第13話 心撃ち抜かれて

「下の名前はけい?」

「そうだよ。久我さんは?」

悠也ゆうやだ」

久我悠也くがゆうや…。好きな響きだな。悠也はどんな食べ物が好き?」

「呼び捨てかよ…肉!」

「ふふっ!だってタメでしょ?

僕は魚派かな」

「じゃあ犬派?猫派?オレは断然犬だな」

「食べ物の話してたよね?犬食べるの?」

「バカか!食うかよ!」

「僕は猫が良いな」

「食うのが?」

「違うよ!そうじゃなくて!

僕いつか猫を拾うんだ。で、その子を育てるのが夢。そしたら名前をユウヤにしようかな」

「その名前は止めろ!

何で拾うんだ?買った方が手っ取り早いぞ」

「猫とは運命的な出会いをしたいんだ。だから待ってる。いつか僕の猫がやって来るのをね」


他愛もない会話を交わした。

近所の居酒屋で焼酎のお湯割り呑んでホッケなんか突きながら、まるで昔からの知り合いみたいに。

撫川は人懐こく、よく食べてよく呑んだ。

同じ歳でも好みは違うし、興味のある事も違ったが、彼に対して居心地の良さを感じていた。

今朝、撫川を忘れようとしていた覚悟とは全く正反対に、ますます惹かれている自分がそこに居た。

謹慎中に容疑者と楽しく呑んでる自分とはいったい何だろう。


店を出たのは九時半くらいだった。二人とも程良く酔っ払っていた。


「あははっ!久我さんはもっとお堅い人かと思ってた」

「良く言われるよ、おっと危ない」


久我を見ながら後ろ向きに歩く撫川がよろけて倒れそうになると、咄嗟に久我が腰に腕を回した。

「ありがとう」と無防備に笑う撫川を、このまま抱きしめてしまいたい衝動に駆られ、回した腕に力がこもる。

途端に撫川が身を固くしたのが分かって慌てて手を離した。

そんな久我の綿パンの前ポケットに撫川は手を入れて己の方に引き寄せた。人懐こく強請るような上目遣いで久我を誘う。


「ね、もう少し呑まない?」





光、重低音、バウンス

大音量、熱気、人混み

色、笑い声、酒の匂い。


撫川に連れてこられたのは久我には未知の領域、クラブと呼ばれる場所だった。

入口で身分証明の運転免許を見せると撫川は躊躇いもなく中に入って行く。久我も慌てて後を追う。


「おい、こんな格好でオレ、場違いなんじゃないか?」


眩いレーザーの飛び交う中、弾む人達を掻い潜るようにして、バーカウンターへと進む撫川の後ろを久我は追いかけた。


「平気だよ!たまにハメ外すの楽しくない?」


大音量で撫川の声が聞こえない。


「ええ?!なんて?!」

「ハメ外すの楽しいねって!」

「オレ、こういう所来るの初めてだ!いつもこんな所に遊びに来てるのか?!」


二人とも大きな声で話していた。


「何呑む?」

「え?何って…何飲むんだ?こういう所って…」


久我が躊躇していると、すかさず撫川はバーテンに注文を入れていた。


「テキーラ二つ!」

「て、テキーラ?」


酒の注文一つにもドギマギしている久我と違い、撫川は通いなれている感が否めない。

手元に来るテキーラで訳もなく上機嫌で乾杯していた。


「嫌な事あるとここで騒ぐとスッキリするんだ!」

「嫌な事?オレと半日過ごした事か?!」


半分冗談だった。ここでそうだと言われたらショックで立ち直れない。だが撫川は首を横に振った。


「今日は楽しかったからもっと盛り上がりたい気分!踊ろうよ!」

「踊る?どうするんだ?!」

「形なんてどうでもいいんだよ、こうやって、音楽に合わせて体を揺らすだけだ!」


サイケデリックな色と光と音の洪水に身を任せ、テキーラ片手に揺れる撫川はさっきの焼酎片手にホッケを突いていた撫川と同じ人間とは思えなかった。


こいつはなんて不思議な生き物なんだ。


その場その場で目まぐるしく印象が変わっていく撫川。

目が離せない。

見様見真似で適当に体を動かしていた久我も、すぐに自然にリズムに乗っていた。

流れるサウンドに身を任せ、撫川と笑いながら見つめ合う。

思い込みでも良い。この視線の波長の先に、愛みたいなものがれば良いのにと思う。


撫川を抱きたい。

今直ぐにでも。


サウンドの高揚感が脳内にそう囁く。今、手の届く所に撫川がいる。

本来雌に対して沸き起こる雄の本能が頭を擡げる。


抱きしめてしまおうか。

この熱気の嵐の中でキスをしてしまおうか。

光の洪水に溺れて手を伸ばしてしまおうか。


君が欲しい。

撫川…!


久我の手が撫川に伸ばされた時、二人の間に男が割って入ってきた。久我の昂まりはそこで途切れた。


「あれえ?グラスのお酒が空だよ?

これ、よかったらどうぞ、いま作ってもらったばっかりだから冷えてるよ」


そいつは馴れ馴れしく撫川の手からグラスを取り上げると代わりに自分のグラスを手渡した。


「僕、男だけど…良いの?」


撫川は一応は牽制してみたが、いいのいいのと、腕を取られてフロアの中央に誘われた。その半袖の腕から覗く腕には見事なトライバルタトゥーが施されていた。

男の作戦は見え見えだ。

飲み物を貰ったお礼にと、一緒に踊る事を強要しているようなものだ。


「おい、お前!それは俺の連れだ!手を離せ!」と、どこかの映画のように格好良く言ってやりたかったが、あいにく撫川と付き合っている訳でもなければ、今夜がクラブデビューの久我にはそんな事を言う勇気も取り返す度胸もありはしない。

ごめんね、と目で訴えてくる撫川に、良いよと頷きながら引き下がるしか無い。

少し疲れて久我は壁際の椅子へと腰を下ろした。

パリピの輪から外れて眺めていると、撫川はさっきの男と楽しそうに何か話している。

あの男も、男が好きな男なんだろうか。

どんな目で撫川を見ているんだろうか。

さっき自分が思っていた事を思い出すと気分が塞いだ。

そのうち二人組の女性に声を掛けられ戸惑いながらも彼女たちと踊っていたが、視線はいつも撫川を追いかけた。

そしてふとした瞬間、久我の視界から撫川が消えた。


「撫川…?」


嫌な予感が走った。











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