夜の山田
大浴場を出たら、なんだか疲れがドッと出た……。
俺は脱衣所の前のベンチでぐったりと腰をかける。
風呂を出た生徒たちがジャージに着替えて通りを行き来している。
――少しめまいがする。湯あたりでも起こしたんだろうか?
「大丈夫か、新庄? 少し休んでろよ」
「これを飲んでくれ」
俺を心配してくれる平塚と平野。
平野は俺にポカリを手渡してくれた。
「ありがとう、少し休めば動けると思う。先に部屋へ行っててくれ。平塚は瀬尾を合う約束をしているんだろ?」
言葉がよどみなく出ていた。少し前の俺だったらこんな風な対応はできなかった。
「べ、別に遅れても構わねえよ!? そ、そんな事より新庄が苦しそうじゃねえかよ!」
見た目はチャラチャラしているのに、一番焦った表情で、なんだか異様な雰囲気だ。
そんな平塚の背中を叩いて落ち着かせる平野。
「平塚、新庄が困惑してるだろ?」
「でもよ……、俺は二度と間違えたくねえんだよ……」
「平塚、あの時とは違う。それを含めてお前は瀬尾と向き合う必要があるんだ」
「わかってんけどよ……」
二人が何を言っているのかよく分からなかった。
平塚と瀬尾の間には何かあるのだろう。
平塚がちらりと俺を見る。
「本当に大丈夫か?」
「ああ、問題ない。ポカリ飲んだら楽になった。俺はもう少し休めば大丈夫だと思う。先に行ってくれ」
平野が平塚の背中を押す。
「ほら、行くぞ。……新庄、平塚の事は気にするな。ゆっくり休んでから戻って来い」
「わりいな、変な感じになっちまってよ。いつか話せる時があったら説明するぜ……。きつかったら俺のスマホに連絡しろよ!」
ベンチから立ち上がった平塚が「あっ」と声を上げた。
まだ何かあるのか?
「俺っち新庄の番号知らねえよ!?」
「……俺も知らない。新庄、教えてくれないか?」
心の中で、一瞬だけ嫌な記憶を思い出してしまった。
中学時代の奈々子さんとのメッセージのやり取り。友達になれたと思っていた如月とのやり取り。
俺は頭を振る。あれは過去の事だ。
もう俺は大丈夫だ。
「ああ、わかった。俺の番号は――」
番号を交換して、二人は今度こそ部屋へと向かっていくのであった。
俺はポカリを飲みながら不思議な気分でその背中を眺めた。
********
――時間にしては十分くらいだろう。
何も考えずに目を閉じて過ごす。昔はこんな時間が沢山あった。俺はずっと一人ぼっちだったからだ。
過去の教室では、休み時間の間は目を閉じる。目を開けても俺の前には誰もいない。
クラスメイトの声だけを聞いて過ごしていた日々。
冷たい心はいつしか強固な塊となって俺の身体をも鈍くしていった。
――あんりとの出会いが俺を変えてくれた。
目を開けるのが少し怖い。
昔は一人ぼっちでも大丈夫だった。今は一人が怖くて、寂しいと思ってしまう。
心が弱くなったと思っていた。でも違うんだ。
弱くなっていない。俺は違う感情を手に入れたんだ。
中学の林間学校は嫌な思い出であった。
だけど、俺がもっとうまく立ち回れば違う結果になったかも知れない。
もう名前も思い出せないけど、あの時一緒にいた女の子たちを必要以上に傷つけることもなかった。
あの子たちはどんな人生を送っているんだろう?
もう少しだけちゃんと向き合えばよかったのかもな。
俺は小さくため息を漏らす。
――よし、もう大丈夫だ。身体の調子は戻った。
あんりに早く会いたい。
この気持ちは恋心だとわかっている。
恋をすると胸がきゅうっと締め付けられる。
嫌な気持ちじゃない。あんりと思うとすごく優しい気持ちになれるんだ。
あんりがいたから俺は変われた。
平塚や平野と仲良くなれたのも、あんりがいてくれたからだ。
――ゆっくりと目を開ける。
誰もいないと思っていたのに、誰かが俺の顔を覗き込んでいた。
「真君、大丈夫?」
湯上がりなのか、火照った顔のあんりが俺の目の前にいた。
俺はとっさに心の中の言葉を口走ってしまった。
「――大好きだ」
「ほえ? ま、真君!?」
「あ、いや、これは、その」
さっきまでの気持ち悪さがどこかに飛んでいってしまった。俺は何を言っているんだ!? 顔が熱くなる。
あんりの顔を恥ずかしくて見ていられない。
「ね、寝ぼけて……、変な意味じゃなくて」
「う、うん。真君は寝ぼけていたんだもんね。大丈夫、私にとっても真君は『世界で一番大切な友達』だもん」
あんりは俺から視線をそらして、早口でそう言ってくれた。
あんりの小説のタイトルが頭に浮かんでしまった。
その言葉によって、俺は更に混乱しそうになる。
「よ、よし、まだ自由時間だ。外で涼みに行かないか?」
「うん、行こ!」
あんりが俺のジャージの袖をちょこんと握る。
生徒が行き交う大浴場前。
俺たちにとっては手を繋ぐのは心を落ち着ける行為であり、普通の事。
だけど、知らない生徒から見たら深い仲だと思われる。
今までは意識して手を繋いでいなかった。
いや、意識はしていたけど、深く考えていなかった。
俺は深呼吸してありったけの勇気を絞り出す。
友達として手を繋いでいたけど、これからは違う。
大好きな人と手を繋ぐ――
そう認識した瞬間、俺の心臓がバクバクしてきた。
あんりの手を握った。
あんりは少し驚いた顔をしていたけど、握った手に力を入れて絡めてくれた。
俺もあんりの手をにぎにぎして返事をする。
「えへへ……」
あんりの小さな笑い声だけが聞こえる。
周りの生徒の事なんて気にしない。
視界の隅で二階堂がガッツポーズしているけど、見えていない。お前は一体何なんだ……?
言葉じゃない何かで俺たちはやり取りをしながら外へと出ていった。
***********
夜の林は危険だ。
外を散歩するといっても、せいぜいキャンプ場の周辺を歩くくらいだ。
どこも生徒が多い。……なんだか、男女のカップルがとても多いのは気の所為か?
「ひゃ!? ま、真君、あれみて! 抱き合ってるよ!」
「ポメ子さんや、見ちゃ駄目だ……」
「あ、あっちも手を繋いでるよ!」
「あ、うん、それは俺たちもだけどな」
「そ、そうだね、えへへ。なら大丈夫だね」
何が大丈夫かわからないが、あんりがご機嫌だから良いだろう。
それにしてもうちの学校は真面目な生徒が多い。
中学の時は酒やタバコを持ち込む生徒がいたからな。
「ねえ、あっちの調理場に行こうよ!」
確かに調理場には生徒が全くいない。
特に何かあるわけではないし、涼むのにはちょうどいいだろう。
俺たちは調理場へと足を伸ばした。
「ねえ、あれって田中さんじゃないかな?」
「そうだな……、山田もいるぞ」
調理場の奥の方に二人が立っていた。
妙な緊張感が漂っていた。
俺は何も考えずに二人に近づこうとした。
あんりの顔がいきなり俺に近づく。手も引っ張られた。
心臓の鼓動が跳ね上がる。
「……駄目だよ真君。多分大事な話をしてるんだから」
あんりが小声で俺に耳元で囁く。
「そ、そうなのか?」
「そうなの」
そう言いながらも俺たちは一歩も動けない。
何故か二人の雰囲気に飲まれてしまった。
山田の良く通る声だけが聞こえてくる。
『た、田中、呼び出してわりいな』
『あのな、話があってよ……』
『俺、馬鹿だから駆け引きとかできねえし』
『はっきり言うぜ』
『俺は田中の事が大好きだ! 初めて見た時から一目惚れだ。お、俺と、付き合って下さい』
俺とあんりが思わず顔を見合わす。
とんでもない場面に出くわしてしまった。
山田が田中さんに告白をしている瞬間だ。
……いつもの山田じゃない、真剣さが伝わってくる。
他人事なのにこっちまでドキドキしてきた。
田中は微動だにしない。暗いからどんな表情をしているかのわからない。
少しの間を置いて、山田が泣き出した。
本気で泣いている。号泣だ。
俺はてっきり田中も山田の事が好きだと思っていた。
山田は振られてしまったのか……。
林間学校はまだ続くんだぞ。
気まずい時間が続くのか。
泣いている山田を見てオロオロとしている田中さん。
そんな田中さんと目があってしまった。
山田も俺に気がついてこっちにゆっくりと歩いてきた。
涙で顔がぼろぼろだ。
「しんじょう……、おれ、おれ……」
俺はなんて答えていいかわからなかった。
思えば俺も告白を受けた事がある。
真剣だとは思わなかった。嘘告白だと思っていた。
――もしかしたら、本当に俺の事を思っていた子もいたのかも知れない。
俺も知らず知らずのうちに誰かを傷つけていた。
そんな事を思うとひどく胸が痛くなった。
ふと、あんりと出会う前に告白してきた女の子を思い出した。嘘告白だと思って、断った。
あの子は今の山田みたいに泣いていた。
……山田。
いつも元気な山田が泣き崩れる。
俺は山田の肩に手を置いた。
「山田、なんて言っていいかわからんが、お前は良い奴だ。きっと――」
「しんじょう、俺、田中と両思い、だった……」
「へ?」
「え?」
俺とあんりから変な声が出てしまった。
田中さんは恥ずかしそうにもじもじしている。
なるほど……、成功したのか。
非常に紛らわしい。なんだろう、すごくムカついてきた。
一瞬だけ、山田の事を同情した俺が馬鹿だった。
あの二人の日常を見てて、二人が付き合わないわけないだろ。誰がどう見ても好きあっているじゃないか。
心配して損をした。
あんりが俺の手を引っ張る。
「真君、邪魔しちゃ悪いから向こうに行こ」
「あ、ああ、そうだな……。山田、また後でな」
山田は声にならない声を俺にかける。
俺たちは山田たちと離れる事にした。
何故か俺たちは早歩きになってしまう。
人の告白の場面なんて初めて見た。
「あ、あのね、そろそろ部屋に戻らないと先生に怒られちゃうね」
「そうだな……」
俺たちは手を繋いだまま立ち止まった。
女子部屋と男子部屋の分かれ道だ。
いつもよりも離れたくない気持ちが強く湧いてくる。
俺たちの手がどちらからともなく離れる。
そして、
「またあしたね! お休み」
「……お休み、あんり」
俺はそう言いながらも、何故か再びあんりの手を握っていた。
「ま、真君!?」
「い、いや、夜道は危険だ。途中まで送る」
「すぐそこだよ? えっと……、じゃあお願いしようかな」
部屋まではほんの数十メートルの距離。
ほんの数秒の時間だけど、あんりと一緒にいたかった。
俺にとって、その数十秒がとても長く大切な時間に感じられたんだ――
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