一番弟子の報復(4)

「赤城さん? どうしたんですか?」


「あ、オーナー。お疲れ様です」


 華音と美濃部の言葉に、赤城は軽く頷いて応える。

 一方の鷹山は、露骨にうんざりとした顔をしてみせた。


「……またあなたですか。誰に断っていつもいつもここまで入り込んでるって言うんです?」


 赤城は三人のもとへ颯爽と歩み寄った。


「和久が教えてくれたんだ。本来なら、音楽監督の君から、オーナーである私に報告があってしかるべきだと思うのだが?」


「報告に至る前に、あなたが勝手にここまで来たんでしょう? まるでこらえ性のない……目の前にバナナをつるされた猿と一緒ですよ。いちいち出張って来るまでもなく、眺めのいい自室のデスクでおとなしく報告を待っていたらいいじゃないですか」


 赤城は鷹山の顔をじっと見据え、眉ひとつ動かそうとはしない。

 冷静だ。

 オーナーは頭に血が上っている若き音楽監督を一喝した。


「世の中には法というものがある。規律と秩序で満たされている。法や規律に縛られて身動きが取れず暴れるのは、若造のやることだと言ってるんだ」


 それに対して、鷹山の反論はなかった。白々しくそっぽを向いてみせる。

 赤城は一転して表情を緩め、今度は華音と美濃部のほうへと向き直った。


「思い通りに演奏会場が押さえられないというのであれば――芹沢君、君ならどうしたらいいと思うかな?」


 まるで先生と生徒のやり取りだ。華音は思っていたことを素直に答えた。


「会館の職員の人が言ってたみたいに、日程がぶつかった相手と話し合って説得してみる……とか」


「美濃部君は?」


「僕なら日にちをずらす方向で話を進める、でしょうかね。折衝にも手間がかかりますから、なるべく避けたいです」


「鷹山君はどうだい?」


 赤城は最後に、鷹山に同じ質問をした。

 怒鳴られ若造呼ばわりされたことがはなはだ不本意であったのか、鷹山は不機嫌な表情のまま、つけ離すように言った。


「…………公会堂の責任者に袖の下でも渡して、便宜を図ってもらったらどうです? 僕はやりませんけど」



「君たちのは本当、青二才の模範解答だな!」


 赤城が突然、大声を出した。



「……何なんです? 僕を挑発して怒らせたいのなら迷惑なだけです。早々に帰ってください」


 一触即発。

 華音は傍らにたたずむ美濃部青年の腕をつかんだ。そして、目の前で睨み合う二人の男の横顔を交互に見た。

 鷹山は凄んだ表情で赤城を見据えている。

 しかし赤城まったくひるむことなく、それどころか唇に笑みさえ浮かべ、さらりと言ってのけた。


「我々の自由になるホールを――造ればいいんだよ、鷹山君」


 二人の間に流れる微妙な空気。

 美濃部と華音はじっとやり取りを眺めていた。

 目の前の男が突然おかしなことを言い出したので、鷹山は唖然とした表情をみせた。


 造ればいいんだよ。造れば――。


「…………簡単に言いますけど、どれだけお金がかかると思っているんですか? いくらあなたが資金提供者だからといって……桁が三つは違いますよ?」


「もちろん大金だ。だから、音楽監督が中途半端な気持ちでは困るのだよ」


 オーナーは、試している。

 そして音楽監督は、試されている――。


「考えさせてください」


 さすがの鷹山も、途惑いを隠せずにいるようだ。

 確かに、即答しかねるほどの大きなプロジェクトである。


「もちろん今も中途半端だなんて決してそんなことはありませんが――正直、始めたばかりで将来的な展望すらまだつかめない状態なんです」


「即答してくれ」


 赤城はなおもたたみかけるようにして鷹山に迫った。


「将来的な展望がつかめない? つかめてから着手するのか? 人生、ときには大きな勝負も必要だ。自分自身の可能性を信じてすべてを賭けるのだ――さあ、答えてもらおう」


 それでも鷹山は、答えない。

 美しく透き通った両瞳に、惑いがみられる。


「造ってください」


 それまで黙って成り行きを見守っていた華音が、ためらう音楽監督に代わるようにして、オーナーの赤城に答えた。


「なに勝手なことを言ってるんだよ君は!」


「よし。ではこれからすぐに着手しよう」


「勝手に決めないでいただきたいですね。そんな無謀なこと、僕は絶対に認めませんよ」


 うんざりとした顔で、鷹山が釘を刺した。どう贔屓目に見ても鷹山のほうが正論である。

 しかし、この男の常識は型破りだ。


「芹沢君がいいと言っているんだ。私にとって、音楽監督の意見は二の次なんでね」


「……どういう意味です?」


「そのままの意味だよ。私は彼女に請われて最終的に出資の条件をのんだのだ。だから彼女の意見を優先する。簡単なことだよ」


 再び緊迫した雰囲気となる。

 華音は美濃部の背中に隠れるようにしながら、二人の男のやり取りをじっと固唾を飲んで見守っていた。見守る他はなかった。


「私は君のように天邪鬼ではないんでね。気に入ったら、愛情も金も惜しみなく注ぐさ」


 赤城は華音に目配せをし、一寸口の端を上げてわざとらしく愛想笑いをしてみせた。

 冗談なのか本気なのか、分からない。

 華音は怖々と鷹山の反応を待った。

 すると意外にも、鷹山は赤城に負けず劣らずの愛想笑いをしてみせた。

 極上の、天使の笑顔だ。


「あなたが注ぐのは、お金だけで結構ですよ?」


「フン、それが君の本心か――まあ、いいがね」


 赤城はそれ以上食いつくことはせず、肩をすくめた。そして、持ち前の采配手腕を披露してみせる。


「今回の演奏会にはさすがに間に合わないから、素直に規則に従い彼らに会場を譲りたまえ。次の日、日曜日の午後でいいじゃないか。日程をずらしたことによる過剰な出費は私が責任を持って負担しよう。これで芹沢君の失敗はチャラだ。何か意見はあるかな、音楽監督殿?」


「……好きにしてください」


 鷹山は半ば諦めの表情で、深く嘆息をもらした。



 赤城と美濃部が帰ってしまうと、鷹山は再び怒りがぶり返してきたのか――華音に向けて八つ当たり気味にわめき散らす。


「まったく、馬鹿げている! いいか、ああいう大劇場を運営するのは超一流の楽団や歌劇団を持つところばかりなんだぞ。こんな日本の吹けば飛ぶような半分アマチュアに足突っ込んだ団体じゃないんだよ。僕は海外で暮らしてたからよく分かっている。新しい劇場を建設してそれを運営していくなんて無謀もいいところだ! あのパトロン男ももう少し経営に関して分別のある人間だと思ったんだが……見込み違いだったようだ」


 鷹山は持ち前の饒舌を十二分に発揮し、息もつかせぬ勢いで一気にまくし立てる。


 何なんだろう、この男は。手当たり次第に悪意をむき出しにして、周囲の人間を困らせる。

 友好的に物事を進める――たったそれだけのことが、何故できないのであろうか。


 華音はもう、我慢ができなかった。


「鷹山さんが、芹響をその器に見合うだけの団体にさせればいいじゃない」


「……何だって?」


 怒った――。

 アシスタント如きに口答えをされたことが気に入らなかったのか、それとも。

 しかし、もうあとには退けない。


「できないんですか? あれだけの勢いで祥ちゃんに啖呵きっておいて、いまさらできないなんて……言えないと思うけど」



 歪んだ。

 この空間も。二人の関係も。

 そしてその、綺麗な音楽監督の顔も――。


 どうしてそんなことを言ってしまったのか。

 複雑な感情が入り混じる鷹山の表情を見て、華音は激しく後悔した。


「僕の前で二度と、その名前を出すな」

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