第二章 ~『クロウの楽しみ』~
「へへへ、こんなに楽な仕事で金が手に入るなんて、ジークの奴には感謝だな」
調査依頼を受けた翌日、報酬を受け取ったクロウは、金貨の入った皮袋を握りしめながら、ニヤニヤと笑みを浮かべていた。
「それにしても今日は暑いな」
クロウが空を見上げると、雲一つない快晴で太陽が光を放っていた。日差しが石畳の床に反射し、ムシムシとした暑さを感じさせる。
「こんな日は満腹亭でキンキンに冷えた麦酒を呑むに限る。どうせ報酬の金貨も渡さないといけないしな」
受け取った報酬は金貨十枚。その内の九枚はジークのものだ。クロウは麦酒を呑める期待と、報酬を喜んでくれるジークのことを思い浮かべ、自然と速足になる。
「今日も並んでいるなぁ」
クロウが満腹亭に辿り着くと、店の前には人の列ができていた。気の短い冒険者の客を並ばせることができるのは、それだけ満腹亭の料理が優れている証拠でもあった。
「ジークの奴、やっぱりすげぇな」
クロウは列の最後尾に並ぶ。長蛇の列は普通なら億劫なだけだが、それが友人の店となれば話は別だ。彼を賞賛する証のようで嬉しいとさえ思えてしまう。
「なぁ、今日は何を頼むよ」
「やっぱり麦酒は外せないよな」
クロウの前に並ぶ二人組の冒険者が、何を注文すべきか議論を始める。彼はその話に耳を傾けていた。
「俺は唐揚げだな。カリっとした触感と、中から溢れるあのジューシーな肉汁。あんなに旨い唐揚げは満腹亭でしか食えないからな」
「唐揚げもいいが、コロッケもオススメだぜ」
「コロッケか。でも芋料理は苦手なんだよな」
「ここのコロッケは他の店とは一味違うんだよ。ジャガイモはホクホクしてるし、表面の衣はサクッとしてる。それに何よりソースが凄いんだ」
「トマトを潰したソースだよな。あのソース、そんなに旨いのか?」
「それはもう絶品だ。この季節のトマトは酸味が強くて食べられたもんじゃないが、どういうわけか、甘味の強いトマトソースに仕上がっているんだ」
「へぇ~、なんだか興味が湧いてきたな」
「なら今日の昼飯はコロッケで決まりだな」
(こいつら、満腹亭歴がまだまだ短いようだな)
クロウは常連客が新規客を見るような生温かい笑みを浮かべる。
(唐揚げやコロッケは値段も安いし旨いからついつい頼んじまう。しかし満腹亭が真価を発揮するのは生モノだ)
通常なら生モノは鮮度の良い状態でなければ食べることができない。だが満腹亭ではジークが食材を冷凍保存できるため、鮮度の良い状態で客に提供することができるのだ。
(馬刺しや鳥刺し。加熱処理しないと本来食べられない生肉をそのまま食べられるから、舌の上で広がる旨味は格別。常連だけが知っている味だ……それに今日は目玉商品を入荷するとも聞いている)
クロウは昨日の帰り際に、ジークから新商品を仕入れた話を聞いていた。彼はその料理を絶対に食べてやると溢れ出る涎を服の袖で拭う。
「何考えてんだ、てめぇ!」
(なんだ? 何が起きたんだ?)
クロウの並ぶ位置よりも遥か先。列の先頭で怒鳴り声が響く。何事かと顔を覗かせると、一人の男が列に並ばずに店の中に入ろうとしていた。
「私は上級魔法使いのグラトンだ。その私に何か文句でもあるのか?」
「うっ」
グラトンはローブ姿から覗かせる腕が丸太のように太く、不平を口にする冒険者たちを威圧していた。そこに上級魔法使いとの情報が加わり、冒険者の口を閉ざしてしまう。
「文句がないようだな。なら……」
「待てよ」
クロウは列に並ぶことを止めて、グラトンの前に出る。
「なんだお前は?」
「ここは友達の店でな。他の客に迷惑をかけるのを黙って見過ごすわけにはいかねぇな」
「冒険者か。鬱陶しい。どうせ貴様もこれが目当てなのだろう」
グラトンは懐から皮袋を取り出すと、クロウの足元にそれを投げつける。石畳の床とぶつかり、硬貨の鳴る音が響いた。
「その袋には金貨が十枚入っている。これで私が列の先頭に割り込んでも文句はないな」
クロウは投げつけられた皮袋に視線を落とした後、グラトンの馬鹿にするような顔を睨みつける。金貨十枚はクロウにとって大金であったが、彼はそれを拾う気になれなかった。それは彼のプライドが傷ついたからではなく、ジークの働く満腹亭を侮辱されたように感じたからだった。
「こんな金いらねぇよ……だから後ろに並べ」
「その命令に従う義理はない」
「なら腕づくでも言うことを聞かせてやる!」
クロウは友人のために怒りを露にする。グラトンは終始馬鹿にするような笑みを崩さないまま、手を天に掲げる。
「もう一度警告しよう。私は上級魔法使いだ」
グラトンは澄み切った青い空に向けて魔法を放つ。魔力の弾丸が空へと飛翔し、その軌跡を列に並んでいた冒険者たちが呆然と眺めていた。そして数秒後、空が炎で焼かれ、暑さが地上のクロウたちにまで届く。その圧倒的な脅威を前にした冒険者たちは命には代えられないと、満腹亭から逃げ出してしまった。
「人がいなくなったようだな。これで私が店に入ることを邪魔する理由もあるまい」
「待て!」
「まだ邪魔をするのか……」
「お前のような危ない奴をジークたちに近づけさせるわけにはいかねぇ」
クロウは魔力の盾を展開し、グラトンと戦うことを決意する。上級魔法使いのグラトンはダークオーク以上の実力を有していたが、彼は友人のために一歩も引くつもりはなかった。
「馬鹿な男だ。私と戦ったことをあの世で後悔するがいい」
グラトンは全身から魔力を放つ。一触即発の空気にクロウはゴクリと息を呑むが、そんな緊張感は予想外の闖入者によって崩れ去ってしまう。
「ジ、ジーク……」
満腹亭の扉を開けてジークが現れる。その冷めた表情に二人は緊張で体を硬直させる。
「店の前で暴れたそうだな……」
「ジーク、違うんだ。これは、その……このグラトンって男のせいなんだ」
「何を言うか! 私の行動を邪魔したのは貴様ではないか」
「もういいよ、二人とも……俺の飯が食いたくて暴れてたんだろ。食ってけよ」
ジークは二人に満腹亭へ入るように促す。二人は互いに顔を見合わせると、敵対的な魔力を引っ込め、大人しく彼の背中に付いていくのだった。
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