始まりの繋がり


 ――ぐぅぅぅぅぅ……。


 お腹の鳴る音が聞こえて来た。

 篠塚さんが恥ずかしそうにお腹を抑える。


 気がつけば夕方になっていた。

 時間がどれだけ過ぎたか覚えていない。


「ぐっ、し、仕方ねえだろ。ひ、昼食べなかったし」


「そういえば食べるの忘れてたな」


 こんなに喋ったのはいつ以来だろうか? 止まらなかった。話したい事が一杯あった。夢中で話していた。ポメ子さんはとても博識であった。流石先輩である。流石篠塚さんの中の人。


「そばでも食って帰るか……」


「ポメ子さんは家に帰りたくないのか?」


「あん? ……うちは別に家庭不和じゃねえからな。家族は……信用できる。まあちょっとうざいけどな」


 そうか、だから優しさが残っているんだ。俺とは大違いだ。

 ポメ子さんは店を探そうと辺りを見渡した。


「げっ!? マジか」


「どうした?」


 入り口でキョロキョロしている大人の女性がいた。

 ポメ子さんを見つけると、ほんわかとした嬉しそうな顔で走り寄ってきた。


 随分とホワホワとした雰囲気の女性だ。

 小走りで駆け寄る姿がとても子供っぽい。

 綺麗な黒髪をたなびかせ、大きな胸が揺れていた。

 身体的な特徴は気にしないようにしよう。


「あんりちゃん! あんりちゃん、お姉ちゃんが迎えに来たよ〜〜」


 息を弾ませてポメ子さんに抱きつくお姉さん。

 篠塚さんは眉間にシワを寄せて嫌そうな顔をしているが、満更でもなさそうであった。


「こ、こら、やめろって!? ひ、人が見てるだろ!?」


「あれれ? あんりちゃんのお友達? こんにちは〜」


 俺と篠塚さんは同時に言い放った。


「友達ではないです」

「友達じゃねえよ! ふんっ」


 お姉さんは笑顔で「うんうん、そうだね〜」と言いながらポメ子さんの頭を撫でる。


「や、やめろって。ガ、ガキじゃねえんだから! ったく」


「ふふ、こんにちは、私はあんりちゃんのお姉ちゃんの冴子ちゃんです。邪魔してごめんね? あんりちゃんが同世代の子と一緒にいるのが嬉しくて、つい……」


「いえ、はじめまして、ポ……篠塚さんと同じクラスの新庄真と申します」


「キャ〜〜、可愛い! 『剣と血まみれ勇者』のテツロウ君みたい! あんりちゃん大好きだもんね〜」


 人気アニメの主人公に例えられて光栄と思っていいのかどうか……。

 妹とは随分と違う見た目と性格をしている。本当にほわほわしてる人だ。


「にゃ、新庄、そ、そろそろ帰るぞ? て、てめえ勘違いするなよ? 私達は慣れ合わないぞ!」


「ああ、当たり前だ。仲良くするつもりはない」


「ええ〜、もう少しあんりちゃんのお友達と話したいな〜。だって、お仕事疲れたんだもん! あんりちゃ〜ん、お願い〜」


「うるせよ! ほら、にゃん太、帰るぞっ! ……あっ、ごめ」


「お、おい、篠塚!?」


 さっきまで俺たちは名前を呼んでいなかった。ここにいたのはポメ子とにゃん太だった。篠塚が間違えてもおかしくはない。俺も間違えそうになった。

 だが、間違えるなっ!


 冴子さんは首をかしげて考え込んでいた。


「にゃん太? あだ名かな? ……ちょっと待って。にゃん太? ……あんりちゃんはポメ子……」


 なるほど、冴子さんはポメ子さんの存在を知っているんだ。

 冴子さんの雰囲気がふわふわしたものから鋭い何か変化していった。


「にゃん太……、もしかして……『異世界ミケ三郎の大冒険』のにゃん太先生? ねえ、そうなら、うんって言って! あなた絶対にゃん太先生でしょ! あんりちゃん、どうなの!!」


 冴子さんの眼光が鋭く光る。

 さっきまでのホワホワした雰囲気が徐々に消えていった。


「し、しらねーよ!? にゃ、にゃん太なんて言ってねえよ!」


「言った、絶対言った! それに口下手なあんりちゃんとお話できるなんて、小説好きじゃないとありえないから!」


 冴子さんは俺の肩をがっしりと掴んだ。


「えっと、にゃん太……君。なんで私のメッセージに返信しないのかな〜? お姉ちゃん、すっごくやきもきしてるんだよ? せっかく編集会議通したのに……、ねえ、なんとか言ってよ!」


「ま、待って下さい。何の事やら……、俺は誰ともメッセージのやり取りなんてして……、ん? 編集会議?」


 こんな偶然あるのだろうか? もしかして、彼女は――


「そうよ! この前、書籍化打診送ったでしょ! もう、あんりちゃんの友達なら早く言ってよ!」


 俺と篠塚は再び同じ言葉を言い放った。


「友達じゃないです」

「友達じゃねーよ!」




 *******************




「はぁ〜、全然返信ないし、どうしちゃったのかと思ったよ。お姉ちゃん、プンプンだよ」


 俺達は商業施設を出て、自宅に向かって歩いていた。駅前を通り抜けて住宅街へ向かう道のりだ。

 流石に夜も遅くなるから、別の日に書籍化について話そうという事になった。

「受けるにしろ、断るにしろ考える時間が必要でしょ?」と冴子さんは大人の余裕を見せた。


 どうやら篠塚家は俺の家を通り過ぎて10分位のところにあるらしい。なるほど、学区が違うから小中学校が違ったのか。


 それにしても、全く似てない姉妹である。

 ……いや、俺は篠塚の事はよく知らない。本当は冴子さんみたいにホワホワした感じなのかも知れない。……どうなんだろう? ……なんで俺は気になっているんだ?


 冴子さんは上機嫌で俺達の後ろを歩いていた。

 まるで俺達を見守っているみたいであった。


「……ポメ子さん、お姉ちゃんって編集者だったんだ」


「……ったく、まさか打診してるとは思わなかったぞ。くそ、私が先に好きになったのに……」


 俺の打診はポメ子さん経由とかではないんだな。

 その事実に少しだけ安心した。コネは好きじゃない。


「にゃ、にゃん太、わ、私が書籍化したのはお姉ちゃんが編集者だからじゃないぞ! ち、違う出版社から打診が来たんだ」


 やっぱりポメ子さんもその事は気になるんだ。


「ああ、そんな事理解している。さっき小説読んだが……確かに書籍化してもおかしくないクオリティだったし」


 ポメ子さんは顔を赤くして俺をキッと睨みつけた。全然怖くない。


「ば、ばか野郎!? は、恥ずかしいだろ。ったく、まあ、その、にゃん太……ありがとな」


 ――ありがとう、か。

 久しぶりにそんな言葉を聞いたな。

 心は空っぽだったはずなのに……優しさが染み渡る。

 ……俺は喜んでいるのか?


「ふふん、いい感じだね! やっぱり友達になればいいんだよ! 趣味が一緒なんだからさ!」


「お、お姉ちゃんは黙ってて。ったく、私の事件覚えてるでしょ? ……私は誰も信じない……」


「俺だって、篠塚とは――」





 俺は最後まで言葉が言えなかった。いつの間にか駅前を歩いていた。

 駅前には人が多い。知り合いがいる確率が高い。いつもなら周囲を注意深く見ていた。会話に熱中し過ぎたんだ。



 斉藤さんと幼馴染の宮崎さんが目を見開いて、俺たちを見ていた。


「あん? にゃん太どうした? ……こいつら」


 二人は友達だったのか? 俺は全然知らなかった。

 赤い目をしている二人は驚愕の表情である。


「ま、真……、お、女の人と……、ど、どうして」

「真君!? え、心の準備が……、まって、超綺麗な人じゃん!? ていうか、篠塚さんも!?」


 早くこの場を去りたかった。

 小説を執筆したかった。ポメ子さんにあとで書籍化について色々聞きたかった。

 篠塚さんと俺が一緒にいるのを見られたくなかった。ポメ子さんに迷惑を掛けたくなかった。


 俺は偽物の笑顔を浮かべて通り抜けようとする。


「――失礼します」


「待って!! ――あっ」


 宮崎は俺の腕をつかもうとしたが、宙を切った。

 あの頃とは違う。ふざけて遊んでいた仲じゃない。

 赤の他人だ。


「ひっぐ、真君……話聞いて……お願い……、みゆ達……真君に謝りたいの……。だから、二人で話してて……」


 斉藤さんは泣きながら立ちふさがった。

 謝る? 何に対して? 信じていなかった事は別に罪じゃない。

 俺が信用できる人間じゃなかっただけだ。

 謝っても過去の出来事は消えるわけじゃない。


 ――だから、もう……。





 ふと、俺の肩に柔かいものが触れた。

 ポメ子さんが眉間にシワを寄せながら俺を見つめる。笑顔を作ろうとしているのか、パグみたいに、しわくちゃな顔をしていた。――思わず心の中で吹き出しそうになった。


「――にゃん太、行こうぜ。あ、歩きながら、さ、さっきの続きを話すぞ」


 顔が赤いポメ子さんが――ひどく優しい存在に見えてしまった。

 俺の張り付いた偽物の笑顔が剥がれてしまう。


 俺はため息を吐いた。


「はぁ……、仕方ないな。ポメ子さんは意外とおせっかい焼きなんだな? ああ、行こうか」


 俺はポメ子さんの腕をジャージ越しに優しく掴む。

 全く……お返しだ。

 なんでこんな事をしたのかわからない。肩に残っているポメ子さんの感触が、優しさが俺の意思を強くしたのかも知れない。


「ほえ!? な、な、にゃ――」


 ポメ子さんはすっとんきょな声を出した。


「まって〜! よくわからないけどお姉ちゃんも!」


 冴子さんは俺のもう片方の手をつかもうとしたが、俺はヒョイっとそれを避けた。


「いや、冴子さんはちょっと……」


「えーー、なんで!? あんりちゃんだけずるい!! ううぅーー、じゃあ、あんりちゃんと手を繋ぐ!」


「お、おい、離せって、にゃん太! 私達は、と、友達じゃないだろ?」


「ああ、篠塚とは友達じゃないよ。ははっ」




 いつの間にか俺は宮崎と斉藤さんの存在を忘れていた。

 二人は俺達を見て固まっている。心がどこかに飛んで行った感じであった。

 言葉を発しようとするが、口をパクパクさせているだけで声がほとんど出ていない。


「――ま……こ……笑ってる……」

「な、んで……え……みゆは……?」


 俺はそんな二人を見て――心に何も感じなかった。

 もう関わらないでくれ。


 過去の傷は消えない。だけど、それがほんの少しだけ埋められた気分であった。



 ――大丈夫、きっと俺は二度と間違えない。


「ポメ子さん――、ありがとう」


「へ? な、なんだいきなり!?」


 俺はジャージ越しに繋いだ手を見つめた。

 ポメ子さんの優しさに感謝を込めて――


 





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