うのよ、聖也。未だに慣れないの。他人に火を付けてもらうって言うのが。」

「そっか…。わかりました。でも諦めませんから、俺。」

「ふふっ。そうね…聖也にはまだ20年早いかしら。」

「えぇーーっ!?そんなに!?」

 聖也の素っ頓狂な声に、私を含め周りのホストからも思わず笑いが起こる。

 でも多分、私の目は笑っていない。

 心から笑える事などここ20年近くない。

 30の時、小さい飲食店を始めてからトントン拍子でここまで昇りつめてきた。…そう、怖いくらいに順調すぎて、いつかこの生活がまるでひっくり返るんじゃないかと思うくらいだ。

 飲食店が軌道にのり、スポンサーも付き、色んな事業に手を出してきたがほぼ失敗をしていない。

 あれよあれよと言う間にグループの社長にまでなったが、未だに長い夢でも見ているようだ。

 夢から醒めた時、私はどうなるのだろう。

考えたくもない。

 せっかく掴んだ富と名声…そうやすやすと手放すもんですか…


「アヤメさん?顔、怖いですって〜。美人が台無しですよ!」

 聖也が、アヤメの顔を覗き込んでいる。

「あ、あらごめんなさいね。聖也に見惚れてて…」

 慌てて取り繕うが、聖也は不審な顔をしている。

「ほ、ほら。飲みましょ!シャンパンもう一本あけてくださる?」

アヤメはカウンターの向こうのシャンパンを指差した。

「ありがとうございます!」

聖也がシャンパンを取りに席を立った。


その時。

 今まで気付かなかったが、ふと店の角に立っている一人のホストが目に入った。

 この【エデン】には相応しくない雰囲気だ。

【エデン】は、ホストクラブ界隈の中でもトップクラスで、ある程度仕事や人生に成功している者が常連の高級店だ。

会社社長、政治家、一流芸能人などが通う事でも有名で、たびたび雑誌やTVでも取り上げられている。

 ホストもそれに相応しい一流の人材を揃えているはずなのだが…

 どこのものかわからないブランドのスーツ、安っぽいネクタイ、靴も高級品とは言い難く、だいぶ擦り切れているようだ。

顔は決して悪くないのだが、髪型も野暮ったく、若干猫背気味で暗い印象。

 だが、なぜだかアヤメは気になってNo.2のホストに尋ねてみた。

「あー、彼は1ヶ月前くらいに入った新人なんですが…なんというか、酒も飲めなけりゃトークもダンスも無理なんですが…とりあえず雑用とヘルプで3ヶ月研修させて、モノにならなければ辞めてもらおうと思ってるんです。なんでホストなんかになったのか全く謎で…まぁ、店長がとりあえず今、黒服が一人辞めちゃったから置いとくだけ置いとこうって感じで採用しちゃって。」

「へぇ…そうなの…」


 一瞬だけ彼と目が合った。

 こんな下手な表現、ドラマの中だけかと思っていたが…確かにアヤメはその一瞬で今の心情を見抜かれた気がした。

彼はすぐに目をそらしたが、アヤメはしばらく彼から目を離す事ができなかった———

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