Alleluia MOEluia BLuia!~カルペ・デイ
PAULA0125
「たまねぎ屋根の鐘時計」
九百年。
それはあまりに長い時間である。神が人となり、十字架によって死んでから今年で丁度二千年。丁度その半分にちょっと足りないくらいの時間である。国と国の歴史と考えたとしても、それは決して短くはない。もしかしたら、王朝が二度三度、変わっている可能性だってある。
それほどの長い間、ずっと不仲だったという兄弟が、この程彼等を導く先生同士の階段が実現したため、大手を振って会えるようになったらしい。少年はまだ九年しか生きていないながらも、その百倍という途方も無い時間に、眩暈がした。自分にも兄がいるが、兄との仲は良好である。大好きな兄と九百年もの間、離ればなれになっていた、と、聞くだけで泣き出してしまった。
「優しいね。でもぼくも、ちょっと緊張してるから、だから手伝って貰おうかな。」
ぐすぐすと泣く少年の頭を撫でた彼は、自分が生まれた時から、父と母が結婚したときから、父が初めて洗礼を受けたときから、父が祖母のお腹の中に出来た時から、祖父母が結婚したときから、同じ姿なのだと聞いた。
「なにをてつだえばいいの…?」
「鐘だよ。明日のミサの始まる時間の一時間前、ぼくの兄上さまが来る。きちんと挨拶が出来るように、お祈りしながら鐘を鳴らして欲しいんだ。」
この教会には、鐘がある。ミサの時間を知らせるために使っていたらしいが、老朽化のため、今は録音した鐘の音を鳴らしながら、格好だけゆらゆら揺れているのだ。その鐘を鳴らして欲しい、という。こんなことは自分の父でもきっとやった事が無い。鐘楼は危険だから、年末の大掃除の時、選ばれた人しか入ってはいけないのだ。
そこに、入って良いという。少年は涙に目を腫らしながらも、にっこりと得意気に笑った。
「うん! ボク、コンスタンティンさまのために、おいのりする!」
そういうと、彼―――コンスタンティンはにっこりと笑った。
✝
ゴンゴンゴーン……。
少年が鳴らす鐘の音が虚しく響く。
本来、教会の鐘の音の果たす目的とは、祈りの時間を告げる為のものだった。嘗て日本で、寺がその役目を負っていたように、西洋では教会の鐘がその役割をしていたのである。一日に三度、神へ祈りを捧げる合図として用いられた鐘は、その後形骸化し、誰もが時計を持ち歩いている現代においては、鐘楼そのものが無い教会もあるという。
感謝と賛美と懺悔と、それから少しの願い。軽々と鉄の翼を持って、舞い上がる、霊なる鳩の群れだ。
「ふぅ………。」
あと三十分でミサが始まる。少年に付いているように言った事務員は、兄の教会の信者と顔見知りであり、今回の合同ミサはこの二人の尽力も大きい。同じ町に住みながら、他人を介さなければ、挨拶どころか会釈も出来ない。それ程冷え切った兄弟間だ。兄が土壇場で行きたくないと言う可能性も否定できなかった。
ミサの準備は、いつもより一時間早く終わらせた。兄をもてなしたかったからだ。けれども兄は、既に三十分遅刻している。その時間になっても来ないということは、兄はやはり―――。
ゴンゴンゴーン…。ゴンゴンゴーン…。
鐘の音はまだ止まっていない。事務員は諭しただろうが、少年はまだ諦めていないのだ。
気持ちを切り替えなければ、と、司祭館を出た時、ふと裏庭を見た。誰かが庭のベンチで横になっている。何故か、白いコートを着ているようだった。裏庭は修道院になっているし、今の時間は皆ミサの準備と観光客の出迎えに出払っているはずだ。不審者や疚しいことがあるなら、あんなに堂々と寝ていないだろうし、ホームレスならば教会の玄関にやってきて、物乞いをする。
……となると、もしかして、もしかすると。
「あにうえさま……?」
裏庭から人が入ってしまうのはよくある事だ。何せどちらも立派な門と立派な建物なので、どちらが教会か、素人には見分けが付かないのだ。とにかく具合が悪そうなので、車いすをとってきて、ジュースとタオルも一緒に持って行く。コンスタンティンは期待よりも警戒を押し出すように努めながら、ゆっくりゆっくりと近づいた。覗き込むと、大量の冷や汗をかいた青年が、青ざめた顔で眠っていた。
呼吸は浅く、唇は白い。中東人系の彫りの深い顔立ちに、明るい髪がべったりと絡みついている。
「………あにうえさま?」
青年は答えない。眠ったままだ。良く見ると、彼が着ているのはポンチョのようだった。尚更暑いに決まっている。首元まできっちりとしまっていて、実に時代錯誤だ。とにかく首を楽にしようと、彼の祭服に触れたときだった。
「……ローマン兄上さま。」
汗が流れるように、彼の名前を呼んでいた。すると、自分を求める人の存在に反応したのか、僅かに頭が動いて、彼は応えた。
「………俺に触れたのはだれか…?」
それはきっと、余程聖書に詳しくなければ出てこないジョークだった。目こそ開いていないが、引きつった口元は確かに笑っている。
「兄上さま! ほら、これ飲んで。」
「うー……すまん、その、正装、久しぶりにして………思ったより暑くて……」
「いいから飲んで!」
あまり頭を動かすと良くないので、少し頭を傾け、ジュースを飲ませて額の汗を拭った。ジュースは冷蔵庫からだしたばかりだが、保冷剤も持ってきてやった方が良かったかも知れない。
「兄上さま、とにかく身体を冷やさなくちゃ。車いす持ってきたから乗って。」
「んー……ミサは?」
「いいから乗って!」
ほら、と、車いすを押して、ぽんぽんと席を叩いた。漸く目を開いたローマンは、しかしそれには目もくれず、じっとコンスタンティンを見ている。
「お前って、こんな顔してたんだな。」
「鏡見ないの、兄上さま。五つ子なんだから、髪型と日焼け以外同じだよ。」
「そんなことないさ。」
むに、と、ローマンはコンスタンティンの白い頬を摘まんで引っ張った。
「……苦労した顔だ。分かれた後も苦労させっぱなしだった。」
「本当だよ。何度十字軍にめちゃくちゃにされたと思ってんの。ぼく、それはそれ、これはこれだからね。あ、あと兄上さまが兄なのは認めるけど、
「あほ。五人全員、
むぅ、と、コンスタンティンは顔を赤らめた。暫く兄の、タバコ臭い指先が自分の頬をマッサージするのを受け止める。子供の頃とは全く変わってしまった臭いだが、それでもその指先は、慈愛を持った兄のものだ。それは九百年前と変わらないし、九百年の間に忘れてしまってもいた記憶だ。
と、教会の方から声が聞こえた。
「こら! いつまで鳴らしてる!」
そういえば、あの少年のことを忘れていた。ローマンはむくりと起き上がり、さてと、と、立ち上がる。
「さて、ミサを待ってる信者がお集まりだ。観光客も来るんだろ? さっさと行こうぜ。」
「もう…。うちのミサは一時間以上あるんだからね、途中で倒れないでよ!」
「はいはい。」
兄は笑って、早く案内しろ、と、急かす。もう何にも、飢え渇いていないようだった。
鳴れ鳴れ、鐘の音。香のように昇って行け。日に三度、祈りの時を告げる信仰の鐘よ。
我等の脆き賛歌を神へ届けせしめたまえ。
そうすれば私たちは、ぼくたちは、鐘の音が空へ昇り続ける限り、祈りの時を刻むその音を聞きながら、教会に来る暇も余裕もない、貧しく乏しい日々ですら、貴方を想いて、生きていけましょう。
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