華軍
柚希
弓張月と火花
昨年から暮らすこの五社という場所では、七月の新月の夜から七日間、
対して自分の忙しさと言ったら常日頃よりもなりを潜めている。理由は明白だった。討伐対象であるクサレ
何時もならやきもきしてしまうところだが、つい先日の
感覚上期間がずれているとはいえ、やはり十七年体に染みこんだ行事はやっておかなければ座りが悪かった。夏越の祓の為一番近くにある
『別に構わないけれどさ。突然いなくなると驚くだろ』
と家に戻ってから短い不満をメモ上で主張していた濫は最終日、同クラスの彼女と回るらしく俺よりも先に家を出ていったようだった。今日は同じ手は使えない。
❖
灯篭流しを済ませるための目的地である
「綺麗ね」
知らない女がその隣にいる男に楽し気に語り掛けている。顔を上げれば川に流した月下美人の群れが灯篭の光で薄らぼんやりと生白く光っていて三瀬川の彼方に飲み込まれていく。虚に消える小舟を見送るさまがなんとなく気持ちが悪かった。上手く虚に流れていけば願い事が叶うらしい。
そんな話、どこかで聞いた。……ああそうだ、『儀式』。その単語が脳裏をよぎる。
高得点の優秀者が招かれるその儀式に出れば一つ願いが叶うという。しかしそこから帰ってきた者はいないという噂だ。行方不明になった兄もおそらく、そう。
兄は願いをかなえて虚に沈められたのだろうか。それとも五社への憎しみが全ての物事を悪い方へととらえてしまっているのか、自分ではわからなくなっている。
綺麗な光景を素直に受け取れない苛立ちが腹の底に渦巻いて良くない。舌打ちを一つ零して踵を返した。
今日は最終日の花火が貒の空を飾る。それを見るにはもってこいの場所だった。この浮かない気分も祭りの飯を食いながら花火でも眺めれば少しは浮上する、そう思う。
気配を感じぴたりと足を止めた。草葉の陰から様子をうかがってみる。……先客がいるようだ。
❖
その頃は虫の居所が悪かった。致し方ない事情で起こした傷害沙汰のおかげで俺の周りには根も葉も……とまでは行かないが少なくとも、尾鰭がついて泳ぎまわった悪名高い噂が蔓延し、謹慎が開けた頃には歩けば人が割れるか、ガラの悪い連中が道をふさぐかの二択になっていた。(今でも状況はそう変わっていない。それもこれも
ともかく、そんなタイミングに持ち掛けられた契約をすげなく蹴っ飛ばしたのもその頃のことだった。あれから交流はしていないが、日之の契約は果たされたという噂も聞いてはいない。……人のことは言えないのだが。
「……そこに誰かいるのか」
気づかれる前に場所を移そうとも思った矢先に先方から声が響く。日之は顔を上げてこちらの方に気を向けていた。気づかれているのにこちらから逃げるように場所を移すのも何だか癪だった。陰から月明かりのあるそちらの方へと踏み出す。
「
まともに会話するのは片手以内に収まるというのに日之はあっけらかんと口を開いた。その様子に思わず言葉がついて出る。
「貒には見ない
「知り合いに用があって寄った帰りだ。祭には性が合わない」
「知り合いが貒にいたとはな」
「なに、幼馴染だ」
そこを退けと暗に目線で示したが、ほんの少し腰を浮かせて社の階段の端に寄った日之は立ち去る様子はないらしい。軽く不満の睨みをきかせて、ささやかな抵抗として一段上の逆端に腰を据えた。
暫くの間沈黙が続き、後頭部を一瞥した後どうやら相手は話を続けるつもりではないようだ、と判断する。
ぱかりとモダン焼きのパックを開けば、香ばしいソースと紅生姜の香りが広がった。頬張れば麺とふかふかの生地はいくらか冷めていたが、かつお出汁の味が引き締まってこれはこれで好ましい。しかしもう少し醤油を何滴か垂らせばより好みの味になるだろう。家に持ち帰るべきだろうか、此処ですべて平らげてしまおうか。そんな風に思案しながら半分の月が浮かぶ空を眺めていた。花火の時間はもうそろそろだ。
❖
ひゅるるるるる……
どん。ぱらぱら。赤の大輪が空に咲く。遠くでわああっという歓声が響いている。続く打ち上げ花火の音もどこか遠い。
続いて緑、橙といったように花火は黒の空を明るく彩っていく。世界に自分以外誰もいないような感覚。空に呑み込まれたような…… どん。次いで青い花火が空に広がった。
「……闘草のとき同じような青の
声がして漸く世界に引き戻される。は、と気を向ければ日之が真っ直ぐこちらを見据えていた。口を開いたのか。
「お前の炎だっただろう、覡」
「さあな、どの炎のことだか」
再度かけられた言葉に適当に相槌を打つ。実際あの場所じゃ爆炎なんてそこかしこで起きていただろう。
「お前の炎だったよ」
「……やけに断言するな」
「見ていた人物に聞いたからな」
わざわざ聞いた? まさか本当はそんなことを言いにここまで来たのか?眉を顰めると、流石にその意図は伝わったようで日之は首を横に振った。
「今夜出会ったのは偶然だ、他意はない。私はここで
耀血、その名前を聞けばまだ治りきっていないぐじゅぐじゅとした生乾きの傷口が服の中で一層痛んだ。
「覡、再度申し出をさせてもらおう。契約をしないか」
正直なところまだ二年半ばで契約が済んでいないことは目的の為にはかなりのディスアドバンテージだった。
詠手では神は殺せない。点数が欲しい。しかし詠手一人では限度がある。食べる手の止まったモダン焼きのパックを閉じて横に押しやりつつ、相手の顔を盗み見た。
……日之の戦績は良好、攻撃力と持久力に優れ短期決戦のパワータイプ型舞手。防御力は特出することはなくともトータルで申し分ない。俺が貫通力をさらに特化させてやれば苦手な持久戦に持ち込ませず神殺しをするための強い道具になりうる。
それは知っている、だが。
「俺は俺の言うことを聞く武器しか使うつもりはない。それに」
「儀式に出ることは承知の上だ。他に条件はあるか?飲もう」
開こうとした口を閉じる。武器という言い回しに眉一つ動かさなかったのもそうだが、兄と同じ儀式に出ること自体が目的である俺の契約者は生存確率は上がらない。それどころか、日之があっさりと言い放ったそれはおおよそにおいて心中の承諾ともいえた。
「随分と気軽に言うもんだな」
「軽いつもりはない。命が惜しくないとは言わんが、利点の方が多い」
それはそちらも同じではないか、と日之は続けた。
「神を殺したいのは私も同じこと。その為ならこの身をどう使おうとも構わない」
お前の為ではなく私の目的の為、お前の炎が欲しい。
こっぱずかしくなるようなことを堂々と言い放ったその目は、揺らぎも嘘もないように見える。それならば、これは願っても無い好機だ。断る理由はない。何故だかほっ、とした。
「そんなかっこつけた言葉、よくもまあ吐ける」
「私は真面目なんだが」
俺の顔に薄く笑いが漏れていたのか、馬鹿にされたととったのか。日之は少し憮然とした顔でそう訴えた。
「わかってるよ。おい、その言葉忘れるなよ。どう使っても、ってやつ」
「……?当然だ」
「その契約受けてやるって言ってるんだ」
炎なら好きなだけくれてやる。策も術もつぎ込んでこいつを無二の神殺しに仕立て上げる。
「
「ああ、元よりその腹づもりでいる」
死ぬまで続くこの契約は、慎重に行うべきものだとずっと思っていたのに、いざ決まるとなるとこんなにあっさりと進んでいくのが顔に出さずとも内心では少し
ひゅるるるる。どん。ぱらぱらぱら。
花火がひときわ輝いて、大輪からあふれた
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます