ネージュの娘 ~Another Story~

KuKi

ネージュの娘 ~Another Story~

わたくしは1人でございました。


いや、正確には、ずっと1人という訳ではなかったのです。私には母親がおりました。母はとても綺麗な人で、村でも評判の美人でした。母は結婚して私を産むと、父と分かれて村を出ました。父は村の権力者の息子だったため、村に居続けるのは辛かったそうです。いつかの母の話し方から察するに、所謂いわゆる幸せな結婚ではなかったようでした。幼い私を連れて村を追われるように出て、私を養うために王都で働き始めました。父は、今も、どこで何をしているか分かりません。生きているのかも。何分なにぶん、顔も覚えておりませんので。

母は、王都で評判の仕立て屋で働けるようになりました。元々手先が器用で、服を作るのは得意だったのです。母は、みるみる頭角を現し、貴族のご婦人たちも御用達ごようたしの仕立て屋になったのです。そこそこ私も裕福な暮らしをさせて頂きました。

そんな中、私も無事に成長し、どこかへ奉公へ出ようとしていた時です。私は、自分で言うのもなんですが、母に似て容姿は良い方でございました。母が独立して開業していた仕立て屋の手伝いをしていたところに、お声をかけて頂いたのです。見目麗しい紳士でございました。お話をするうちに仲も深まり、お食事にも誘われるようになりました。その方はお城で働いている貴族様のようで、とても高貴なお方でした。とても優しく接してくださって、次第に私もその方に惹かれていきました。



その方と知り合って半年ほど経った頃、彼が私に打ち明けたいことがあると夜半やはんに尋ねてまいりました。その頃にはもう私は1人で暮らしており、母は昔お世話になっていた仕立て屋の女店主さんと一緒に住んでおりました。私はお茶を出そうとしましたが、彼は断ってそのまま椅子へ腰かけました。


その夜に彼の口から紡がれた言葉は静かに私の胸をえぐりました。奥様がいらっしゃること、しかし望んだ結婚ではなく子供は居ないこと、私と出会った時にはもう婚約していたことを彼はぽつぽつと語りました。私のことをもう隠しきれそうになくなってきたが別れたくないと、彼は涙の溜まった目で私を見つめながら懇願してきました。私は彼の独白を呆然と聞き、しばらくは反応することが出来ませんでした。やっと彼の言葉を噛み砕くと、裏切られていた悲しさと、今までの幸せが絶望に変わっていく恐怖が、苦く心に差し込まれました。


しかし、私は彼を拒めなかった。私も彼を愛しておりました。彼はついに涙を流し、「貴方と一緒に居られる方法はある」と私の手を握りました。私は頷き、彼の手を握り返しました。





そしてその日、母が死にました。火事でした。お世話になっていた家は全焼し、女中を含めて5人が死にました。私は彼以外の身寄りを完全に無くしたのです。






それからの生活はあっという間でした。冬の日に窓から吹き込んでくる風のように寂しさと虚しさが心臓を通り抜け、時折眠れなくなる夜も訪れました。彼は私を召使いとして屋敷へ迎え入れ、彼と彼の奥様の世話をさせました。彼と共に居ることが出来て幸せでしたが、奥様を屋敷内で目にする度、心が痛みました。彼は変わらず私を愛してくれていましたが、私が彼に胸の内を打ち明けることはありませんでした。なぜかは今でもわかっていません。自分でも。私が彼に心を開いたら、今必死に守っている幸せが壊れる気がしていました。このままで良いのだと思っていました。


幸せが壊れるのは突然ではありませんでした。彼は、段々と私の心に巣食う暗がりを感じ取り、いつしか、私を愛することを諦めました。



ある日、彼は1人の少女を屋敷へ連れ帰りました。肌の白い、美しい少女でした。まだ物もわからないような幼い彼女は彼に抱えられたまま不安そうに私を見つめていました。


彼女は王位第一継承者、王太子イヴァン・ヴィートリッヒ様の実子、つまりこの国の王女であると、彼は私に語りました。しかしながら彼女はイヴァン様のご正妻の子ではなく、花街はなまちの娼婦との間に生まれた子だと。現王太子のお父上、つまり前王が崩御なされ、王位を継承するにあたって汚れた血を王家に残すことは許されず、国民からも反感を買うとされて王女の存在を秘匿、王家から追放されたそうでございます。


それを理解するには彼女はあまりに幼く、その運命を押し付けられるにはあまりに小さかった。私は彼女に同情しました。身の上は違おうとも、私と同じく薄く霧散むさんした絶望と共に生きなければならない彼女に。



彼は彼女と共に私を王都から離れた森の中のお屋敷へと追い出しました。お屋敷へ移り住んだ初期は王城から派遣されたであろう教師や、お忍びでイヴァン様、つまり彼女のお父上ご本人、もちろん彼も訪問してきておりましたが、段々と誰も訪れなくなり、私は悲しき王女と共に森の中のお屋敷のうちに忘れ去られていきました。



私は彼女と言葉を交わしませんでした。それはイヴァン様のご正妻、現王妃様から極秘に言いつけられた事でした。私を含め、屋敷で働く者は彼女とほとんど関わらないようにと。王族からのご命令です。私には逆らう程の勇気はございませんでした。


彼女はあまりに孤独でした。しかし、私は本当に褒められた人間ではないので、彼女の孤独に救われていました。私と同じである、と。そのようなわけもないのですが、私は確かに彼女の孤独に甘え、彼女の存在で自らの心を慰めておりました。



いつかの日、彼女は私に「一緒に遊びましょう」とおっしゃいました。スカートの裾を持って、頭を下げて。どこかで覚えたのでしょう、王族への敬礼の仕草です。


私は、怯えました。声が震えました。彼女よりも深く頭を下げて断ると、彼女の部屋を出ました。それから彼女が私に話しかけることは無くなりました。


あの日は雪が降っておりました。積もるほどです。そして母の命日でしたから、私は遅くまで起きておりました。昔、彼からもらったネグリジェとコートを着て。未練がましいでしょう。でも幸せな思い出には変わりありませんでしたから。


外に出ると冷たい空気が肌を包み、冷気が肌に刺さってピリピリと痛みを覚えました。母を思って屋敷の外を歩いていると、物音がしました。守衛を呼ぼうかとも思いましたが、物音のした方向が彼女の部屋の方だったので急いで向かいました。



雪の中に彼女がいました。肌を上気させ、白い息を吐きながら雪を踏み締め跳ね回る彼女は、まるで雪の精でした。彼女の笑顔を、その時初めて見ました。心の底から湧き出てくるかのような笑顔を見ました。



雪の中に人影を捉えて咄嗟とっさに声を上げた私を捉えると、彼女は笑顔を殺して怯えた顔をしました。



そして、私と目が合った刹那、彼女は雪を散らして走り出しました。



彼女を追いかけて見つけた森の中の小屋で、涙を流す彼女を見つけました。少年が隣に座り込み、彼女を心配そうに見つめているのも。


私は彼女の将来を見ました。この6年間、闇がもやのようにかかって見えなかった彼女の未来が、鮮烈に私の目の前を走りました。私が亡くした幸せを、大事に抱えて生きていく彼女の姿を夢見ながら、私はその小屋を背にして雪の降る森を歩き出しました。足は凍ったように冷たくて、気付けば涙を流していました。


私は彼女を愛していたのだと思います。烏滸おこがましいことです。しかし孤独な王女を、不憫に思わずにはいられなかった。彼女と出会ってから6年間も共に過ごしたのです。多分、私は彼女を愛しく思っていた。同情はいつの間にか愛情に変わり、彼女のことを考えて毎日働きました。


私の気持ちは、きっと彼女には伝わってはおりませんでした。寒い日の夜、眠る彼女にかけた毛布も、彼女に合わせて作らせたロッキングチェアも、私がイヴァン様の本と一緒に物置に忍ばせていた絵本も、彼女は気づいていなかった。彼女は愛そのものを知らなかった。6年間、ほとんど人と関わっていらっしゃらないのです。王家に冷たい鳥籠に閉じ込められているとは露とも知らず。


それでも私は良かったのです。この6年間を思い返せば、私は幸せであったのだと思います。


彼女と一緒に本を読めたら、彼女と一緒に食事ができたら、彼女と手を繋げたら、彼女を抱きしめられたのなら。


もし、あの時跪く彼女を抱き起こして、そんな事はしなくていいと、そんな事をしなくても貴方は幸せになれると。……幸せにしてあげると、言えたのなら。私はあの子の大切な何かになれていたでしょうか。あの子の顔を曇らせる存在にはならなくて済んだでしょうか。



後悔など、未練など、いくらでもありますが、私の夢見た未来を、彼女が過ごせるのなら私は生きていた意味を抱えて、母の元へ行けると思います。




                                Jacinthe Blue


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