第39話 薔薇の棘と日本刀

「ようやくお出ましだな。警察じゃあ発表してねえようだが鳳の彫った刺青ばかり狙ってるみたいだがどう言う了見だ!」


黒い翼広の帽子を目深に冠り、黒いフロッグコートに丸いレンズのサングラス。黒い革手袋とドクターマーチンの黒いブーツの黒づくめの男はくつくつと喉奥で笑っていた。


「了見ねえ…。そんな大層な物じゃない。鳳くんの遺品を全てボクの物にしたいだけ」

「遺品?」

「たった十年ですよ、鳳くんが刺青で名を馳せたのは…。生きている間に何一つ彼はボクの物にならなかった。才能も愛も、二人で研究した物も時間も何もかも彼はボクに何一つ残してはくれなかた。彼の遺品くらいボクが貰っても良いでしょう?」


こいつは病んでいる。

鳳とどんな事があったのかは分からないが、強烈な執着の臭いを鹿島は感じた。

一見、真面まともそうに見えるが、こう言う奴が一番タチが悪いのだ。


「そんな事知るか!どんな愛憎だか知りたくも無い!胸糞が悪い!テメェの身勝手に人を巻き込みやがって!お前みたいな奴を野放しにしたら世の中の為にならねえ!速やかに俺が叩き切って鳳の元に送ってやるぜ!」


そう叫ぶが早いか鹿島はスラリと日本刀を鞘から抜き放った。僅かな光にもそれはギラリと鋭く反射した。


「武器を持って来るなと書いたはずですが?」


「銃とドスしか書いてなかったぜ?残念だが、これは日本刀だ!」


そう言い放つと間髪入れずに鹿島は男へと躍りかかっていった。

男が怯んで数歩後ずさった時、鹿島の身体がグラリと揺れ、男へあと数歩のところで膝から崩れ落ちてしまった。


鹿島は一瞬、自分に何が起きたか分からなかった。

突然目の前が暗くなり、四肢に力が入らなくなった。痺れが足から沸き起こり、根性で立ち上がろとするが、身体が言うことをきいてくれない。


「う、ぅ…っ!テメェ…何した…」


そう言ったものの、男は鹿島に指一本触れてはいないのは明らかだった。だが、鹿島の身体はどんどん萎えていく。

鹿島は地面に転がりながらも必死に抵抗しようともがいていたが、その動きも次第に緩慢になって行った。

前方の男は漸くゆっくりと鹿島の元へと歩いて来ると、倒れている鹿島を愉快そうに見下ろした。


「あなた、分かりやすすぎますよ。どうせボクからのプレゼント、握りつぶしちゃったんでしょう?そういう事する人だと思いましたよ。自分が癇癪を起こすからいけないんですよ」

「きさまっ、俺に何を…っ」


鹿島は次第に息苦しさを覚え始めていた。近くに立つ男の足首を掴むのが精一杯の抵抗だった。

男は鹿島の指を一本づつ足首から引き剥がしながら言った。


「『スルク』と言うものをご存知ですか?昔から伝承されているアイヌの狩猟方法に毒矢がありましてね。その毒矢に塗った神経毒の名前なんですが…。

あの薔薇を握り潰した自分の短気を恨みなさい。あの棘にはその『スルク』を予めたっぷり塗らさせて頂きました」


鹿島の最後の指を引き剥がしながら楽しそうに喉奥でそいつは笑っていた。


鹿島は全く喋れなくなっていた。横倒しに寝転がって痙攣している。

その鹿島の肩を男が蹴った。

呆気なく鹿島は仰向けに倒れた。

男は鹿島を跨ぐように立ち、懐からサバイバルナイフを取り出して見せびらかした。


「もっと早くリミットだった筈ですがねえ、読みが甘いのはボクもでしたよ。こんなにあなたが丈夫だとは!ふふっ、そのお陰でボクが危うかった」


ナイフの刃先が、鹿島の頬から顎、首をゆっくりとなぞり、腹の辺りまで来ると笑は一層深くなる。


「この辺りなら、うっかり勢い余っても刃が突き抜けて刺青を傷付ける心配は有りませんから。

安心してください。あなたが死んでも、背中の不動明王はボクが大切にしてさし上げますから」


そう言うと男はその場所に狙いを定めるように大きくナイフを振り上げた。





鹿島興行の前に勢い良く久我の車が横付けされた。

中から後藤と久我、そして撫川が飛び出して来た。

三人は血相を変えて事務所へと駆け上がり、開け放たれていた扉から中へと雪崩れ込んだ。


「何だ!何がどうなってる?!」


開口一番、後藤が捲し立てるその足元には乾いた薔薇の花束がバラバラになって落ちていた。


「なんだ?この花は…」


まるで遺体がそこに転がってでもいるように、そのバラバラの花束を囲むように組員が数名や立っていた。

机の上に開きっぱなしの段ボール。それを指差して一人の男がさっき起きたことを説明をし始めた。


「その箱に花屋の服が入ってたんですよ、その花束と一緒に。訳わかりませんよ、そしたらオヤジが突然飛び出していっちまって」


その後を続いて別の組員が言い募った。


「オヤジは出て行く時、二時間帰ってこなけりゃアンタに連絡しろって言ってたんですよ。どう言う事ですか、なんでオヤジが警察になんか」


撫川の一件を知らない組員は訳が分からなかったが、後藤だけが納得した顔をしていた。


「なるほどね。…決まりだな。撫川の写真を送ってきた奴の仕業だな」


撫川は青くなってその場にしゃがみ込んでしまった。

自分の預かり知らない所で、鹿島にそんな心配をかけていたことなんて少しも思っていなかった。


「どうしよう…っ!僕のせいだ…!」

「撫川…」


久我は撫川にかける言葉が見つからない。久我もまた撫川と同じような痛みを覚えたのだ。

撫川の携帯が無い事にもっと早くに気づくべきだった。鹿島へ連絡を入れさせるべきだった。一緒に居たのにそう言う気遣いが全く出来ていなかったのだ。

しゃがむ撫川を抱えるように立たせソファの所へと導いた。

その靴先に何か紙屑のような物が触れて久我は拾い上げた。

何だろうかとくしゃくしゃなそれを開いてみるなり、久我が後藤に振り返った。


「後藤さん!これ…っ!」


後藤に見せたその紙には、例の箇条書きの指示と、裏側にはその場所を記したであろう簡素な地図が書き込まれてある。

鹿島は激昂していたとはいえど、地図の場所を瞬時に頭に把握していたのだ。

そして後から来るであろう後藤へと、この地図を残していたとしか思えなかった。


「水臭いぜ!オヤジ!オレ達に言ってくれたら命を張ってでも、」

「だからだよ、そんなお前らを分かってるから鹿島は一人で解決しようとしてたんだ。てめぇの情夫の事はてめぇで解決したかったって事なんじゃねえのかい!」

「じゃあ俺らの今出来ることは」

「無え!ヤクザは大人しくここで待ってろ!」


携帯を取り出した後藤の後ろで、既に久我が瀬尾へと連絡を入れていた。


「至急応援をお願いします!鹿島周吾が今非常に危険な状況です!今送った地図の場所へ急行して下さい!」


その電話の最中、突然組員の一人が呻き声を上げて床に倒れ込み、ヒクヒクと痙攣し始めたのだ。

その場に居た者達は訳がわからず騒然となった。

そっちに気を取られた久我が瀬尾との通話中に固まった。

突然途切れた会話に携帯の向こうで瀬尾ががなっていた。


[久我?!どうした久我!]



「あ、ああ、すいません!今急に人が倒れて…あのっ、救急車、救急車を鹿島興行に寄越してください!こっちも大至急です!!」




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