アイリスプロセス -虹の彼方に-
リマリア
序節 -第四の奇跡-
西暦2036年8月13日
太平洋の島国 ミクロネシア連邦 ポーンペイ州 テムウェン島 ナン・マドール遺跡にて
空を見上げるとそこには一人の少女が浮かんでいた。
“幻覚” だろうか。
いや、これは間違いなく現実である。
ハワードは目の前で起きている事実を認識しながらも頭で理解することが出来ないままでいた。
少女の背後では無数の流れ星が輝きを放ちやがて消える様子を繰り返す。
数えきれない程の瞬きが空を埋め尽くし、それらはさながら流星群のように垂直に水平線へと向かって落ちていく。
光の軌道は高空の極点から降り注ぎ光の帯を絶え間なく暗い空へ描き出した。
未だ太陽が天高くに昇っている時間であるはずなのに、赤色と藍色が溶け合ったような空の色はまるで夜の帳が降りたようである。
幻想的な光を纏い宙に浮かぶ少女が口を開く。彼女の言葉はその場に集うおよそ2万人の人々の脳へ直接語り掛けられるかのように響き渡る。
「刻限はここに。聖母マリアによるお告げである。我々を苦しめる厄災は間もなく終わりを迎えます。病に苦しむ者は奇跡の水によって癒され、もはや苦しむことなど何もありません。神罰の刻は近く、それは遠雷の轟をもって貴方達に示されます。それこそが我々に与えられ給う道標となりましょう。その後、我らの神は罪人を裁かれます。」
少女がそこまで言い終わると流星群のような輝きは止み、突如として雷雲が天を覆った。
雲の隙間からは雷の光が溢れ出るように所々で光を放っている。
「天を見上げなさい。ここに神の威光が示されます。全ての人々よ、祈りましょう。祈りの継続によってのみこの奇跡は成し遂げられます。偉大なる聖母への祈りは拡大し、天の意思に呼応して大いなる我らの神、雷神ナーンシャペの目覚めの時が今訪れます。」
次の瞬間、少女の背後に強烈な閃光が発生する。天から海上に向けて無数の光の柱が突き刺さった。
赤雷。レッドスプライト。超高層紅色型雷放電が光の柱となって水平線を埋め尽くすように海上へと降り注いだ。少し遅れて耳を劈くような轟音が衝撃波を伴い周囲一帯へ響き渡る。
音の波は体を打ち付けるように激しく大気を駆ける。
「我らの祈りは神話の垣根を越えてここに結実しました。災厄の元凶よ。愚かなる罪人よ。これは天上の意思。聖母マリアを通じて与えられた警告である。なれど、神はお前達に慈悲を与え給う。これより2月ほどの猶予を与えます。それまでの間にこの地を去りなさい。さもなくば、神罰はお前達に注がれ、神の怒りはお前達の死をもってのみ鎮まることになるでしょう。」
宙に浮かぶ少女の瞳は鮮やかな黄色に輝き地上にいる者達を見下ろしている。
彼女の遠く背後では今も雷が轟き、時折その光の刃を海上へと突き立てている。遺跡に集まった人々は両手を合わせて跪き、宙に浮かぶ彼女へ、そして天へ向けて畏怖と畏敬の眼差しを向けつつ、祈りを捧げたまま動かない。
とても現実の光景とは思えない。自然現象では有り得ないことだらけであり、何もかもが異常だ。
「…同じだ。これはあの時と同じだ。」
ハワードは2年前にある島付近の海上で自身が経験した超常現象のことを思い返した。人智という領域を超越した怪異。人の手が触れてはならない神秘。
あの時邂逅した少女が垣間見せた奇跡と同等か、それ以上の光景が目の前に広がっている。
もはや自分達だけの力でこの問題を解決することは出来ない。過去の経験則からそう悟ったハワードは例の島にまつわる事件を解決に導いた彼らに応援を要請することを心に決めた。
宙に浮かぶ少女はおもむろに両手を広げて天へを伸ばす。
「全ては人々の祈りによって。天上の意思は我らの願いを聞き届けてくださいます。翌月同日、天よりの御言葉はこの場に届けられます。人々よ、祈りましょう。私達の汚れなき心の祈りがこの地に勝利をもたらします。汚れなき心で奉献することによって、必ずやこの大地に、我ら敬虔なる信徒に平穏がもたらされることでしょう。」
少女が言葉を言い終わると同時に、それまで上空を埋め尽くしていた雷雲は跡形も無く消え去った。
同時に太陽の眩しい光が太平洋の島に降り注ぎ、海を煌かせた。つい先程まで起きていた現象が嘘のように…まるで何事も無かったかのように静かな景色が広がっている。
僅か数分前に宙に浮かんでいた少女は地上へと降りたっており、付近の島民と笑顔で会話をしつつ時に祈りを捧げていた。
ハワードはその場に立ち尽くし、浮かない表情でその少女を一瞥する。その後すぐに踵を返し、自らの帰るべき場所へと帰投する為に歩き始めた。
ある者はこれを『太陽の奇跡の再来』と呼ぶ。
西暦2036年5月13日より続く『聖母の奇跡』の継続。
其の “第四の奇跡” である。
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