どんなに欺いても(2)

 華音の頭の中はもうぐちゃぐちゃだ。返事をしようにも言葉が出てこない。


「貸してくれ」


 状況を見かねた赤城が、華音の背後から携帯をぶんどった。そして、つけ入る隙を与えずに店内に響き渡るような大声で、まくしたてた。


「これは仕事だと言っただろう。彼女の衣装代もきちんと必要経費として計上する。パーティーのエスコートは私に任せて、君はせいぜい敵情視察に精を出したらいい。では失礼する」


「あ、切っちゃった……んもう、赤城さん! あとでフォローするの、大変なんですから!」


 鷹山の不機嫌最高潮の顔が目に浮かび、華音は絶望的な気持ちになった。

 一人取り乱す華音を、赤城は冷静に眺めている。


「私はね、君の倍以上の時間、生きているんだ」


 華音は十六歳、赤城は三十七歳、その歳の差は二十歳以上だ。

 親子でも充分にありえる。しかし、赤城の外見は実年齢よりずっと若い。婚約者だとうそぶいても、違和感はない。


「何があった?」


「なにも――――無いですけど」


「じゃあその首についてる痕はどう説明する?」


 華音はとっさに右手で首の左側を触った。

 制服のシャツを着ているときには見えない位置だったが、大人っぽいデザインの薄桃色のカクテルドレスは、首筋があらわにされたデザインだ。

 華音は油断していた。つけられた『痕』は、ほぼ九割方消えかかっている。


「おいおい……嘘だと言ってくれ」


 おそらく赤城も確信があって言ったわけではなかったのだろう。しかし、痕がついた「理由」は分からなくても、その「原因」が何であるかは、大人の男にとっては疑問の余地もないこと。

 なにより華音のその反応が、赤城の予想を裏付ける結果となる。


「君たちは本当の兄妹なんだぞ? 承知の上か? それとも――――私の力が必要か?」


「どういう……意味ですか、それ」


「合意の上か、それとも強いられているのか。簡単なことだ。もちろん答えたくなかったら、答える必要はない」


 華音は、「黙秘」を選択した。




 再び車に乗り込み、鷹山の言う『パーティー』に出発する。会場は、市内で最も格調の高い欧風ホテルらしい。華音も名前は知っているが、建物の中に入るのは初めてだった。


 車内はしばらく無言のままだった。

 赤城の運転は丁寧だ。もちろん車が高級だということもあるのだろうが、騒音も振動も少なく乗り心地がいい。こうやって黙っていると、今にも眠ってしまいそうだ。


 窓の外の流れる景色を眺めながら、華音は頭の中でいろいろなことを考えていた。

 もちろん、先程ブティックで赤城に言われたことから、端を発している。


 ちょうど信号が赤になり、BMWは停車した。

 赤城は手持ち無沙汰なのか、ハンドルの弧を何度も指でなぞる仕草をしている。

 走行中はさほど気にならないのだが、停車しているときの沈黙はこの二人の組み合わせでは苦痛だ。

 華音はようやく、重い口を開いた。


「――上手く言えないんですけど。私よりも鷹山さんのほうが、私たちが兄妹だってこと意識してる気がする」


「そりゃそうだろう。君には親兄弟の記憶がない、鷹山君には記憶がある。それだけのことだ」


 赤城はさらりと簡単に言ってのける。


「彼は君以上に分かっているはずなんだが――その罪の重さを」


 華音には、鷹山のことを好きだという自覚がある。そして、同時に彼に愛されているんだということも、感じている。

 しかし。

 彼に対する気持ちを公言することは、華音には憚られることだった。

 一緒にそばにいるという選択が、彼の気持ちへの精一杯の答えだ。


「君にとっては他人にしか思えなくても、彼が君のことをそういう対象としてとらえるのは、言い方が乱暴だが――理解に苦しむ」


「だって」


 華音は思わず反論する。

 それを聞いて赤城は、運転席から助手席のほうに顔を向けた。

 至近距離で、二人の目と目が合う。


「私には他に頼れる人がいないんです。赤城さんだって言ってたじゃないですか。今となっては唯一の――」


「そうだ。唯一の、『実』の兄だ」


 後ろから軽くクラクションを鳴らされた。信号が青になったことに気がつかなかったためだ。

 赤城はルームミラーで後続車を確認しため息をつくと、冷静に車を発進させた。




「忘れているようだから、確認のために言っておくがね」


「何ですか?」


「私は両方選べと言ったはずだ。こうも簡単にどちらかに引きずられては……困るんだが」


 確かに、そんなことを言われたような気もする。

 しかし、両方の手を取って引き寄せようとしても、今の華音の力ではどうすることもできない。どちらかの手を離さないと、華音の身体はいずれ引き裂かれてしまうことになっただろう。

 自分自身を守るためには、こうするしか方法がなかったのだ――華音は必死に自己弁護を試みる。


「まあ、君はまだ若いからな。仕方がないところもある。ただ、忘れてはならないのは――そんな君を支えるために、私たちのような人生経験の積んだ人間が周りにたくさんいる、ということだ」


 何を言いたいのだろう、この男は。

 分かっている、言われなくても分かっている。


 いや、やっぱり分からない。そんな綺麗ごと――分かりたくもない。


「一番弟子の彼が悲しむようなことはもう、しないことだな」


 赤城の容赦ないひと言が、華音の胸に突き刺さった。



 一番弟子の、彼が。

 悲しむような――ことを。


 自分がしていると、この目の前の大男は言う。



「だ……だって、もう祥ちゃんはウチとは関係がない人だし」


 もうすでに、記憶の片隅に追いやろうとしていた名前を、華音は口にした。

 いま自分のそばには、鷹山がいる。

 鷹山が、その名を口にするなと。すべてを忘れろと。

 そう、華音に言ったのだ。


 ――だから私は今、こうしているのに。


「鷹山君が芹沢英輔氏の実の孫だと聞かされるより、君がそういう目にあっているということを聞かされるほうが、一番弟子の彼にとってはショックなんじゃないかと思うがね。まあ、私は彼と面識がないから、明言はできないが」



 ――祥ちゃんが、悲しむ。どうして。


 ――鷹山さんはずっと私のそばにいると言った。



 今は何も考えられない――不釣合いなドレスに身を包んだ華音は、静かに走行するBMWの車内でそっと、両瞼を閉じた。

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