華軍

柚希

弓張月と火花

 昨年から暮らすこの五社という場所では、七月の新月の夜から七日間、ごしはらいと盆をいっしょくたにした「お礼参り」という行事がある。盆と正月が一緒に来た、なんて言葉があるがこの風習、まさに神職を生業としている実家が五社にあればそれはそれは火を吹くような忙しさだろうと思ったのは記憶に新しい。(あるいは一纏めにした方が楽だろうか?) まあ、それ程にこの行事は規模の大きいものであった。

 対して自分の忙しさと言ったら常日頃よりもなりを潜めている。理由は明白だった。討伐対象であるしんがこの期間は空気を読んで出てこない。

 何時もならやきもきしてしまうところだが、つい先日のとうそうで現れた大型の神、かがによって貫かれた体の風穴達はまだ酷く痛んでいるので、好都合といえばそうだった。平時詠手であれば危険極まりない夜の月を、表に出て一人で楽しめる今年最後の日。……できれば最終日である今日は静かに過ごしたい。狸の面をしっかりとつけて目的の場所へと向かう。


 感覚上期間がずれているとはいえ、やはり十七年体に染みこんだ行事はやっておかなければ座りが悪かった。夏越の祓の為一番近くにあるまみやしろに向かったのはこの七日間の初日のうちのこと。その日はやたら騒がしくお節介なクラスメイトに絡まれて、同行していた濫を押し付けてその場を去った。

『別に構わないけれどさ。突然いなくなると驚くだろ』

 と家に戻ってから短い不満をメモ上で主張していた濫は最終日、同クラスの彼女と回るらしく俺よりも先に家を出ていったようだった。今日は同じ手は使えない。


     ❖


 灯篭流しを済ませるための目的地であるぎょく地区は四年前行方不明になった兄、槿きんの暮らしていた地区でもあり、加えてあまり出会いたくない兄の猿真似男が現在進行形で住んでいる地区でもある。長居は無用、ということだ。そそくさと受け取った小舟に月下美人を乗せて作業的に、それでも静かに川へと浮かべた。

「綺麗ね」

 知らない女がその隣にいる男に楽し気に語り掛けている。顔を上げれば川に流した月下美人の群れが灯篭の光で薄らぼんやりと生白く光っていて三瀬川の彼方に飲み込まれていく。虚に消える小舟を見送るさまがなんとなく気持ちが悪かった。上手く虚に流れていけば願い事が叶うらしい。

 そんな話、どこかで聞いた。……ああそうだ、『』。その単語が脳裏をよぎる。

 高得点の優秀者が招かれるその儀式に出れば一つ願いが叶うという。しかしそこから帰ってきた者はいないという噂だ。行方不明になった兄もおそらく、そう。

 兄は願いをかなえて虚に沈められたのだろうか。それとも五社への憎しみが全ての物事を悪い方へととらえてしまっているのか、自分ではわからなくなっている。

 綺麗な光景を素直に受け取れない苛立ちが腹の底に渦巻いて良くない。舌打ちを一つ零して踵を返した。


 ひん地区でモダン焼きとフランクフルトを買って一人貒地区の森の中。はなむけのチンドン太鼓や笛の音が遠くから微かに聞こえる。今日の弓張月は明るさも十分だ。

 今日は最終日の花火が貒の空を飾る。それを見るにはもってこいの場所だった。この浮かない気分も祭りの飯を食いながら花火でも眺めれば少しは浮上する、そう思う。

 気配を感じぴたりと足を止めた。草葉の陰から様子をうかがってみる。……先客がいるようだ。


     ❖


 ぐら。入学早々の謹慎明け、初めに俺に契約を申し込んできた男。赤い髪と同系色の目の色がそのまま彼の成りを表しているといったようなきんの舞手だ。そいつが貒の社の階段に腰かけて何事か思案している。

 その頃は虫の居所が悪かった。で起こした傷害沙汰のおかげで俺の周りには根も葉も……とまでは行かないが少なくとも、尾鰭がついて泳ぎまわった悪名高い噂が蔓延し、謹慎が開けた頃には歩けば人が割れるか、ガラの悪い連中が道をふさぐかの二択になっていた。(今でも状況はそう変わっていない。それもこれものせいだ。)まあ、それに一年の初め頃は神狩よりも兄探しに気を取られてたっけか。

 ともかく、そんなタイミングに持ち掛けられた契約をすげなく蹴っ飛ばしたのもその頃のことだった。あれから交流はしていないが、日之の契約は果たされたという噂も聞いてはいない。……人のことは言えないのだが。

「……そこに誰かいるのか」

 気づかれる前に場所を移そうとも思った矢先に先方から声が響く。日之は顔を上げてこちらの方に気を向けていた。気づかれているのにこちらから逃げるように場所を移すのも何だか癪だった。陰から月明かりのあるそちらの方へと踏み出す。

かんなぎか」

 まともに会話するのは片手以内に収まるというのに日之はあっけらかんと口を開いた。その様子に思わず言葉がついて出る。

「貒には見ないつらだな。こんなところで何をしてる」

「知り合いに用があって寄った帰りだ。祭には性が合わない」

「知り合いが貒にいたとはな」

「なに、幼馴染だ」

 そこを退けと暗に目線で示したが、ほんの少し腰を浮かせて社の階段の端に寄った日之は立ち去る様子はないらしい。軽く不満の睨みをきかせて、ささやかな抵抗として一段上の逆端に腰を据えた。

 暫くの間沈黙が続き、後頭部を一瞥した後どうやら相手は話を続けるつもりではないようだ、と判断する。

 ぱかりとモダン焼きのパックを開けば、香ばしいソースと紅生姜の香りが広がった。頬張れば麺とふかふかの生地はいくらか冷めていたが、かつお出汁の味が引き締まってこれはこれで好ましい。しかしもう少し醤油を何滴か垂らせばより好みの味になるだろう。家に持ち帰るべきだろうか、此処ですべて平らげてしまおうか。そんな風に思案しながら半分の月が浮かぶ空を眺めていた。花火の時間はもうそろそろだ。


     ❖


  ひゅるるるるる……


 どん。ぱらぱら。赤の大輪が空に咲く。遠くでわああっという歓声が響いている。続く打ち上げ花火の音もどこか遠い。

 続いて緑、橙といったように花火は黒の空を明るく彩っていく。世界に自分以外誰もいないような感覚。空に呑み込まれたような…… どん。次いで青い花火が空に広がった。

「……闘草のとき同じような青の耀かがやく花火を見た」

 声がして漸く世界に引き戻される。は、と気を向ければ日之が真っ直ぐこちらを見据えていた。口を開いたのか。

「お前の炎だっただろう、覡」

「さあな、どの炎のことだか」

 再度かけられた言葉に適当に相槌を打つ。実際あの場所じゃ爆炎なんてそこかしこで起きていただろう。

「お前の炎だったよ」

「……やけに断言するな」

「見ていた人物に聞いたからな」

 わざわざ聞いた? まさか本当はそんなことを言いにここまで来たのか?眉を顰めると、流石にその意図は伝わったようで日之は首を横に振った。

「今夜出会ったのは偶然だ、他意はない。私はここでかが戦での反省をしていたに過ぎない」

 耀血、その名前を聞けばまだ治りきっていないぐじゅぐじゅとした生乾きの傷口が服の中で一層痛んだ。

「覡、再度申し出をさせてもらおう。契約をしないか」

 正直なところまだ二年半ばで契約が済んでいないことはの為にはかなりのディスアドバンテージだった。

 詠手では神は殺せない。点数が欲しい。しかし詠手一人では限度がある。食べる手の止まったモダン焼きのパックを閉じて横に押しやりつつ、相手の顔を盗み見た。

 ……日之の戦績は良好、攻撃力と持久力に優れ短期決戦のパワータイプ型舞手。防御力は特出することはなくともトータルで申し分ない。俺が貫通力をさらに特化させてやれば苦手な持久戦に持ち込ませず神殺しをするための強い道具になりうる。

 それは知っている、だが。

「俺は俺の言うことを聞く武器しか使うつもりはない。それに」

「儀式に出ることは承知の上だ。他に条件はあるか?飲もう」

 開こうとした口を閉じる。武器という言い回しに眉一つ動かさなかったのもそうだが、兄と同じが目的である俺の契約者は生存確率は上がらない。それどころか、日之があっさりと言い放ったそれはおおよそにおいて心中の承諾ともいえた。

「随分と気軽に言うもんだな」

「軽いつもりはない。命が惜しくないとは言わんが、利点の方が多い」

 それはそちらも同じではないか、と日之は続けた。

「神を殺したいのは私も同じこと。その為ならこの身をどう使おうとも構わない」

 お前の為ではなく私の目的の為、お前の炎が欲しい。

 こっぱずかしくなるようなことを堂々と言い放ったその目は、揺らぎも嘘もないように見える。それならば、これは願っても無い好機だ。断る理由はない。何故だかほっ、とした。

「そんなかっこつけた言葉、よくもまあ吐ける」

「私は真面目なんだが」

 俺の顔に薄く笑いが漏れていたのか、馬鹿にされたととったのか。日之は少し憮然とした顔でそう訴えた。

「わかってるよ。おい、その言葉忘れるなよ。どう使っても、ってやつ」

「……?当然だ」

「その契約受けてやるって言ってるんだ」

 炎なら好きなだけくれてやる。策も術もつぎ込んでこいつを無二の神殺しに仕立て上げる。

やわな武器なら要らねえ、俺の武器になるからには折れんのは許さない。これが第一条件だ、いいな」

「ああ、元よりその腹づもりでいる」

 死ぬまで続くこの契約は、慎重に行うべきものだとずっと思っていたのに、いざ決まるとなるとこんなにあっさりと進んでいくのが顔に出さずとも内心では少し可笑おかしかった。


 ひゅるるるる。どん。ぱらぱらぱら。


 花火がひときわ輝いて、大輪からあふれた火花ヒバナの雫が取り出した神札を照らした。

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