第18話

 100年という人生は、とても長くて終わりの見えない、苦しみに満ちた拷問ごうもんの様な時間だと思っていた。

 だけれど、この世界にたった1人、自分の事を心から愛してくれる人がいるだけで、100年という時間はまたたく間に過ぎゆくはかない幻に変わり、人生はまばゆきらめく夢の世界へと変貌へんぼうげるらしい。


 麻生来未と共に歩む旅路には、100年という時間はあまりにも短過ぎる。


 永遠の命を欲する人間は人並み外れたマゾヒストなのだと思っていたけれど、今の僕には、永遠の命を欲する気持ちが痛いほど理解できる。


 僕は、永遠の命が欲しくて欲しくて堪らない。


 人生の素晴らしさと、人生の時間のあまりの短さに気づいてしまったから。


 いつまでも、いつまでも、ただひたすらに、麻生との旅を続けていたい。

 そこには競争なんてなくて、もちろん勝者も敗者もいない。

 幸せなだけの人生。

 苦しみや悲しみなんて乗り越えなくていいじゃないか。

 あっという間の人生なのだから、生まれた瞬間からこの世を去るその時まで、ずっと幸せで良いじゃないか。

 だけれど、少なくとも、今、この時代の、この世界で生きるという事は、命を奪う戦いに勝ち続け、それをむさぼり続ける事である。と定義されている。

 そんな世界の中で、永遠の命を欲するという事は、永遠に他者の命を奪い続けるという事だ。

 それは、とっても自分本位なエゴイズムなのだと思う。

 人々は、戦争やテロリズムを批判しながら、その口で今日もしっかりと命を奪い取るのである。

 奪い取った命に感謝して、全てを自分の糧に変えたなら、まだマシであるけれど、味が好みでないだとか、お腹がいっぱいであるとかいってゴミ箱に放り込む始末だ。

 美しい火になって、夜の闇を照らし続けるさそりの様に、自分の浅ましさに気がついて悔い改めることなど決してない。

 人は、自分の命が危機にさらされるや否や薄汚れたその本性を現して、醜態しゅうたいを晒しながら生に執着する。

 どんなに綺麗な言葉で飾り立てた所で、今この世界の上に立っている者達は、総じて勝者であり、幾千万いくせんまんの命を貪り食ってもなお、その生への渇望かつぼうは満たされる事は無く、いつか終わるその時まで、ひたすらに命を奪い続ける、ナチュラルボーンの殺戮者さつりくしゃなのである。

 僕らは今日も、奪った命の事など気にも留めずに、些細な悩みに忙殺されている。

 自分達で勝手に作り上げた競争社会に押し潰されて苦しみ続ける。

 自らの元にブーメランとなって返って来る事を想像出来ずに、言葉の暴力で互いの心が砕け散るまで傷つけ合う。

 たくさんの命をもらって、今ここに立っているというのに、命を大切にする事ができない僕らには、永遠の命を望む権利なんて無いのかもしれない。

 だけれど僕は、ただ命を奪い続けるだけの、勝者だけが立っていられる世界じゃない、違う形での生き方を見つけ出したい。

 もちろん、生きる為には命を分けてもらわなければならないのだけれど、奪う必要の無い命だってあるし、競争社会に押し潰されて、自分は敗者なのだという劣等感にさいなまれている人だって、本当は、そんな思いをする必要なんて無いはずなのだ。


 僕が僕で在れる世界は、あなたがあなたで在れる世界でなければならない。

 

 誰か一人が幸せになれるなんて事はありえない。


 敗者の上に成り立つ、勝者の優越感を、幸せなんて呼んでいいはずがない。


 競争がなければ。

 

 敗者がいなければ、幸せを感じる事が出来ないというのなら。


 そんなエゴイスティックな種族なんて絶滅してしまえばいい。


 全体の幸せ無くして、個人の幸せなんてありえないのだ。

 皆んなが幸せに笑っていられる。

 そんな世界を望む僕は、やはり、我儘わがままなのであろうか?

 『おいっ、コラッ、安藤。顔上げろ』

 街を見下ろし、思考の海の奥深くへと潜り込んでいた僕は、麻生の言葉で瞬く間に水面へと引き上げられる。

 『歯は食いしばった方が良いのかな?』

 『はっ?何言ってるの?食いしばんなくて良いよ。そんな事より、ウイスキーって言ってみて』

 『ウイスキー?』

 『もっと楽しそうに。大きな声で』

 『ウイスキー!』

 『よしっ。これからは、具にもつかない考えを頭の中でこねくり回した後は、ウイスキーって大声で言う様に。君の思考癖しこうぐせは禁止しても治らないみたいだから、せめて、これぐらいはやってよね』

 『なんでウイスキー?』

 『別に、君は理由なんて知る必要ないのよ。パブロフの犬がベルの音を聞いたらよだれを垂らす様に、君は具にもつかない事を考えたらウイスキーって大きく口を開けて言うの。とってもシンプルでしょう?信号待ちの時にもウイスキー。全校集会でもウイスキー。暗い夜道でだって大声でウイスキー』

 『そんな事してたら、この街の住人がざわついちゃうよ』

 『その程度の事でざわつく凡庸ぼんような連中は、好きなだけざわつかせておけば良いのよ。とにかく君は、来未くるみちゃんのいう事を聞いていればいいの。私を信じて。私は絶対に間違えないから』

 瞳孔どうこうが開ききったバッキバキの目で、そんな事を言ってくる女の子の事を信じたい。と思ってしまった事は、僕の心の奥の大切な場所に、しっかりとしまっておこうと思う。


 

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