コーヒー牛乳
「ポメ子さんや……、野菜はこうやって切るんだ。そう、手はにゃんこの形にして……」
「う、うん、こうでいいのか? なんか近すぎないか? 別にいいけどよ……」
「いや、ポメ子さんの手が切れたら大変だ。ちゃんと補助をしないと……」
俺たちは小声でやり取りをしている。
バスは事故に合うこともなく無事に林間学校現地へと到着することができた。昔の転移物の小説ではバスの事故で集団転移なんてあったから心配になってしまう。
それをあんりに言ったら笑われてしまった。
初日のハイキングやオリエンテーリングを終え、俺たちは夕飯の準備をしていた。
遠足の時と違って学校の授業の一環としての側面が強い林間学校は、名前の順で班分けを行われた。
篠塚と新庄。俺たちは幸い同じ班になれた。
……斉藤さんも同じ班である。
あのバスの中での会話は今思い出すと恥ずかしくなってきた。間違った事は言っていない。茶化す人間もいなかった。ただ、なんていうか自分の考えて伝えるのがひどく怖かったんだ。
言動が人を傷つけたりする。中学の時、俺は斉藤さんの態度に心が傷ついた。斉藤さんは俺の冷たい態度に傷ついたはずだ。
「ちょっと〜、あなたたちも手伝ってよね。こっちでスープとサラダの準備しようよ」
「てか、斉藤がやればいいじゃん」
「マジうざ……」
斉藤さんはクラスの人気者のはずだ。それでもクラスであまり喋らない生徒もいる。バレー部の瀬尾さんとバスケ部の佐藤さんだ。
二人は女子の中でも運動部特有の陽キャ感があった。
気も強く、自分ではサバサバしていると自称している系の女の子たちだ。
教室で斉藤さんと彼女たちが喋っている姿を見たことがない。
……女子の世界は怖いからな。奈々子さんが虐められていたように、裏では何があるかわからない。
「あっ、まこ、新庄さ。あとで奈々子さんと遥ちゃんのところへ行ってみようぜ。せっかく仲良くなれたんだからさ」
あんりは他の生徒がいるところでは前みたいな口調に戻る。俺のことも新庄と呼ぶ。
恥ずかしがっているその姿が妙に可愛らしかった。
「ああ、構わないぞあんり。妹は料理が全然出来ない。大変な事をやらかしていないか心配だ。あいつはカレーにあんこを入れようとした過去がある」
「ちょ、新庄、名前……」
「ん? もういまさらだろ? 俺はどんな時でもあんりって呼ぶって決めたんだ」
「そ、そう……。わ、私は……、もう少しまってね……」
「いくらでも待ってあげるさ。ほら、じゃがいもの皮むきはこうやって――」
ふと気がつくと瀬尾さんと佐藤さんの姿が見えなくなっていた。
……別に悪い子ではないと思う。俺たちを悪く言った事もない。問題児でもあるわけではない。ただ、斉藤さんと気が合わないだけだ。
斉藤さんは男子から絶大な人気を誇っている。
俺たちが調理台に立っていて、斉藤さんが一人で食器の準備をしていると男子たちが代わる代わる訪れてくる。その中の一人である平塚がやってきた。
球技大会のときに俺に喋りかけてきたチャラ男である。
長い髪をかきあげて満面の笑みを浮かべていた。
「みゆちゃーん、あれ? 一人なの? 俺が手伝ってあげるよ!」
「うーん、大丈夫かな? 新庄君たちの手際がいいから料理の準備はほとんど終わっちゃったし」
「新庄マジか!? あいつ料理もできるのかよ。ていうか、出来すぎじゃね? 勉強もすげえし運動もできるし、かっーー、マジ羨ましいぜ! あっ、ひ、平野!?」
そこに寡黙な男である平野が現れた。
チャラ男の平塚と何故か気が合うのか二人は一緒にいることが多い。
「平塚、俺達の準備は終わっていない。来い」
「ちょ、マジ掴むなって!? ジャージが伸びるだろ!? ていうか、俺料理なんてできねえよ!?」
「挑戦することに意義がある」
「み、みゆちゃん、また後でね!! おい、新庄、後でだべろうぜ!!」
平野は俺に一礼をして平塚の首根っこを掴んで去っていった――
俺はペコリと頭を下げる。
……少しずつだが、俺の世界が広がっているように感じる。今朝の山田の件もそうだが、こんな風に男子と接するのは初めてだ。
斉藤さんと目があった。
斉藤さんは俺とどうやって接していいかわからないのか、苦笑いをしていた。
「新庄君、こっちは終わったよ。みゆは手伝えることあるかな?」
「いや、こちらもほとんど終わっている。あとは煮込むだけだ」
そこに瀬尾さんたちが帰ってきた。
特に何を言うでもなく、瀬尾さんと佐藤さんはテーブルに着き料理ができるのを待っている。
斉藤さんが何か言いたそうな顔をしていた。
……遠足はあんりと二人で楽しむ事ができた。生まれて初めて学校行事が楽しいと感じられたんだ。
この林間学校はあんり以外の生徒と関わらなければならない。
同じクラスだからと言って全員が全員仲が良いとは限らない。そんな事はわかっている。
人間関係の怖さを身を持って経験した俺たちはそれを知っている。
俺はほんの少しの勇気を出して瀬尾さんに話しかけた。
クラスメイトの女子に話しかけるのが初めてで敬語で喋っていいのか、どう喋っていいのか戸惑う。
「あの……さ、瀬尾さんに佐藤さん。俺、女子がどのくらいの量のご飯を食べるかわからないんだ、基準が遥だから当てにならない。だからさ、こっちに来てサラダを分けてくれないか?」
斉藤さんとこの二人の仲が良くないなら、第三者が間に立てば班の空気がよくなると思う。
あんりは横で俺の事を見守ってくれていた。
瀬尾さんが素っ頓狂な声を出した。なんか遥に似ている……。あっ、バレー部か。遥がよく助っ人に行ってるところか。
「ほえ!? し、新庄君……。う、うん、そ、そうだよね。て、手伝うよ! ほら、佐藤も立ってよ」
「えっ、ええ? いいけどさ……」
良かった、二人の雰囲気が柔らかくなった。俺は安堵の笑みが溢れる。
「ありがとう」
二人は少し恥ずかしそうにうつむいて料理を取り分けてくれた。
その後の食卓は穏やかな時間となった。
斉藤さんは持ち前のコミュ力を発揮して恋愛話やおしゃれの話で瀬尾さんたちと盛り上がる。
なんてことはない。ただ斉藤さんとほとんど話したことがなくて、見た目と男子がちょっかいかけてくるのを見て敬遠していただけだ。
「ちょ、斉藤マジで? す、好きな人いないんだ。チャラい男は嫌いなのね……」
「へえー、そのメイクってそうやってんだ。私も真似してみよう」
時折瀬尾さんから俺とあんりに話を振られる。
俺はつっかえながらもどうにか返答する。
「ていうか、篠塚さんって超肌綺麗よね〜。バレーもうまいんでしょ? 遥がベタ褒めしてたもんね」
「べ、別にそんなにうまくねえよ……。あれは遥ちゃんの教え方がうまかっただけで……」
「わぁ、ツンデレだ! 超可愛い! 新庄君と喋っている時は超カワイイのに!!」
「え、ええ!? ちょ、ちょっとまてよ。私がいつ可愛い喋り方してたんだ! わ、私はこれが普通だろ? な、し、新庄」
「あんりはいつでも可愛い喋り方をしているぞ。どんな喋り方でもあんりだ」
あんりは咳き込んで俺の後ろに隠れてしまった。大丈夫か?
瀬尾さんと佐藤さんは顔を見合わせて爆笑している。
「マジうけるじゃん!! てか、真顔でそんなセリフ言えるのって超すごいよ。篠塚さん羨ましいわ……」
「うん、ヤバいわ。そんな事言われてみたいわ。てか、あんりちゃん超かわいい!!」
斉藤さんもお腹を抱えて笑いを堪えている。
何かおかしかったのか? わからないけど、嘲笑のたぐいではないと理解できた。
なぜならそこには年相応な高校生の笑顔があったからだ。
これがみんなで会話をする雰囲気ってやつか。
この後は生徒たちのレクリエーションがある。歌を歌う生徒もいれば、ダンスを披露してくれるイベントもあるらしい。流石に高校生にもなって全生徒で踊るイベントはないが、キャンプファイヤーはあるみたいだ。
キャンプファイヤーか……。中学の時とはまるで違う林間学校を送っているな。
「おっす!! 遊びに来たぜ!! 新庄野球やろうぜ!!」
「や、山田くん、もう暗いから駄目だよ。……あ、あの、お菓子持ってきたから同席してもいいかな?」
「チョリースっ! おっ、瀬尾っちいつもと雰囲気違くね? もっとがさつじゃなかったか?」
「うっさいわね馬鹿平塚!! あんたはどうせ斉藤目当てなんでしょ!」
山田と田中がいきなり俺たちのテーブルにやってきた。
平塚もいて、瀬尾さんと気さくに話している。
「……あいつらは幼馴染だ。近すぎて距離感がバグって素直になれない奴らだ。まあ気にするな」
巨漢の平野がペットボトルのコーヒーを飲みながら笑い合っているみんなを温かい目で見つめている。瀬尾が斉藤さんを苦手だったのって、ただの嫉妬か……?
平野は新しいペットボトルを二本、俺に差し出してきた。
「篠塚との二人っきりを邪魔した代金だ。飲んでくれ」
俺は苦笑いしながらそれを受け取る。
俺の背中に隠れているあんりがひょっこり顔を出す。あんりに一本手渡した。
俺はコーヒー、あんりはコーヒー牛乳だ。
俺は背中にあんりを感じながらコーヒーを開けて口に含む。
なぜだろう? ただのペットボトルのコーヒーなのに……、普段よりも美味しく感じられた。
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