白百合は何も知らないまま摘まれていく

遊月奈喩多

第1話 ありえない、ありえない

「あのさ……わたし、みどりのこと好きなんだよね。付き合って……くれないかな」


 冬の近づく、夕陽がとても赤い夕暮れ時。

 空いたコマの時間を埋めるために学部棟の屋上に座って物思いに耽っていた私に声をかけてきたのは、同じゼミに所属している神尾かみおあおいだった。

 同級生の輪のなかで中心にいるような、キラキラしていて、何が楽しいのかいつも笑っているような娘だった。明るくて、確か同学年でも人気の高いイケメンと付き合ってるって噂で、学園祭でやるミスコンにもエントリーしたりしてゼミ生からも祝福されたりしている。要するに、私から見たら全然遠くの、というか全然関係ない相手。

 そんな神尾さんが、緊張した面持ちで私を見つめながら、耳まで真っ赤になっている。……いや、ありえないから。


 演技うまいな、ほんとに。

 内心でせせら笑いながら、「私でいいの?」と答えた。

 静かな声で「うん」と頷いた彼女の背後――柱の物陰とかにはもしかしたら彼女の友人たちでもいるのかも知れない。目的はなんだろう? 慌てふためく私を見て楽しみたいのかな? 暇なことしてるなぁ……、暇潰しなんだろうな。

「……よろしく、お願いします」

「よ、よろしく……」

 どうしてオーケーなんてしたんだろう? どうせ嘘だとわかりきっていたけど、それでもやっぱり緊張することには緊張する。我ながら醜態を晒してるなと思いながらも、その日はふたりで一緒に帰った。


 彼女の告白を受け入れた理由といえば、たぶんいろいろ退屈だったから。

 何かが変わるんじゃないかなんて気を張って始めた大学生活も、2年くらい経つと付け焼き刃のノリのよさなんてあっさりげていくし、期待していた“ちょっとした出会い”なんかも気付けば傍から見ているだけにしてればよかったような欲のぶつかり合いだったし、ゼミの講義だってマンネリだ――ゼミ生の中で恋だの愛だのというやり取りは繰り返されているけど、そこに教授まで参戦してしたときは吐き気を催した。

 私立大の学費は決して安いものでもないし、ひょっとしたら辞めてさっさと仕事探した方がいいんじゃないか、いつの間にかおいてけぼりにされてしまうんじゃないか――そんな、将来に対するただぼんやりとした不安を抱えているだけの生活の、いい刺激になると思ったからだ。


「じゃ、また明日ねっ!」

「う、うん……また」

 元気よく帰っていく彼女を見送る頬が、どうしても熱くなる。こんなの条件反射みたいなものなんだろうけど、それでもやっぱり、神尾さんみたいな演技派にはなれないんだろうなとか思うと少し悔しかった。だってほら、神尾さんはこんなに自然に演じてきてるっていうのに。


「明日講義終わったらさ、ちょっとデート行かない?」

「えっ!?」

「もしバイトとかそういうのなければ、だけど……。去年とかさ、翠金曜はゼミの飲み、よく参加してたよね」

「う、うん……」


 なんてことだろう、本当に用事なんて何もなかったし、金曜日にゼミの飲み会に参加したりしていたのも事実だ――バイトもない曜日だし。

 そんなのよく覚えてたなと感心しながら、あれよあれよという間に明日の約束を取り付けられてしまった。……我ながら、こういう流されやすいところは変わらないな、ほんとに。それで痛い目に遭ったりもしてるのに、そういうところがよくないんだろうか?

 ……ね、神尾さん?


 今度こそ元気よく――ご丁寧に嬉しそうな鼻歌までしてみせながら帰っていく彼女を見つめる私の胸には、認めたくないくらいに濁ったものが渦巻いていた。


   * * * * * * *


 彼女は覚えていないだろうけど、私はごく短い期間、神尾さんと親しくしていたことがある――もちろん、ただの同級生として。

 ゼミの親睦会で半ば強引に連絡先を交換させられて、それからしばらくの間、彼女の輪の一員として組み込まれていたのだ。私だって大学に入ったらもっとみんなと打ち解けられる人になりたいと思っていたし、かといって誰かに話しかける勇気もなかったからちょうどよかった。

 あの輪にいる間は、なんだか自分が少し変われたような気がしていたのだ。


 でも、あの日私は「ねぇねぇねぇ翠! 見て見て、やばくない!? 可愛くない!?」

 ……昔のことを思い返すのも自由にできないなぁ、ほんとに。


「ん、どれ?」

「これ! 前ネットで見たんだけど、実物見れるのやばいよ! ほらっ、何これ可愛い!!」

 神尾さんと恋人ごっこするようになってから数週間後。近付いてきたクリスマスのプレゼント交換に向けて、私たちはふたり連れ立って買い物に来ていた。ふたり揃って買いに来てたら何渡すかわかってつまんないじゃん……とも思ったけど、拝み倒す勢いで頼まれて断りきれなかった。

 最近いろんなメディアがこぞって取り上げているキャラクター雑貨を見つけて浮かれきっている神尾さんには悪いけど、どうしてもデザイナーの人気があるってだけでキャラクター自体は可愛く見えない――なんてもちろん言えないから、「うん、可愛いよね、それ」と答えておく。


「ねっ! そうだ翠、クリスマスさ、これお揃いで買わない!? 色違いとかでもいいけどさ」

「碧、それじゃプレゼントの中身ネタバレになっちゃうけど?」

「えぇー、駄目?」

「駄目っていうか、楽しみ減らない?」

「うぅ~ん、でもお揃いのほしいよ、だってあたしたちってあんまりそういうのしないじゃん?」


 しないでしょ、そりゃ。あんたと私じゃ似ても似つかないし、そもそもよくこんなこと思い付いたもんだ。

 私より少し背の低い神尾さんが上目遣いになって見つめてくるのをどうにか受け止めながら、軋む心をうまいこと整えて「じゃあ、お互いのプレゼントとは別に買ってみる?」と提案することにした。子どもみたいに目を輝かせて大袈裟なくらいに喜ぶ彼女は、まるで本当にこの時間を楽しんでいるように見えて。

 不覚にも微笑みそうになった自分が許せなくて、神尾さんには見えないように手首に爪を立てた。


   * * * * * * *


 雪がちらちらと舞い落ちてくる夜道を、ひとりで歩く。思ったより時間のかかった神尾さんとの買い出しのあと一緒に夕食をとって、彼女の家の前で別れて今に至る。

 いったい、彼女はどういうつもりなのだろう。

 だっておかしいでしょ、こんなの。

 神尾さんと私との間には“あの日”、埋めようのない溝ができたはずなのだ。忘れたような顔して恋人だなんて言ってくるけど、私は騙されない。


 いつかネタばらしみたいなのをされたとして、そのときには平然と振る舞ってやる。最初からわかってたけど――そんな顔してやるんだ。


 お揃いで買ったアクセサリーが、街路樹を彩るワインゴールドのイルミネーションを浴びて鈍く輝いた。

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白百合は何も知らないまま摘まれていく 遊月奈喩多 @vAN1-SHing

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