「スタートライン」

サカシタテツオ

□スタートライン


 見慣れない病室。

 いつも通っているのとは違う病院。


 入院中。

 窓から見えるのは建築中の新病棟。


 いつか読んだお話だと窓から見える葉っぱが全部落ちれば死んでしまう。


 ーーあのお話は誰かが葉っぱの絵を描いてくれるんだっけ?

 でも私の病室から見えるのは建築中の新病棟。

 シートで囲われてなにも見えない灰色の塔。


 ーーきっとアレが完成する頃に私は死ぬんだわ。

 なんてね。うそ。そんなにカンタンに死ぬ事はない。


 手術は五分五分。

 うまくいけば健康体、失敗しても死にはしない。

 早死するよと言われた体に傷が付き、わずかに私のHPが減ってしまう。

 それだけのこと。


 大病を克服した人のコトバ。

 やりたい事をやりたいと思った時にやれ。

 そんな事はわかっている。


 だけどできない。

 思うように動けない。

 動くにはサポートがいる日もある。

 何かをするにはお金がかかる。

 収入源が確保できていないと話にならない。


 難病の人のお仕事をサポートするボランティアの話を聞いたりするけど、重度の障害の方々がメインで私のようにぱっと見は普通の感じの人は相手にされない。

 私だって重度の難病患者なのにだ。

 一年の3分の2は病院にいる。

 残り3分の1があるじゃないかって?

 とんでもない。

 外に出れるほど調子のいい日なんて月に3日もあればイイほうなのだ。

 ーー月の10分の1だよ。

 ーー自分ひとりで動けるの。


 うちは裕福じゃない。

 どちらかと言えば貧乏寄り。


 父はシャッター通りの商店街でポツンと八百屋をがんばっている。

 母は昔勤めに出ていたけれど、結婚を期に退職し父と2人で八百屋を頑張る。


 生まれた時には病気を抱えていた。

 せっかく生まれた我が子がこんな体でごめんなさい。

 生まれてきてごめんなさい。

 いつもどこかでそう思う。

 だけどこれは2度と言わない。そう決めた。

 中学生になった頃、ほとんど学校に行けない私は両親にあたりちらして

 ーー生まれたくて生まれたんじゃない!

 ーーこんな身体なんかで生まれたくなかった!

 ーーあんた達だって本当は私が重荷なんでしょ!

 ーー私がいなければもっともっと幸せな生活だったんでしょ!

 と言ってしまった事があるのだ。


 両親の重荷になっている。

 これは事実だろう。

 両親は絶対認めたりしないだろうが、心のどこかでそんな思いはあるはずなのだ。

 それでも両親は私に対して嫌味の一つも言わない。

 今でも病院の送り迎えをしてくれる。

 仕事だってあるのに。


 感謝している。それは間違いない。

 恨んでいるかと聞かれると少し返答に困る。

 恨んではいないけれど、やはりどこかで納得はできていない。

 それでも不幸のどん底なんかじゃない。


 店番にでれば常連のお母さん方がおもしろおかしいご近所情報を聞かせてくれる。

 一緒に遊ぶ事なんてできなかったけれど、中学・高校の同級生もたまに顔を出してくれる。

 幸せの定義なんてわからないけど、不幸のどん底でないのは確かなのだ。


 私は独学で経理の事を学び、父の八百屋の経理をしている。

 なんて言うと聞こえはいいけど、少しでも両親の負担を減らしたくて無理やり店の仕事に関わっている。

 それに、そうでもしないと社会との関わりがゼロになっちゃうしね。


 私が店に出るようになってから、いくつか父に提案してみた事がある。

 テレビやネットで話題の野菜。

 女子ウケしそうなキラキラした果実。

 ヨーロッパ原産のちょっとおしゃれな雰囲気の農産物。

 そんな商品をなんとか仕入れてもらったものの、売上には結びつかなかった。

 ここはシャッター通り。

 常連さんが求めるものは安くて見た目がよくて、なおかつ健康的なイメージのモノ。

 いくら健康にいいと言っても高いものは売れない。

 そういうのはデパ地下でないと売れないみたいだ。



 ある日、母と2人で店番していると若い営業さんがやってきた。

 いつものように「チラシを作ってみませんか?」とか

 「まちおこしのイベントに参加してみませんか?」等とか言う感じの人じゃなくて、どこか幼い感じのスーツに着られている感じの青年。

 

 ーー新入社員かしら。


 社会に出たことはないけれど、話はよく耳にする。

 新人営業さんの苦労話。

 新人さんにもいきなりノルマがかせられる、本当に厳しい現実社会。


 そんなかわいそうな想像をしてしまい、なんとなく話を聞いてみる事になった。


 その幼い感じの営業さんはどこかの会社の社員ではなかった。

 農家の息子で自分も跡を継ぐため頑張っているのだそうだ。

 親から畑の一部を借り受け、自分なりの工夫とアイデアであたらしい農家をめざしているらしい。

 そんな試みの一つ。

 伝統野菜の復活。


 彼が今一番力を入れている農作物。

 話を聞いて関心をもってしまった。

 自分の地元にこんなにたくさんの農作物があったなんて、まったく知らなかった。

 かぼちゃの形はヘチマみたいだし、なすびなんて真っ白だ。

 ーー面白い。


 私は父に頼み込み若い営業さんの言う伝統野菜を扱ってもらう事にした。

 最初父はかなり渋ったけれど、結局はOKしてくれた。

 渋った理由を聞いてみた。

 『農家さんとの直接取引なんて聞いた事がない。』

 『扱う野菜の事をまったく知らない。』

 『生産量が少ない上に不安定。』

 『野菜の知名度が低くすぎて売れる気がしない。』などなど。

 ーーまぁ確かにそうだよね。

 私も勢いで言ってしまったところがある。ちょっと反省している。

 だけど、これは、今回はなんだかとてもいい予感がする。

 幸せの匂いがしたのだ。


 それから彼は毎日お店に来ているらしい。

 彼の一番目の取引先。力も入ってしまうのだろう。

 私は病院通いの日々なので、お店に出るのは月に7日もない。

 だから両親から聞く彼の話は毎日のたのしみの一つになった。


 伝統野菜の歴史や食べ方のパンフレットを作り店先で配る。

 さらにはお店のポップまで作って手伝ってくれる。

 本当に一生懸命。

 私は何もできないけれど、心の中で応援している。

 きっとうまく行く。すぐに軌道に乗り始めるよと。


 ある日、母が謝ってきた。

 彼とおしゃべりしている時に、うっかり私の病気の事をしゃべってしまったらしい。

 別に口止めはしていなかったけど、病気の事を知った人達はみんな同じ反応をするので、口外しないようにしていただけだ。


 ーー次に顔を合わせる時にその話題にならないように気をつけないと。


 運がいいのか悪いのか次の日には顔を合わせる事になった。

 だけど彼からはその話は出なかった。

 彼の話はお天気の話。

 あと3日ほどでやってくる台風の話。

 雨が多すぎると根が腐る。

 日が短いと実がならない。

 風が強いと苗が倒れる。

 といった具合。

 本当に野菜達を愛しているようだ。

 

 ーーおもしろい。

 いや台風は笑い事ではないのだけれど。

 その日、私達はスマホのアドレスを交換した。

 店への連絡だけでなく私に畑で育つ野菜の画像を見てほしいって。

 

 ーーかわいい人だ。

 それから台風がすぎるまで彼はお店に来なかった。

 ちゃんとお店には連絡が来ていたそうだけど。

 私のスマホには何も来なかった。


 台風一過の朝。まだ布団の中でぼんやりしている時間。私のスマホが振動する。

 彼からだった。

 無事な畑と野菜達。

 

 ーー本当に嬉しそう。


 それからは毎日メッセージがきた。

 全てに畑と野菜の画像付き。


 ーーなんだろう、小学生の絵日記みたい。


 彼は時々野菜以外の話も送ってくれた。

 私には体験出来なかったキラキラの青春話はまぶしすぎたけど、たのしく読んだ。

 彼は東京の大学に進学し憧れの都会生活を満喫していたらしい。

 だけど2回生になった頃には実家に帰って農家を継ぐと決心していた。

 理由は書いてなかったので知らないけれど。


 スゴイなと思う。

 私は23歳になっても自立の道も見えず、両親におんぶに抱っこ。

 病気の事もあるけれど。

 いつまでも両親が健康でいるとは限らない。

 私も私自身を支える手段が必要なのだ。

 分かってはいるのだけど何も出来ないでいた。

 もっと真剣に考えよう。『ココに改めて誓います!』

 彼にそんなメッセージを送ると『応援してます!』

 と一言だけ返ってきて、もっとしっかり応援してよ!と声に出してしまい母に笑われてしまった。



 そんなやり取りが半年ほど続いたある日、めずらしくお店のFAXに連絡が来た。

 彼ではなく彼のお母さんからだった。


 半年前私の病気の話を聞いた彼の両親が自分たちの知り合いに聞いて回って腕のいいドクターを見つけたという知らせ。


 正直戸惑っている。

 これまでも似たような事はあったのだけど、そのどれもが満足いく結果にならなかったからだ。


 でも、せっかくの好意を無下にする事もできない。

 私は担当ドクターにお願いし、腕のいいドクターが居るという病院への紹介状を書いてもらった。


 そこからは怒涛の日々。

 検査結果を見ながらドクターの話を聞く。

 今までのドクターと違ってすごく丁寧、悪くいうと弱腰。

 だけどこの病(やまい)の治療には自信があるそうだ。

 もちろん100%全快とはいかないけれど、普通の生活を送れるようになるはずだと。

 治療に自信はあるけれど、その結果については五分五分と言う。

 やってみなければわからない。なんとも頼りないけど正直なドクターだった。



 私は遠く離れた知らない病院のベッドの上で外を眺める。

 この治療がうまくいかなくても、これまでと変わらない生活が待っている。

 ただ、これからは自立を念頭にいっぱい努力をするつもり。

 

 ーーそう誓ったしね。


 もしも上手くいって普通の生活が送れるようになったなら・・・。

 私は両親の重荷を軽くする事ができるだろう。

 私の自立への道も少しだけハードルが下がるかもしれない。

 その時は彼や彼の両親にも御礼の挨拶に行こう。

 ちゃんと自分で自分の足を使って。

 

 ーーおみやげは何がいいのだろう?


 そんな事を考えてすごす入院の日々。

 今の私は幸せの予感しかしない。きっと上手くいくはずなのだ。


 私に最後の1枚の葉っぱの絵なんていらない。

 毎日元気な野菜の画像がやってくるから。



 今やっと私のスタートラインが見えはじめた。

 そんな気がする。


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