灰色研究

レイ

第1話 僕の大事な資料

 曙光都市エルジオン・ガンマ区画のとある通り。アルドは、きょろきょろと辺りを見渡しながら歩いていた。

 先ほど、エアポートでの戦いで受けた傷を癒すため、ホテル・ニューパルシファルへ向かっているところである。ズキズキと痛む肩の傷をチラリと見て、さっきのサーチビットとの戦いを思い返す。

「あー、回転切りで二匹とも一気にやっつけようなんて甘かったな」

 一気にやっつけるどころか、アルドは二匹ともに致命傷を与えきることができず、その後、きっちりと二匹からお返しをくらったのだった。

「ホテルでゆっくりと休んで傷を癒そう」

 アルドはホテルを目指して、またきょろきょろと街並みを見渡しながら歩いた。

「しかし、この時代の文明はいったいどうなってるんだ。何百年後には、世界はこんなことになってんのか」

 AD300年からやってきたアルドには、街中のほとんどの物が、見たこともなければ使い方の想像さえもつかないものばかりだ。

 珍しい光景によそ見をしているあまり、アルドは前方から下を向いてブツブツとつぶやきながら歩いてくる青年に気が付かなかった。そして青年の方も、手元の資料を読むのに夢中で、これまたアルドには気付いていなかった。

「おわっ!」

 二人がぶつかったその拍子に、何十枚もの紙が宙に散らばった。青年がバランスを崩して後ろへドスンと尻もちをつく。

「悪い!大丈夫か」

 そう言って、アルドはすぐさま青年に手を差し出した。しかし、青年の方は差し出された手には気づいておらず、舞い上がった紙を見て唖然としていた。

「ああっ!貴重な資料が!」

「悪い。すぐに拾い集めるから」

「早く!早く拾って!一枚たりともなくすわけにはいかないんだよ」

「わ、わかった」

 道いっぱいにばらまかれた紙を、二人は手当たり次第に拾い集めた。

 ある紙は風に吹かれ飛ばされそうになり、ある紙は通行人に踏まれそうになった。

「あぁーっ!大事な資料がー!」

 その度に青年が素っ頓狂な声で叫ぶ。

「待った!それ、大事な紙だから踏まないでくれ!」

 慌てて、アルドが通行人に踏まれる寸前の紙を拾いに行く。

「ぬわーっ!なんなんだね君達は!びっくりするじゃないか」

 二人の突然の大声に、知らずに紙を踏みそうになったお爺さんがびっくりして、片足を上げたまま、ふらふらとしながら言った。


「これで全部拾ったぞ。結構、枚数あったな」

 アルドが周囲を見渡した。紙がもう落ちていないことを確認して、集めた紙の束を青年に渡す。

 青年は安堵した顔でアルドから紙を受けとった。

「ありがとう。この資料をなくしたら僕の今までの苦労が…ああ、考えただけで恐ろしい。君は僕の恩人だ」

 青年は目を潤ませながら顔を近づけると、アルドの手を両手でがっしりと握った。

(ち、近いな)

「いや、そもそも俺がちゃんと前を向いて歩いていればよかったんだし」

 そう言いながら、アルドは力強く握る青年の手をさりげなく外した。

「にしても、それ何の資料なんだ?随分と大事なものみたいだけど」

 アルドがそういうと、青年の目がカッと開いた。

「君!君はこの研究に興味があるのかい!ああ、いいとも。もちろん喜んで説明しよう!どこから話を始めようか?少し説明が長くなるかもしれないけど、僕の予定は大丈夫だから気にしないでくれ。君の予定も……うん、大丈夫そうだな」

 青年は満面の笑みだ。

「俺、何も言ってないぞ!?」

 呆気にとられるアルドを気にもせず、青年は話し続けた。

「ああ、そうだ。自己紹介がまだだった。僕の名前はゼン。過去の文化を研究しているんだ。よし……じゃあ、さっそく始めよう。君はBC2万年ほどにあったムカアルト文化を知っているかい。知らない?じゃあ、まずはムカアルト文化の発祥についてから始めよう。実はムカアルト文化の元になっているという…」

(なんかウキウキしてるぞ。資料のことを聞いたのはまずかったか)

 ゼンの熱のこもった説明が始まり、アルドがたじろいでいると、通りすがりのおばさんがアルドへ声をかけてきた。

「あらら。ゼンの研究話を聞いているのかい。ゼンに研究のことを聞くなんて……さてはあんた、ここの住人じゃないね」

「ああ、そうだけど」

 おばさんはため息をついて首を振った。

「あのねぇ、ゼンが話し始めたら……どんなに短くても四時間はかかるよ」

「よ、四時間!?冗談だろ!?」

「ま、頑張んな」

 おばさんはクスクスといたずらに笑うと去って行った。

 それからアルドは延々と続くゼンの話を聞いた。おばさんの話は本当のようで、もうすでに一時間も経過しているのに、ゼンの話は一向に終わる気配がなかった。

(まいったな)

 辺りはもう日が暮れかけていた。肩の傷が地味にズキズキと痛む。アルドは肩をさすった。お腹も限界のようで、先ほどからグゥグゥと鳴いている。長い立ち話のせいで、足はもう棒のようだ。

 アルドは数十メートル先に見えているホテル・ニューパルシファルの看板を見た。

 目的地のホテルはもうすぐそこだ。

「な、なあ、ゼン……」

 アルドは意を決して、説明を中断させるつもりでゼンに声をかけた。

「…そうやって、その時代の人々は…」

「!?」

(話に夢中で聞こえていないのか?!)

 アルドは驚いた。

「じゃ、じゃあ。俺は…そろそろ…ホテルに……行くから……」

 これはダメだと悟ったアルドは、そう言いながら少しずつ後ずさりを始めた。

 だんだん、ゼンの声が遠ざかっていく。

「しかし、その説には一つ問題があって、その問題がまた……ん?」

 ゼンがふと顔をあげた。辺りはすっかり真っ暗になっていた。

「あれ?さっきの人は?」

 気付けばアルドの姿はどこにも見当たらず、ゼンは一人になっていた。


 アルドはドサっとベッドに寝転んだ。

「あー、やっと休める」

 ホテル自慢のディナーでお腹も満たされて、一日の汗もシャワーでさっぱりと流した。これで一晩も休めば、戦いの傷も疲れも随分と回復するはずだ。

「明日は朝一番でイシャール堂に行って、今日集めた素材を買い取ってもらおう。いい防具が買えれば、戦いが少し楽になるんだが……」

 無造作にソファにかけた服を見て、ふと、フィーネのことを思い出す。

『もー!お兄ちゃん、ちゃんと服は畳まないとダメじゃない。明日、くっしゃくしゃの服を着ることになるわよ!』

(フィーネがこの服の状態を見たら怒るだろうな)

 そんなことを考えつつ、清潔なシーツで、きれいにベッドメイキングされたベッドにもぐりこむと、アルドはすぅっと眠りについた。


 翌朝、ホテルを出たアルドはまぶしい朝の光の中で大きな伸びをした。

「イシャール堂に行こう」

 まだ見慣れないエルジオンの街並みを、アルドは今日もまたきょろきょろと見渡しながら歩いた。

 イシャール堂へ向かっていると、突然、後ろから誰かに腕を掴まれた。

「な、なんだ?」

 アルドが驚いて振り返ると、そこには昨日出会った青年ゼンがいた。

「ゼン?どうしたんだ……あ」

 そう言いかけて、昨日、ゼンの話の途中で、姿をくらましたことを思い出す。

(昨日のことか。疲れていたとはいえ、せっかく説明してくれてたのに悪いことしたもんな。ちゃんと謝らないと)

「ゼン、昨日は悪かったよ。一応、帰るときに声はかけたんだけど……って、おい!何してるんだ!?」

 ゼンは何も言わず、いきなりアルドの鎧と服の間に手を突っ込んだ。

「……ない……ない」

 アルドは体をペタペタと触るゼンを力づくで引き離した。

「いきなり何するんだ!一体、何がないんだ?」

「僕の……無いんだ……」

 ぼそりとゼンが呟く。

「え?なんて言ったんだ。声が小さくて聞き取れない……」

 アルドが耳を近づけたその時だった。

「無いんだよぉぉーっ!僕の大事な資料がぁぁーっ!」

 突然のゼンの素っ頓狂な叫び声に、周囲の人が驚いて二人を見た。

「しーっ!いきなり大きな声を出すなよ!皆が驚いてるだろ」

 慌ててアルドが制止する。それから腕組みをするとゼンに尋ねた。

「資料って、昨日二人で集めたあの紙のことか。全部集めたつもりだったけど、足りなかったのか?」

「ないんだよ!一枚足りなくって。もう、僕の研究は終わりだぁぁーっ!」

 ゼンが再び素っ頓狂な声で叫ぶ。

「だから、しーって!みんな変な目でこっちを見てるじゃないか」

 通行人たちが、チラチラとアルドたちのほうをみて、怪訝な顔をしている。

「ママー。あのお兄ちゃん、おっきな声で叫んでるね」

「しっ!駄目よ見ちゃ!」


「……落ちついたか?」

 アルドに声をかけられ、道端にうずくまって泣いていたゼンが頷いた。

「うん。でも、あの資料がないと僕の研究は……僕の研究は……」

 ゼンの目に涙が溜まっていく。

(また叫ぶ気か!?)

 アルドがギョッとする。

「お、俺も探すのを手伝うよ!」

「……え?」

 ゼンがきょとんとしてアルドの顔を見た。

「そんなに困っているのに放っておけないだろ」

「う、うぅ……。ありがとう!君、いい奴だな」

 ゼンはまた泣き始め、服の袖でごしごしと目をこすった。

「僕、もう家に帰ったら資料を全部燃やして、そんで酒場で酔っぱらって、街中の猫にケンカを売って、とか考えてたんだけど。でも、やめにするよ。ありがとう!」

(猫にとっては迷惑な八つ当たりだな)

「俺の名前はアルドだ。今回の件はよそ見をしてて、ゼンにぶつかった俺にも非があるしな。資料探し、手伝うよ。まずは、昨日俺たちがぶつかったところをもう一度、隅々まで探してみよう」

「ああ。わかった」

 ゼンは鼻をスンっとすすって頷いた。

 二人はホテル・ニューパルシファルの通りへと向かった。


 

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