第31話 あなたに明かす秘密
本日二回目の湯に浸かり、侍女たちに丁寧に磨かれ髪の毛も乾いたころ。
フューレアはレーヴェン公爵家の客間をぐるぐると回っていた。
すでに時刻は真夜中。手の中にはギルフォードたちの尽力によって見つけ出された大事なメダイユがある。
あれからフューレアはギルフォードと一緒にレーヴェン公爵家へと戻ってきた。否、気が付いたら湯に浸かっていた。我を忘れて泣きじゃくっていたらしい。おかげで顔を洗った今も目が赤い。感情を表に出して泣いたのは初めてだった。最後は泣き止むことができなくて、しゃっくりが止まらなくて怖くなって余計に泣いてしまったというおまけつき。
たくさんのことがあって、まったく眠気が訪れない。
心に浮かぶのはギルフォードの顔。それから彼への感謝。言い表せない感情の数々。
一つだけ言えるのは、いまフューレアはギルフォードに会いたいということ。
朝を待つのがもどかしかった。泣いてしまったせいで、彼への感謝だって十分に伝えきれていない。胸の鼓動が早まってとてもではないけれど、眠れそうもない。
たくさん迷うように客間の中を歩き回って、ついにフューレアは部屋の外へ出た。
向かうのはギルフォードの私室。
彼の部屋の前までやってきたフューレアはゆっくりと手を持ち上げ恐る恐る扉を叩いた。
「誰だ?」
まだ眠っていなかったらしい。中から誰何の声が聞こえ、少ししたのち扉が薄く開いた。
「フュー?」
室内着に着替えたギルフォードの髪はほんの少し濡れていた。
驚きに目を見開く彼に、何を言っていいか頭の中が真っ白になって、フューレアはギルフォードを見上げたまましばしのあいだ固まった。
「どうしたの? こんな時間に」
「あの。どうしても……あなたにお礼が言いたくて」
「明日でよかったのに」
ギルフォードの声はどこか素っ気なかった。
フューレアは自分の心がシュルシュルとしぼみ始めるのを自覚する。衝動のままに来てしまったけれど、やっぱりこの時間は迷惑だったのかもしれない。
「あの、今日は……迷惑をかけてごめんなさい」
「フューが謝ることではないよ。事情はちゃんと把握をしている。悪いのはきみの大切な宝物を奪って捨てた方にある」
「でも、その。……わたし、どこかで諦めていた。とても小さなものだったし、運河は水の流れもあるし……。」
けれども、ギルフォードは時間をかけて探してくれた。彼だって忙しい身の上なのに。
「あなたは約束をしてくれた。そして、その通り見つけてくれた」
「私一人の力じゃないよ。たくさんの人たちが手を貸してくれた。みんながフューレアの大切なものを守りたかった」
「うん……。みんな、わたしのためにたくさんたくさん奔走してくれて……。わたし」
最後は言葉が続かなくなる。人の善意によって母の形見ともいえるメダイユが手元に戻った。
「もう遅いから。おやすみ」
部屋へ戻るよう促されて、フューレアは咄嗟にギルフォードにしがみついた。
「フュー⁉」
薄着のままギルフォードにしがみつくと、いつもよりも早く彼の体温が伝わってくる。男性特有の固い胸に己の頬を擦りつけた。
猫が拾い主にどうやって愛情表現をするべきなのか迷うような、その仕草にギルフォードが咄嗟に両腕を上げた。
「フュー、だめだ。離れるんだ」
「どうして⁉ いつもはギルフォードのほうからわたしにべたべたまとわりつくじゃない。どうして今日に限って冷たいことを言うの?」
「どうしてって……そんな薄着で抱き着かれたら……」
「わたし、いま……わたしにできることなら何でもしてあげたいの」
小さな声はギルフォードに届いたのかどうか。
ぎゅっとしがみついているため、彼の表情はフューレアには分からない。
ギルフォードは少しの間沈黙をした。
フューレアはその間もずっと彼に抱き着いていた。自分が寝間着のままだということもすっかり忘れていた。
「フュー、男にそんなことをたやすく言ってはいけないよ」
「ギルフォードじゃないと、こんなこと言わないわ」
「なにか、理性を試されているような気がする……」
ギルフォードが苦悩気な声を出した。
フューレアは意味が分からなくてキョトンとする。理性とはいったい何のことだろう。
「ねえ、ギルフォード。もう少しだけ一緒にいてもいい?」
「ああ。気のすむまで私の側においで」
何かを諦めたのかギルフォードの声から硬さが消え去った。
フューレアは嬉しくなってギルフォードに頬を摺り寄せた。
そのまま彼の部屋へと案内をされて隣同士で座る。
何を話そうか。何から話せばいいのだろう。
たくさんの想いが体の中から溢れ出てくる。これをどうやってギルフォードに伝えればいいのだろう。
ギルフォードはフューレアの傍らで、じっとその様子を見守っている。
隣に彼がいることにとても安心をした。
もうずっと、フューレアはギルフォードに心を許していた。
「好き」
「え?」
「わたし……あなたのことが好きなのよ」
この先の未来、フューレアはギルフォードのとなりにいたい。こうやって二人きりで一緒にいたい。他愛もない話をして、笑い合って、それから。
フューレアはギルフォードにぎゅっと抱き着いた。
「ねえ……、わたしのすべてを受け入れてくれる?」
囁くような声は思いのほか切羽詰まったものになった。
「ああ。もちろんだよ。フューレアも、フィウアレアも。どちらのきみも私は愛している」
彼はフューレアの言葉の奥をきちんと読み取ってくれた。
そのことがとても嬉しい。
この人と、幸せになることを選びたい。
「ねえ、ギルフォード」
フューレアは室内履きを脱いだ。
「なに?」
はだしになった足を折り曲げて椅子の上に乗せる。
「見て」
指を指したのは右足の小指。その指は生まれつき曲がっている。
「怪我したの? それとも誰かにやられた?」
ギルフォードの声が固くなった。
己の身を案じてくれる発言に、フューレアは微笑んだ。
「ううん、違うの。これは生まれつき。モルテゲルニー家では昔から、こうやって足の小指が曲がって生まれてくる子が多かったと聞いているわ。わたしのお父様もそう。叔父様も」
フューレアはゆっくりと話し出す。
「そして王族同士で政略結婚を繰り返すリューベルン連邦の王族の中にはこの特徴を受け継いでいる人がいるの」
リューベルン連邦では古くから民族同士での結婚が当たり前だった。
銀色の髪に紫色の瞳という特徴的な外見を持つ彼らの中にはいつの頃からか民族主義的な優劣思想が生まれた。もちろん他の民族との結婚もあるし、その思想自体を厭う人もいる。しかし、優劣思想はどちらかというと貴族階級の間で広まったし、王族の中にもこの思想に囚われている人がいる。いつの頃からか、リューベルン連邦を形成する国々の上流階級、特に王族は異民族との結婚を避けるようになった。
王族は婚姻相手が限られる。結果連邦内の王族間の政略結婚が増え、血の濃さが増していった。その弊害によって近年では病弱な子供が多く生まれるようになった。フューレアにも兄がいたが
そのような歴史もあり、モルテゲルニー家以外の王家でもこの特徴を持つ者がいる。それは両親から聞かされていたし、おいそれと足の指のことを漏らしてはいけないとも忠告された。
「あなたには知っておいてほしくて。もしかしたらわたしたちの子供にも受け継がれるかもしれない」
「ありがとう。そんな大切なことを明かしてくれて」
ギルフォードがフューレアを抱き寄せ、いつものように膝の上に乗せる。すっかり定位置になってしまったが、今はここが己の居場所だと素直に思えるようになっていた。
フューレアの言葉の内容から、結婚の先の未来を感じ取ったのだ。強く抱きしめられたその腕の中でフューレアはこっそりと心の中で呟いた。
(お母様、お父様。わたし……ギルフォードと結婚をする)
これを明かすということは、フューレアはギルフォードを信じるということ。
母は言った。このことは将来結婚をすることになっても黙っていなさい、と。
きっと、それが一番良いのだろうと思う。ただのフューレア・ナフテハールには必要ない知識だから。
けれども、フューレアはロルテームの公爵家に嫁ぐことを選んでしまった。
彼でないと駄目だと、すでに心が決まった。
フューレアはギルフォードに全部を知ってほしいと思った。彼に心を預けるのだと決意をしたから。
「わたし、早くあなたの妻になりたい」
「本当? ならさっさと結婚契約書に署名をしてしまう?」
「情緒がないわよ。でも……結婚式は大きな教会でなくても、どこか温かな小さな教会で、近しい人たちだけで挙げたいわ」
不思議だった。あれだけ迷っていたのに。
一度心が決まってしまうと、早く彼のものになってしまいたいと願っている。この温もりが愛おしくて離したくない。片時だって離れたくない。
ギルフォードの温もりが心地よくて、そういえば今日は色々と大変で。気を許したフューレアの瞼がとろりと落ちていく。この腕の中から離れたくないなあ、と思いながらフューレアは眠りの国へと旅立った。
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