ふへんの溝

未結式

ふへんの溝

 奴はいつもそこにいる。皆の中心に座し、全員がその存在を知りながらも、気にも留めずに日々を過ごしていく。

 奴も確かにそこにいるものの、何事にも干渉することもなく、何か役目を果たすわけでもなく、ただただそこにいる。

 奴は一体何なのか、その存在意義とは。


 












――鼻の下の溝とは一体何なのか。









 そう鼻の下の溝である。




 皆さまは気に留めたことがあるだろうか、鼻の下の溝のことを。おそらく全ての人間の顔の真ん中に存在しているものであり、気にしていないだけで人と話している間、必ず視界に入っている。

 しかし皆その溝に、触れることは少ない。

 『銀魂』の主人公である坂田銀時氏はある話で、ティッシュと割り箸で作ったパトリオットと呼ばれる何のために存在しているか分からないものを、鼻の溝を同列に扱っていた。

 このことからわかるように、鼻の下の溝とは何かの役に立つものではないというのが共通認識であろう。鼻の下の溝があったおかげで銃弾を弾くことができましたとか、鼻の下の溝があったおかげで彼女ができましたとか、肘から膝へかけてのラインのようにメディアに取り上げられたという話も聞かない、あったらあったでいらない存在である。

そして役に立たないが故に誰も気に留めないのである。

 ならば何故この溝は存在しているのだろうか。

 人間とは進化する生き物である。生きていくうえで環境に適応するために技術を手に入れて生き残ってきた。

 もちろん進化するうえで失った機能もある。

 足の小指の第二関節は退化癒合してなくなったし、狩り行わない人間は耳を動かすことができなくなった。

 そういった必要のない体の機能は淘汰されるのである、しかし人間の進化を経てもなお、鼻の下の溝は永久不変に存在している。

 だが前述のとおり、体において必要のない機能は消滅するのである、裏を返せば、体にある者には何かしらの意味が存在しているということになる。



 この鼻の下の溝は『人中』と呼ばれている。これは赤ちゃんがお腹にいるときに顔のパーツが綺麗に並んでいない期間があり、時間をかけてバランスよく並んでいく、その中で鼻と口が中心に並んだ時にその溝が現れるのである。

 つまり鼻の下の溝は、生まれる前自らの顔を形成したという戦いの証ということなのである。



 鼻の下の溝は遍く全ての人間に存在し、いつまでも変わらずに存在している。鼻の下の溝は人の中心にあるものでありながら、誰も気に留めない存在である。

 しかしその正体は、私たちが生まれる前にあった顔の形成という最重要工程の痕跡である。

 このことをどうか覚えていてほしい。鼻をかんだ時、マスクをつけるとき、そんなふとした瞬間に思い出してほしい。

決して意味のないものではない。このすべての人間の中心に、変わらずにふへんに存在する溝のことを。

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ふへんの溝 未結式 @shikimiyu

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