第11話 無力

捜査員と久我達が鹿島興業の奥にある倉庫へと駆けつけた時、さっきまで分厚い鉄扉は押しても引いてもびくともしたかったが今は大きく開いていた。令状を突きつけられた途端、鍵を預けられていた三下が仕方無しに開けたのだ。

無駄に天井の高い倉庫の中は意外と閑散としていたが、壁一面にズラリと並んでいたのは額縁に入れられた和彫りの刺青達だった。

雲海と昇り龍、滝に鯉、牡丹と蝶、桜吹雪に般若、今流行りの海外のタトゥーとは違う古典的な和柄の刺青達がズラリと並ぶのは壮観だった。


「これは…見事なモンだな!」


迫力のある眺めに後藤が感嘆を漏らし、久我も目を見張った。

普通の絵画とはまた違う、放たれる気迫のようなものに久我は圧倒されて立ち尽くす。


「言っとくがな、別に背中の皮をコレクションしているワケじゃあねえよ?」


じゃあコレは何だと尋ねる捜査員に、満悦な顔をした鹿島がその中の一つを手に取ってどうだと言わんばかりに翳して眺めた。


「下絵だよ。こいつは刺青の下絵だ。どうだ綺麗なモンだろうが」

「鹿島、こいつがお前の資金洗浄の道具と言うわけか」


ストレートな後藤の言葉に、鹿島の視線が鋭く向けられたが、それは一瞬の事だった。


「さあな、何のことやら。コイツは俺の趣味ってヤツさ。刀を集める奴、象牙を集める奴、それとおんなじだ。俺は刺青の下絵を集めてるってだけだ。何か問題でも?」

「しらを切るな!どうせこれは資金洗浄の為の贄だろう?美術品界隈はまだまだブラックボックスだ。誰がいくらの値をつけ、誰がいくらで買ったか分からぬまま電話一本で現金は右から左だ。

しかも和彫りの刺青の下絵とはね、これなら国内外に欲しがる奴はいるだろうな。未開拓分野によくも目をつけたな、値段はつけ放題。ヤクザの資金源にはもってこいだ!さすが鹿島の旦那だな!」

「ゴマキ、てめぇにそう言われても褒められてる気がしねえな、はっはっはっ!」


まるで旧知の友と話でもしているような二人の間に捜査員が割って入った。


「続きは署で伺いましょう」

「その前に着替えさてくれや、風邪ひいちまいそうだ」


そう言って捜査員と出て行く鹿島が久我とすれ違った時だった。俯く久我が鹿島にだけ聞こえるようにボソリと言った。


「撫川が留め置かれてる。助けてやって下さい」


鹿島は顔色ひとつ変えずに久我の肩に手を置いた。顔を上げた久我の目には、去り際、鹿島が微かに口角を上げたように見えた。


完敗だった。

鹿島周吾と言う存在の前に、新米刑事の努力は一蹴されたのだ。


オレなど所詮こんなものか。


ヤクザの大物と官憲の一兵卒。自分の非力さに涙が滲んだ。


オレが撫川を助けたかった。


きっとこれで撫川は早々に鹿島の弁護士がつく事になるだろう。よほどおかしな供述をしていない限り、鹿島と仲良く逮捕されずに出てこられる筈だ。

結局これで分かったのは、ブローカーが動かしていたのは刺青の下絵だったと言うことだなのだが、これが殺人事件にどう結びつくのか、鹿島を取り調べて果たして何が分かるのだろうか。




翌朝、久我と後藤は署長室に呼び出されていた。たっぷりの小言と始末書と、何らかの処分が決定するまで白宅待機を命ぜられた。

無論、その間この一連の殺人事件の捜査から外された。

肩を落として帰る途中、弁護士数名と鹿島周吾。そして撫川が案の定解放されて外へと出て来るところへ出会した。


「なんでもっと早く俺に連絡せんのだ!うん?」


鹿島は久我に一瞥もくれずに後ろを歩く撫川に話しかけていた。

無言の撫川は眠れなかったのだろうか、少しだけやつれたように見えた。その表情は外に出られたと言うのに何故か冴えない。

「撫川」と久我は声をかけたくなったが、その先の言葉が見つからず、僅かに上げた手もそのまま下げた。

心の中で良かったなと呟いた時、久我に気づいた撫川が顔を上げた。

二人の視線がかち合った。

憂いのある優しげな瞳が久我に何か言いたげに揺れ動いた。撫川が何か言おうと唇を開き、息を吸う丁度そのタイミングで後部座席から撫川を呼ぶ鹿島の声がした。


「蛍!行くぞ、早く乗れ!」

「…え、ぁ…ああ、うん」


慌てて車に乗り込もうとする撫川が、久我に向かって一度だけ頭を下げた。二人を乗せた車はそのまま久我の前から風のように走り去っていった。



オレは撫川に何を望んでいるのだろう。

ろくな会話もないと言うのに。

ただいつも目が合うと言うだけ。

こんな気持ちは己の一方的な思いに過ぎないのだ。よく知りもしない、しかも男の撫川に何故だかのぼせあがって冷静さを失った。

それが今のこのザマだった。

あんな男から撫川を奪う気でいたのかと思うと、己が滑稽で笑えた。

しばらくは謹慎だ。

事件からも、あの撫川の事も忘れよう。

そう言い聞かせるように久我は一人、誰も待つ者のいない自宅のマンションへと帰って行った。





「アッ、あ…ん、周吾さん…!だめ…ッ、イヤ…!」



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