第6話 泣いていた鳩
新たなる殺人と聞いては休む気持ちなど吹き飛んだ。
久我は事情を知っているらしい撫川を連れて署へと向かう車中にいた。
「そのカオルってのは、お前のなんだ。友達か?」
「カオルちゃんは、周吾さんの所の若衆だよ。別に友達じゃ無いし、少し話すくらいで…ただの、知り合いで…」
段々と撫川の語尾が消え入りそうで、さっきから細い腕が小刻みに震えていた。
「面通し、出来そうか?嫌ならやめでも良い」
「いや、やるよ。もうこれを逃したらカオルちゃんには会えないから…」
気丈な言葉が口をつくが、明らかに動揺している様子だった。それは無理もないかと思う。つい最近まで親しく話した人間が今は冷たい骸になってしまったのだ。
「そのカオルちゃんが、あの時花屋に潜んでいた男って言う認識で良いんだな?カオルちゃんは何か言ってたか。例えば誰かを殺したとか」
「カオルちゃんは誰かを殺したりしないよ!」
突然、久我の言葉を否定した撫川が声を震わせた。
「カオルちゃんはそんな度胸のある人間じゃ無い!どっちかっていうと、殺されるようなタイプだよ。周吾さんに破門言い渡されて何とか挽回しようとしてたんだ」
そう言ったきり撫川は黙り込んでしまった。
車が署に到着すると出入り口が慌ただしい。久我の車を見つけると直ぐに瀬尾が駆け寄った。
助手席に座る撫川に気がついて、瀬尾が久我を見た。
「たまたまプールで会ったんですが…、オレが取り逃した男は殺された男ですよ。やっぱりあの日、男は花屋に逃げ込んでいました。
顔見知りだと言うので彼から何か聞けると思って連れてきました。それから…」
久我は撫川の方に視線をやって、コソッと「検分良いですか」と瀬尾に耳打ちをする。久我は無言で頷くと、まだ車の中の撫川をのぞきこみ、青ざめる撫川に「後で詳しく話を伺います」と付け加えた。
遺体安置所は、薄暗い地下の一室にあった。ドアを開ける前から線香の香りが漂ってくる。
まるでこの部屋自体が大きな棺のように感じる場所だ。
体格の良い久我の体躯に隠れるようにして撫川は部屋へと入った。
簡素なテーブルに置かれた線香立てから細長く二本の煙が立ち上り、幅の狭い寝台に白い布がかけられていた。
そこに生き物の気配はない。
撫川の震える手が顔にかけられた白い布を捲り上げると青白い顔に鮮やかなピンクの髪が現れた。
嗚呼ーーー。カオルちゃんは本当に死んでしまったんだ。
「…はい。彼はカオルちゃんです。間違いないです。本名は知りません」
撫川は本名も知らない男のために身体を震わせて泣き崩れた。
久我にはそれが不思議だった。
まるで身内が死んだかのように撫川はみるみる萎んだ。
そこにはいつもの気丈さなど微塵もなかった。
「大丈夫か?」
久我に気遣われて撫川は頷きながら身を起こすと、その身体がふらりと傾いた。久我は咄嗟に撫川の身体を支えた。
まるで鳩を抱いているように撫川の身体は空気を含んだように柔らかだった。
「すみません、だいじょう…ぶ…」
そうか細く言ったきり、撫川は気を失った。
撫川は署内の医務室の簡素なベッドの上に寝かされていた。
傍には久我が付き添って心配そうに彼をのぞきこんでいた。
まじまじと見る撫川の面立ちは男にしては優しげでまつ毛が長い。
あまり主張の強く無い小ぶりな鼻や形の良い唇は、男から見ても可愛いとさえ感じる造作だった。
こんな男がヤクザの事務所でいつもあんな事を…?久我の頭に浮かんだのは事件のことではなく、あの時の撫川と鹿島周吾との情事の事だった。
彼はどんな顔で鹿島に抱かれているんだろうか。
そんな邪な事が頭を過った時だった。撫川の瞳がゆっくりと開いた。頭の中を覗かれているような気になって久我は慌てた。この男とは良く目が合う。そう思った。
「ど、どうだ具合は…。驚いたぞ、急に倒れるから」
「すいません、僕…っ、」
慌てて身を起こす撫川の背中に久我が手を添えた。
「警官やってて初めて見たよ、ショックで本当に倒れちまうなんて」
「…恥ずかしいですね、こんなの、 そうだ、証言しないといけないんでしたね…!」
撫川はそそくさとベッドから立とうとしている。それを久我が落ち着かせるように押し留めた。
「慌てなくて良い」
背中に添えた久我の手がゆっくりと二、三度その背を撫でた。
撫川はその手の温もりにふと懐かしさを覚えて久我を見つめた。
「?ーーなんだ、」
久我はまたしてもドキリとさせられた。どうもこの撫川と言う男の眼差しには不思議な力が宿っているような気がする。
「ーーーダメなんだ。僕は知り合いが死んだりするの嫌なんだ。
……いつも僕だけが置いて行かれてしまう」
「そりゃあ、誰だって見知りが死ぬのは嫌なものだよ、でも」
久我がそう言いかけた時、医務室のドアが開いて瀬尾が入ってきた。撫川は慌てて立ち上がると目元を指が拭う仕草をして直ぐに顔を上げた。
「カオルちゃんの事、知ってる事話します。そんなに沢山無いけど」
「大丈夫ですか。話して頂けるとありがたい。ーー久我、連れて行くぞ良いか?」
「ああ、はい。宜しくお願いします」
久我の気遣わしげな視線に撫川は小さく会釈だけし、瀬尾に伴われて事情聴取へと向かって行った。
僕だけがいつも置いて行かれる。
そう言った時、撫川は目に涙を溜めていた。何故だ?
撫川と言う人間が久我は無性に気にかかった。
これはどう言う感情なのだろう。
事件がらみで気になるだけなのか、それとは全く関係なく撫川と言う一個人に興味があるんだろうか。
そんな事をぼんやりと考えながら久我は医務室から捜査一課のあるフロアへと入って来た。
その時だ、同期の松野が久我を見つけて走ってきた。
「久我!ちょっと良いか。見てもらいたい物がある」
そう言うと、松野は奥のデスクを見遣った。フロアの奥で捜査員が何人か固まってモニターと睨めっこしているようだった。
「皆んなして、何盛り上がってんです?」
久我も皆の背後からぬっと顔を出してモニターを覗き込んだ。
「おお久我!なあこれどう思う」
そこに映し出されていたのは、大きな花バケツを抱えて道を歩く何者かが横切る映像だった。
ちょうど首から上が切れている。
「これがどうしたんですか」
「服だよ、服!このカーキ色のブルゾン」
そう言うと今度は捜査員の一人がカオルちゃんの殺害現場の写真を見せてきた。うつ伏せに倒れているピンク頭。
「この花屋が着ているものに似てないか?」
「こんなブルゾン似たようなのは沢山…、ちょっと待ってください!これ、いつの映像ですか!」
「二番目の皮剥事件の直後の映像だ。で、この写真。今回殺されたピンク頭が着ているブルゾンに酷似してないか?
要するに、死んだピンク頭の着ていたブルゾンを、この花屋が着ていたって事だ」
久我に嫌な予感が走った。
「この花屋って、もしかして今事情聴取されてる、あの」
「そうだ。そのヤクザの情夫だ」
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