恋する五千年前

潯 薫

―離別―

「待っててねアネモネ。すぐ帰ってくるから。それまで待っててね!」


 少女は無垢むく故のひたむきさをもって、全身で、表情で、特にキラキラとあおく輝く双眸そうぼうで、目の前のアンドロイドに話しかけた。


「えぇ、きっと。天藍テンランさま。ここでお帰りをお待ち申し上げております」


 アンドロイドは、流れるような動作でメイド服を足に添わせて膝を折り、少女の目線で笑顔を作った。


「きっとよ! ヤクソクなんだから!」


 少女がアンドロイドの胸に飛び込んだ。女性型のアンドロイドは幼い体をしっかりと、優しく受け止めた。


 ――呼吸正常。脈拍正常。体温正常。血中酸素正常。血行良好。心音正常。外傷なし。天藍テンランさまの健康状態、良好。


 スキンシップ中の通常ルーチンとして、アンドロイドはいつものように少女の生体情報を収集した。


「さあ、天藍テンラン、行きますよ」

「はい、お母さま。じゃあね、アネモネ。五十年なんてあっという間よ。冷凍睡眠で一眠りしたら、またすぐ会えるんだからね!」


 母親に手を引かれて自走車へと向かいながら、少女は何度も何度も振り向いてアンドロイドに手を振った。

 これから少女は両親と共に地球を離れ、約五十年の旅に出る。その間、ほぼずっと冷凍睡眠で過ごすため、実際に五十年の時を生きるわけではない。五十年後、戻ってきた時には年齢こそ六十歳だが、心も体も十歳のままだ。

 そう。だから、少女にとっては僅か一夜を過ごすだけの五十年。しかし、その間、少女が乗る宇宙船は光速の99・995%という超高速で宇宙を飛ぶ。亜光速で飛行する物体での五十年。特殊相対性理論によって引き延ばされた五十年だ。その間に地球では五千年の時が流れることになる。五千年。それは少女の旅立ちを見送って手を振り返す、このアンドロイドにとってもそうだった。



 ※※



 赤道直下、ソロモン諸島の沖合いに作られた人工島「タプロバニー島」。その人工島に作られた軌道エレベーター(OEV)は、「人類の希望」「人類の叡智の結晶」と謳われた。

 しかし、その完成を目前に表面化した各国の利権争いが火種となって、第三次世界大戦が起きてしまった。


 第三次世界大戦は、過去のどの戦争や紛争よりも悲惨だった。戦禍を免れた大都市は皆無だった。「勝者なき大戦」。この大戦は人類のしゅとしての疲弊と、地球の環境悪化を招いただけで、誰にも何の恩恵ももたらすことなく、むしろ負の遺産のみを残して終息した。


 大量に投入された大小さまざまなドローン兵器。AI搭載の多脚戦車や攻撃ヘリなど、拠点制圧のための大型ドローン。人に代わって戦車や戦闘機を操縦し、人用の銃火器をそのまま扱える人型の中型ドローン。これらの戦闘ドローンは、終戦後も各地で稼働し続け復興の妨げになっていた。

 また、小型のドローンも厄介だった。なかでも、バイオナノマシン技術を応用したマイクロドローンは人々を苦しめた。空気中を漂って人体に侵入し、体内で増殖して人の脳を破壊する。残された者が要介護者を抱えて戦闘不能となることを狙って敢えて殺さない。卑劣で残忍で、恐ろしい兵器だった。

 「味方」と認識可能な国家が消滅し、暴走状態になったマイクロドローンはひたすら敵を求め攻撃を続けた。無差別に。無慈悲に。人々は「見えざる敵インビジブル・エネミー」と呼称し、このマイクロドローンを恐れた。


 かろうじて救いだったのは、「見えざる敵インビジブル・エネミー」がすぐには拡散しなかったことだった。散布地域と比重の関係か、高緯度地帯や標高の高い地域は比較的安全だった。しかし、拡散は徐々に進んでいた。安全な場所がなくなるのは時間の問題だった。

 暴走し拡散し続ける「見えざる敵インビジブル・エネミー」の脅威を取り除く方法はなかった。ひたすら効果が薄まると期待される五千年の時を待つよりなかった。人類はこの窮地を脱する方法として、地球を離脱する道を選んだ。



 ✿✿



 タプロバニー島へ向かう低軌道シャトルの中で、天藍テンランは泣き叫び、両親や添乗員を困らせていた。機内アナウンスで初めて、戻ってくるのが五千年後になると知ったのだ。


「アネモネを、アネモネを置いてきちゃった!」


 くしくも、今日が天藍テンランの十歳の誕生日だった。十歳といえど、五千年が途方もない年月なのはわかる。


「お父さま、お母さま、戻ってくるまで、アネモネは元気よね? ね?」

 アンドロイドの製品寿命は、約百年。それも、三ヶ月に一度のメンテナンスと、年に一度のオーバーホールをきちんと受けての話だ。

 天藍テンランの両親は、その場限りの嘘で誤魔化すのを躊躇ためらって、返答に困っていた。


「信じるしか……、ないな」

 父親のその一言で、天藍テンランはまた泣き出すのだった。

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