イーハトーブの約束

サーム

第1話

 *サチ 8736時間後*


 "サチへ

 俺たち結婚して30年ですね。それにしてもあっという間やなあ、30年なんて。

 いろいろあったけど、ミユも就職して一人暮らし始めたし、これからは、また二人になるけど、よろしくお願いします!

 この旅行は、俺たちの再出発みたいなもんやと思ってるねん。今まで苦労ばっかりかけてきたから、これからはいろんなとこ連れてってあげたいんや! その第一弾!サチの憧れ、イーハトーブの旅や!

 思いっきり楽しみませう!せう!

せうってなんや? "しよう"の3段活用の最上級やで!

 "しよう""しようや""せう"や!

 こんな俺ですけど、これからも末長くよろしくお願いしまぁーす!

              ユウジ"

  

 星野幸子は、星野勇次の作った"旅のしおり"の裏に書かれた走り書きを何回も読み返して、ポケットにしまい、家を出た。

 

 *ユウジ 1時間後*


 なんでこんなに土砂降りの雨降ってんねん! 楽しみにしてた岩手旅行の出発の朝やというのに。パーっと晴れてくれや! 

 俺がプレゼントした今回のこの旅行、サチも楽しみにしてくれてたよね?

 「今年の結婚記念日な、30周年やし、旅行でも行かへんか? 岩手とか行きたいねんけど」って言うと、

 「え! ほんとに! ヤッター!」って、想像を越えるリアクションで喜んでくれたよね。俺もめっちゃくちゃ嬉しくなって「絶対良い旅行にするで!」って思ったんやからね! それにしても30年か、早いもんやなぁ! 結婚記念日にプレゼントするの当たり前みたいになったんは、いつからやった? 考えてみたら昔は記念日なんかなーんも覚えてもなかったのになぁ? 俺も成長したやろ? えっ? 自分で言うなって? はい、すんまへん。

 たぶん俺が覚えてるんは、何年か前にな、あれは確かミユの大学の卒業式の帰りに「食事でもして行かへん?」って誘って、そう、ちょうどその日が君の誕生日やったから。そんでもってサプライズでネックレスあげたら、想像以上にめちゃくちゃ喜んでくれたやんか、やっぱり嬉しいんやと思って、嬉しそうな顔見るの楽しいし、それから毎年、君の誕生日と結婚記念日には、何かせんと気が済まへんねん。いや、そんな義務感でやってるんやなくて、無理してへんし、なんていうか、むしろ自分のためにやってるってことかな?

 そう、やっぱり「君の笑顔が見たいから!」なんて、カッコ良すぎる?

 あっ、そうそう、ネックレス買うのめっちゃ恥ずかしかったんやからな! 一人で高級貴金属店なんか入ったことなかってんから、ティファニーやで! 俺みたいなんが入るとこちゃうやろ? なぁ?

 ネックレスの次の年は、指輪やったかなぁ? また、指輪はサイズ間違うたらあかんから、こっそり測ったんやで、ようやるやろ? 誕生日に、それまで知らん顔してて急に渡したやろ、びっくりして、その後めちゃくちゃ喜んでくれたやんか!「無理して毎年こんなに買ってくれなくていいからね。」って言うとったけど、あんな嬉しい顔されたら、毎年なんかせなあかんと思うで、ほんまに。

 ネックレスに指輪ときて、今年はどうしようかと考えて、「何欲しい?」って聞きたいけどあかんしなぁ、いろいろ悩みまくってたんや、そんな時にテレビ見てたら、ドラマの主人公の男が、岩手旅行のお土産に"銀河を閉じ込めた水晶玉の指輪"っていうのを買ってきて、彼女に『銀河鉄道の夜』の話をしながらプレゼントするみたいなのやってて、そういえば、サチは宮沢賢治が好きで、俺も本読んで好きになって「いつか二人で岩手行きたいなぁ」って話してたの思い出したんや。

 思った通りに、いや思ってた以上に君が大喜びしてくれて、テンション上がってな!「よし!"旅行のしおり"ちゃんと作って、計画立てて絶対ええ旅行にするで!」ってはりきって作ってみたんやけど、というのも、ミユがなぁ、彼氏と旅行する時は「旅行のしおり」を作るって言うてたやんか、それを見た君が「可愛いねぇ! イラストなんか入れて、おしゃれ! こんなの作れるなんて素敵ね!」って言ってたから、負けてたまるか!と思ってね。いや、それはそうと結婚前のひとり娘が彼氏と旅行するのを、なんで許可してんのかわからんけど、いや、許可なんかしてへんで! ほんまに! この件については、またじっくり話し合いするとしてやな、でもってな、俺なりに頑張って作ったんやけど、出来たのは「行きたい所をただ羅列しただけのメモみたいなもの」で、君にそれ見せたら「あなたにしたら作るだけでもよくやった」みたいなこと言われて、ちょっと、いや、かなり落ち込んだんやで、そりゃあ、今までのことがあるからね、そう言われるのも無理ないけど...、いつも行き当たりばったりで、とりあえず行ってから考えるみたいなやり方で、帰ってきてから、「あぁ、あそこ行ったら良かったのになぁ!」とか後悔してなぁ。みたいなことが多かったからね。でもやで、行きあたりばったりやから、ハプニングも起こるわけやし、たまたま入った店が、想像以上にデリシャスやった時は、感動して得したわ〜!感がマックスになるやん! まぁ、その反対もあるけどな、でも旅って、そこが醍醐味でもあるわけやんか。ガイドブックに載ってない"ええとこ"見つけてナンボみたいな、ちゃいますか! ごめん、興奮してもうたわ。そんでやな、今回は、今までの反省も踏まえ、結局反省してるんか? 反省も踏まえて、ガイドブック買って、調べて、"旅行のしおり"を作りました‼︎ 拍手‼︎

 まぁ、その自信作が、"ただ行先を時間通りに並べただけのメモみたいなもん"なんやけど...。

 君はその"メモ"じゃなくて"旅行のしおり"を冷めた目で見ながら「一泊じゃ回りきれないんじゃない? 二泊しない?」なんて言ってきて、結局、二泊することになったんだよね。

 俺も、大切なお客様のご要望にお応えするために、またもや''旅行のしおり"を必死で作り直しましたわ!

 で、待ちに待った出発の日がやってきたんやけど、なんとまぁ! 朝からこのジャージャー降りの土砂降りで、嵐みたいやでほんまに。そんでもってお客様からまたもやの予定変更で、「やっぱり盛岡城は、晴れてないとダメなんじゃない?」とのご要望で、初日と2日目を入れ替えて、まずは、花巻の宮沢賢治記念館を目指すということになったんだよね? この時点で、必死で作り直した「旅行のしおりモドキ」は、またもやただの紙屑に! あぁ! もうどうでもええわ!

 大雨で、出鼻を挫かれたけど、それでもやっぱり、初めての北東北への旅行ということでテンション上がりっぱなしで、土砂降りの東北自動車道をひたすら北へ向かって走っていきましたわ。あぁ、はよ晴れてくれやって祈りながらね〜!

 埼玉の家から片道500キロのロングドライブ! 福島県に入ったぐらいで雨も小降りになってきたんで、紅葉の始まりかけた山の景色や、田園風景も見えて気分も上々で、めっちゃ気持ち良くなってきて、「晴れてたらもっと気持ちいいのになぁ?」って助手席に話しかけたら、もうすでに君は夢の中に行ってしまってましたねえ! 前の日までお仕事してて、さぞかしお疲れで、朝も早かったから仕方ないけどね~、それにしてもスゥスゥ〜と気持ち良さそうな寝息やねぇ!

 俺はしばらくひとりで、サザン聴いてイエーイ! ロンリードライブ! ゴーゴー!

 宮城県あたりで、君は一度目覚めて、ドライブインのトイレに行ったけど、あいかわらず眠たそうで、「ついに岩手県に入りました!」って言って教えても、「ふぁ~」って人間とは思えない返事を返してきたよね。

 高速を降りたんで、夢の中の君に「もう着くで!」って声かけたら「うん、あーよく寝た」ってなんやそれ。

 それから、あくびを噛み殺した寝ぼけまなこで、「もう着いたの? 意外と近くない?」やって! よう言いますわ!500Kmやで! と思ったけども、「そやな! 結構近かったわ!」って強がりな俺、男はつらいよ!ねぇ寅さん!

 「まだ雨降ってたんだ、わぁ! けっこうひどい降り方ねえ」って出発してからずっと凄い雨ですわ!

 それからも雨は降りやまず、最初の目的地の宮沢賢治記念館に着くまでひどい土砂降りやったなぁ。

 時刻はすでに午後二時を少し回っていて、俺はもう腹ペコペコで死にそうで、腹へったぐらいで死ぬかいなって、例えやがな、それくらい腹へってるってこと! 「着いたら昼飯にしような?」って、半分夢の中の君に聞いたら、「そうね、私もお腹すいたわ」ってか、寝てても腹へるんやねぇ? あーら不思議!

 やっとのことで宮沢賢治記念館の駐車場に着いて、車を降りたら目の前に"山猫軒"の看板があるやんか! 

 "山猫軒"って、賢治の『注文の多い料理店』の舞台になってる料理屋やんなぁ。店の外観も童話の中の絵そのままに作られてて、すっごいメルヘンチックで、気分も盛り上がったよね。「あぁ、やっと飯にありつける! 何食べようかなぁ! 山猫軒ってやっぱ洋食かなぁ?」とウキウキして店に入ろうとしたら、睡眠をたっぷりとって、お元気そうな貴方は、「映えるわ!ここ! ねぇ、写真撮らないと!」とかなんとかはしゃぎ出して、腹ぺこな俺は、ぎこちない作り笑いで写真に収まった。撮影会も終了し、やっとのことで店に入ると、まず、土産物売り場があって、その奥にレストランがあった。目を輝かせて土産物を漁ろうとする君を、俺は羽交い締めにしてレストランに連行しましたわ。

 「せっかくだから何か珍しいここでしか食べられないものにしようよ!」という君の提案で、花巻名物の「手作りすいとん定食」を注文することにしたんやけど、さっきから何べんも言ってますけど、「腹ぺこの俺」は、正直に言わせてもらいますと、チキンカツやら天ざる蕎麦にかなり魅力を感じてたんですう...。でも、「どこにでもあるからねぇ、ありふれたもん食べてもねえ」という君の提案に何の異論も挟まず、いや、挟めず? 賛同したわけですう。でも「花巻名物手作りすいとん定食」は、なかなかの出来で、味も良かったし、やっぱり君の提案は正解やったわ。うん、ほんまやで。まぁ、店の中は、普通の田舎のレストランみたい?やったかなぁ。山猫みたいなおばさんがいっぱいおったけど、えぇ!まさか!本物の山猫やったんか? そんなわけないやろ! でも、わからんで一匹ぐらいほんまもんの山猫がおったかも?

「キャアアア‼︎ 」って怖がってくれませんよね? それどころか君は、冷静な目で「えっ? そうなん?」って、まじで信じてるんか! もう俺の負けでーす!

 それから、食後にさっきのお土産屋さんで「アメニモマケズ」の巻き物を買ったんだよね。「アメニモマケズ」って、賢治が晩年に、手帳に走り書きしてたんやてな、晩年言うけど30代やで! 東に病気の子供あれば看病してやり、西に疲れた母あれば行ってその稲の束を背負い...やで! どんだけ人間できてんねん! まぁ、俺も今日はアメニモマケズ、岩手まで運転してきたけどね! えっ? そういうことじゃないって? 知ってるがな! 俺なんかまだまだ修業がたりまへんなぁ!

 山猫軒を出て、目の前にある宮沢賢治記念館に行ってね。いゃ~、びっくりしたわ! 賢治ってほんまにいろんなことやってたんやね。岩手を理想郷の"イーハトーブ"にするために、地元の人たちと農業の研究したり、実際に農業やって、作物作って、学校の先生もしてたり、ほんまに凄い人やったんやわ! 知らんこといっぱいあったわ! 「うん、凄いね、賢治って。いろんなことやってたんだね。」って、君も感心してたよね。その"イーハトーブ"やけど、岩手県を日本のドリームランドにしたかったらしいで、すべての人が幸せに暮らせる理想郷やって! どう思うサチは? そんなドリームランドなんてできると思うか? でも賢治さんも心象の中にあるって言ってるから、つまりは、心の問題ってことやろ? 君もなんかそんな風なこと言うとったやんなぁ? 幸せに感じるってことは、人それぞれやもんなぁ。ほんまに大きい事考えるわ、賢い人は違うなぁ。俺は、"サチといるだけでええねん。それだけでええねん" あぁ、恥ずかしいわ、もう!

 そんでやな、記念館な、新しくておしゃれで綺麗で、想像を超えて良かったよね。資料もいっぱいあって、じっくり見てたら2.3時間はかかるほど充実した内容やったよな。でもな、この記念館の最大のお目当ては、なんといってもミユも欲しがっていた"銀河を閉じ込めた水晶玉の指輪"だったんだよね。一つが、二千八百円してて、オォ!と思ったけど、この旅行のお目当ての一つやったから、奮発して君とミユの分二つ買ったんだよね。ちょっとどうしようかって迷ってたけどね? そらダイヤの指輪には敵わんけど、丸い大きな水晶みたいな玉の中に、銀河の星空が閉じ込められてるみたいで、キラキラ光ってて綺麗やったもんなぁ!

君も気に入って喜んでたし、買えてよかったわ。

 え~と、それからどうしたんだっけ?

---- たしか、それから、あれ? どうしたんだっけ? あ〜、なんか頭ボーとしてきた。なんかおかしいわ! サチは大丈夫か!


 ユウジは、頭を抱えて「あー、どうしたんだっけー」と考えていた。

 急に土と雨の匂いがして、真っ暗な闇に包まれていく感じがした。



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