第10話
空一面のホログラムが夜空を写すようになった頃、俺達は街灯の光を頼りに帰路を歩いた。会話はなかった。マナは相変わらず能面のような無表情を貼り付けていて、俺は絶えず背中に冷や汗をかいていた。あれだけこの居住区に住んでいた人間に文句を言っていたのに、俺も彼らと同じ道を順調に歩いていた現状に、俺は巻き込んでしまったマナに対する責任だとかそういうことでの恐怖を感じていた。マナに咎められるかもしれないことへの恐怖を感じていた。
他の人もロボットもいない静寂の道中を、足音だけを鳴らして俺達は歩き続けた。歩調は緩まることはなかった。一刻も早く全てを忘れて眠ってしまいたい。そんな俺の願望に、多分マナは気付いていたのかもしれない。
居座っている宿屋にはそれからさらにしばらく歩いてたどり着いた。大きな扉が、いつもより一層重く感じた。内部の灯りは灯っていない。マナが暗闇でも利く目を凝らして灯りを点けた。耳障りの良い通電音を鳴らして、LEDの灯りが灯っていった。その灯りが眩しくて、俺は目を細めた。慣れ始めた頃に、俺は自室に戻ろうとエントランス向こうの階段に向かって歩いた。マナもそれに続いた。
コンクリートの上に絨毯の敷かれた廊下を歩き、二階の角部屋に入った。暗闇に包まれる室内で、手探りに灯りのスイッチを探した。手頃な感覚を見つけると、パチッと音がなるまでスイッチを押し込んだ。部屋に灯りが灯った。
十帖くらいの室内にベッドは一つ。窓際には机。ベッド向かいの壁沿いにテレビラックとテレビ。その他トイレと浴槽が完備されていた。
テレビは砂嵐しか流れないから暇つぶしにはならない。机にはマナが図書館から持ち込んだ本で埋め尽くされていた。最近彼女は、サスペンス物の小説に嵌っている。どうやらこの前の一冊が彼女の琴線に触れたらしい。彼女の趣味思考とか精神的な成長とか、ようやくそういった姿を知れ始めたところだったのに。
俺は疲れた体と脳を休ませたくて、そのままベッドに倒れ込んだ。
「もう寝るのですか」
マナは平坦な口調で尋ねてきた。
「うん。ごめん。疲れてしまった」
「そうですか」
簡素な会話をして、それ以降俺達の会話は無くなった。マナが机に隣接された椅子に座ったらしい。そして、紙が捲られる音が室内に響いた。どうやら本を読み始めたみたいだ。本の頁が捲られる際の紙擦れの音は、疲労困憊の俺にとって子守唄のような役割を果たした。静寂の中、唯一室内で響くその音を耳にしながら、次第に俺の意識は夢の世界へと誘われていった。
瞼の裏の暗黒の世界が、色づき始めた。夢の世界は先ほどまでの地獄絵図とは違い、安寧の時間を俺に与えてくれた。
* * *
少しだけかび臭いベッドに身を沈めながら、微かに光が漏れるカーテンの隙間をぼんやりと見ていた。光に、小さな小さな塵が照らされていた。元いた世界の馴染みある我が家でもよく見た光景だった。多分ここが異世界でなければ、俺は今眼前に広がっていたこの光景に興味すら抱くことはなかったのだろう。
人間のエデンと呼ばれた『T―二十三』に住んでいた人間が全員死んだというショッキングなニュースを聞いてから、一月が経った。
そして、マナが俺の望んだ人の感情を持ってくれてからは一日が経った。つまり、マナが俺のエゴにより苦しんでから一夜が明けたのだ。
どれくらいこうして寝ていたのだろう。この部屋に時計がないことが災いして、自分がこうしてどれだけの時間を惰眠に費やしたかはわからなかった。ただ、うだつがあがらない中ベッドで転がっていると、腹の虫が鳴った。
室内にマナはいなかった。どんな顔して会えばいいのかわからなかったので、少しだけ安堵していた。ただ、彼女がここにいないのであれば、恐らく今は日課の掃除の時間なのだろう。であれば、俺が送った無駄な時間は極僅かに済んだということだ。少しだけ安堵を覚えた。
「いや、それじゃ駄目なのか」
しかし、俺はその考えがすぐに間違っていることに気がついた。昨晩あれだけエゴな自分に罪悪感を抱いたくせに、俺は再びそれを繰り返すところだったのだ。だって、そうだろう。マナは今、多分掃除をしているのだ。一人で。適材適所を指摘され、この宿屋の掃除はマナに一任されているが、自分のエゴを知っても尚、彼女だけに掃除をさせる現状には気が引けるではないか。
どんな顔をしてマナに会えばいいかはわからないが、この罪悪感を抱いたまま、有耶無耶に時間を過ごす方がもっと嫌だった。
俺はベッドから体を起こした。眠り疲れたのか凝り固まった体を解しつつ、ベッドから降りると、手早く着替えを済ませて靴を履いて外に出た。
廊下に出た。二階の廊下から、物音は聞こえてこなかった。
「一階だろうか」
俺は階段を降りた。静寂の廊下で、俺の足音だけが壁を反響して響いていた。
「いない」
階段からエントランスを見渡したら、そこには誰もいなかった。階段を降りきって、エントランスに出ても、やはりマナはいなかった。
地下だろうか。いつかのネズミに襲われた出来事は記憶に新しく、思い出しただけでも肝が冷えそうだったが、堪えて従業員用通路の扉を開けた。真っ暗な通路と階段を覗きながら耳を澄ました。物音一つ聞こえてこなかった。
多分、地下にもマナはいないのだろう。そう結論付けて、従業員用通路へ続く扉を閉めた。
俺はその扉にもたれながら、頭を捻った。
マナは一体、どこにいるのか。
寝起きと昨晩の一件のせいでぼんやりする頭を数度叩きながら、頭を捻った。一体マナはどこにいるのか、と。これまでマナは、俺に黙ってどこかに出掛けるということは一度もなかった。ただ、これだけ宿屋内を探しても彼女の物音一つ見つけられない。であれば、マナは多分、今この宿屋にはいないのだろう。俺に黙ってどこかに出掛けたのだろう。
どうしてだろう。
そう考えて、顔の血の気が引いていくのがわかった。眠気で回らなかった頭が、熱が出たときのように余計に重く感じた。
気付けば俺は、宿屋を飛び出していた。他の人もロボットもいない道を全速力で駆けながら、叫んでいた。
「マナーっ!」
喉が痛いと感じるほど、大きな声で叫び、走り続けた。
昨晩の一幕と宿屋からマナが姿を消したこと。それらを繋ぎ合わせて考えてみると、マナが失踪した理由が、どうしても最悪の想定へと結びついてしまっていた。
マナは言っていた――。
暗殺用ロボットとしてたくさんの人を殺した自分は。
自らのエゴによりたくさんの人の『生き物の理』を無理やり破らせた自分は。
――許されるのか、と。
深刻な顔で、自らの犯した罪が許されるのかと、俺に聞いてきた。俺は答えられなかった。答えはわかっていたから。答えがわかっていたからこそ、彼女を俺のエゴにより苦しめてしまったと俺は悔いたのだ。
答えはわかりきっていた。
人の人生を奪うこと。残されるモノを悲しませること。罪を犯すこと。
そんなこと、許されるはずがないのだ。許されるはず、ないじゃないかっ。
「マナーっ! どこにいるんだ、マナー!」
気付くべきだったんだ。もっと早く。昨日の内に。自分のエゴに罪悪感を抱いても、もっと早く俺は気付かなければならなかったんだ……。
「マナーっ!」
俺が俺の犯したエゴに苦しむよりも、より深い罪の意識に駆られる人が……、いいや、彼女がいたことを。俺は気付かなければいけなかったんだ。
自らの犯したたくさんの過ちにマナが気付き、そのことを悔いて、自決するかもしれない。どうして俺はもっと早くそれに気付けなかったんだっ!
心臓が飛び出るのかと思うくらい痛かった。額や至るところから溢れる汗が、不快感となって押し寄せた。喉が掠れてきていた。
闇雲に、俺は道を走り続けた。あてもなく、他の人もロボットもいない不安すら覚える道を、アスファルトを、俺は走り続けた。
だけど、どれだけ探してもマナは見つからなかった。
廃墟になった遊園地にも。図書館にも。テニスコートにも。花畑にも。どこにもマナはいなかった。
「マナ。マナッ!」
もうこの世界にマナはいないのかもしれない。そんな不安が俺の心臓を抉った。それはナイフのような鋭利な傷を俺に与えて、俺の判断や歩調を緩ませた。
いつしか俺の瞳から、涙が溢れていた。俺のエゴによってマナを苦しませてしまった。俺のエゴにより、この虚無の世界で俺は一人きりになってしまった。後悔と恐怖がとめどなく押し寄せた。
「マナ……」
俺の足はついに止まってしまった。荒れた息を整えるために、膝に手をついて大きく息を吐いていた。ただ、足を止めてしまったことが災いした。俺の脳裏に、先ほどまで抱いていた後悔、恐怖がより一層強く現れたのだ。負の感情が矢継ぎ早に俺を襲った。次第に、この状況の苦しさにより、俺の涙腺に涙が溜まった。
「マナ。マナ……」
いくら呼びかけても、返事はなかった。一番会いたい人からの返事はなかったのだ。最早我慢の限界に達して、俺は嗚咽交じりに涙を流した。冷たい涙が頬を伝った。唇をかみ締めて、涙を拭うも、それは留まることを知らなかった。
「チクショウ。どこにいるんだよ、マナ」
泣き言のように俺は呟いた。
すると、
「はい。ここにいます」
背後から、聞き馴染みのある声が聞こえた。平坦な口調だった。いつも通りの、感情の読み取れない平坦な口調だった。しかし、この平坦な口調が骨身に染みるような、そんな感覚を抱いたのは初めてだった。
ゆっくりと、俺は背後を振り返った。
「マナ」
「はい。なんでしょう」
そこには、マナがいた。暗殺用ロボットとして生き、俺が先ほどまで会うのを躊躇い、今俺が一番に会いたい人だった、マナがいた。
マナは不思議そうな顔をしていた。その顔をしばらく見ていたら、胸の奥に止め処ない感情が溢れた。激情かと思えて、それでいて愛情かとも思える、不思議で、表現の出来ない感情だった。
気付ければ俺は、その感情に促されるままにマナを抱きしめていた。
「どこに行っていたんだよっ」
怒声にも似た口調で、俺は叫んでいた。
「申し訳御座いません。国防省のビルにいました」
国防省? ああ、あの宿屋から近いビルか。随分と走りまわったのに、マナは宿屋からそんなにも近い場所にいたってのか。無駄に心配してしまったじゃないか。
「颯太、泣いているのですか?」
嗚咽でも聞こえたのか、しばらく黙ってしまった俺にマナは言った。優しく、俺の背中に手を回してくれていた。
「泣いてるよ。君のせいで、泣いているよ」
溢れる感情に促されるまま、悪態を付いてしまった。
「申し訳御座いません」
しばらくしてマナに謝罪されて、俺の胸中で再び罪悪感が溢れた。全部俺の一人相撲だったかもしれないし、元はといえば全て俺のせいかもしれない。なのに俺は、マナを咎めてしまっていた。
「ごめん」
涙を拭いて、謝罪した。
「いいえ、勝手な行動をしたあたしが悪いのです」
「そんなことない」
そんなことは、決してない。俺がもっと冷静になっていれば。俺がマナに対して罪悪感を抱くようなことをしなければ。
こんな面倒事にはならなかったはずだった。
「大丈夫ですか、颯太」
「ごめん」
だから俺は、もう一度謝罪を口にした。何に対してかは怖くて言えなかった。いつかマナに言われた。俺は怖がりなんだね、と。本当、マナの言うとおりだった。今の俺は怖がりで、マナに咎められるかもしれない現状から、何とか逃げきれる術はないかとすら考えてしまっている始末だ。だから、こんな曖昧な謝罪で逃げようと考えている。
もう俺は、この居住区で過ごした人達のことをエゴイストとは呼べない。同じくらい、いいや、それ以上に俺はエゴイストかもしれないから。弱虫で泣き虫で怒りっぽいエゴイストだから。
「そこで何をしていたんだい」
でも、だからこそ、マナに迷惑をかけたからこそ、俺は彼女に尽くしてあげないといけない。彼女は自らの行いを許されざる行為を知って、心を病んだ。今もそれに悩んでいるはずだ。……俺のせいで。
俺はマナのそんな不安を、何とか取り除いてあげないといけないのだ。彼女のためにも。迷惑をかけた彼女のためにも。
俺は涙を拭いて、マナから離れた。マナは、不安に瞳を揺らしていた。
「説明するより見たほうが早いかもしれません。行きますか」
いつにも増して平坦に、それでも憂いを帯びた声でマナは言った。
「わかった」
俺は力強く頷いて、歩き出したマナの後に続いた。
* * *
国防省のビル内部の廊下は、いつかと同じように思わず節電対策かなと思うくらい、心もとない非常灯が足元を照らしているだけの薄暗い場所だった。
そんな薄暗い廊下で、俺はマナと手を繋ぎ歩いていた。どんなにも暗いところでも目が利くマナに先導していってもらっていた。数十段の階段を昇って、大きな扉が薄暗い廊下ながらも目についた。その部屋にマナと共に足を運んだ。内部は、いつか訪れたモニタリング室だった。設置されたいくつかのモニターが、外の映像を投影していた。立派な住宅街、かつては人が溢れていただろう商店街の様子が映し出されていた。しかし、やはりそこに人はいない。ロボットもいない。
心に侘しさを感じながら、設置されたパネルを操作するマナに近寄った。
「何をしているの?」
「はい。敵国のサーバーにハッキングしています」
「は、ハッキング?」
不穏な言葉に、思わず唸ってしまった。目を丸めていると、マナがこちらに向き直った。
「どうしてそんな危なそうなことを」
「はい。ロボット革命以降、我が国は他国との交流を断ち切りましたので、他国の情報を得るにも図書館などでは三百年以上前の文献しかありませんでしたので。戦争時代となった昨今は、これまで以上に情報の流出が懸念される時代となりました。だから、どの国の情報を得ることも簡単ではなくなったのです。
ならば直接ハッキングし情報を得ようと思い、今日はここに来ました。ここのコンピューターは世界でも有数のスペックを誇っています。この居住区内でも随一です」
「それはわかったけど、リスクを犯してまで何を調べていたの?」
それほどのリスクを犯してでも、マナがすぐに調べたかったもの。それは一体何なのか。
「かつてあたしが殺した人の情報を探っていました」
「あ」
俺は俯いていた。
リスクを犯してでもマナがすぐに調べたかった情報。よく考えればそれが、昨日の一件を発端にしたものであることは想像出来そうなものだった。気付けなかったことに、俺は再び罪悪感を抱いていた。
「その人が死んだことは当然ながら、それに伴い周囲の人間にどんな変化が訪れたのか。その国がどうなったのか。それを調べていました。
あたしは政府直轄の暗殺用ロボット。戦乱犇く時代におけるあたしの役目は、とにかく各国の首脳陣に取り入って、心を開かせて、隙を見つけて殺す。そういうものでした。そして、その首脳陣が突然死を遂げることは、その国の直接の衰退に繋がった例も少なかったみたいです。七十超の任務をこなして来ましたが、その内の七の国は、その首脳の死がきっかけとなり、国民が暴徒化。内乱によるデモの発生。もしくはテロ行為が頻繁し、独立などにより消滅。
また、その首脳のご家族も精神病などを患ったケースが多かったようです。
以上のことを、今回の調査から確認しました」
「そうか」
国の崩壊。マナの行いが、どれだけそれの要因になったかはわからない。だけど、一因であったことは間違いなく事実だろう。それよりも、残された家族が病んだこと。こちらの方が、聞いていて辛かった。もし自分が同じ立場となった時、俺は果たして、家族を奪ったロボットのことを許すことが出来るだろうか。
「そして、思いました」
マナは続けた。
「やはりあたしのした行いは、許されるものではありませんでした」
俺は何も言えなかった。
「あたしはあたしのエゴにより、たくさんの人達の命を奪ってしまった。『生き物の理』を無理やり破らせてしまった。許されるはずがありません」
俺は拳を握っていた。もし俺が彼女に人と似た感情を持って欲しいなどと願わなければ、彼女はこうして今、自分の行いを悔いることはなかっただろう。苦しむことはなかっただろう。
全ては、俺のせいだった。
「ごめん」
「何故、颯太が謝るのですか。悪いのはあたしです。たくさんの人を殺したあたしです」
平坦な口調で、マナは言った。いつものように、平坦な口調で。でも、後悔のような感情を感じた。
「あたしは、どうしたらいいのでしょうか」
しばらくして、マナは呟いた。そして、続けた。
「たくさんの人を殺しました。たくさんの人の人生を歪めました。そんなあたしは、このまま活動していていいのでしょうか」
俺が芽生えさせた感情のせいで、マナは悩んでいた。後悔していた。俺は唇を噛んだ。俺はなんて酷いことをしてしまったのだ。そう思ったんだ。
「君が悪いわけじゃない。命令した人が悪いんだ」
「命令した人が悪いとして、実行したあたしが無実、ということにはなりません」
その通りだった。なんて酷いんだ。彼女はただ、プログラムされた通りにこの国の人間の指示に従っただけなのに。
結局、彼女は暗殺用ロボットだった。この国の人間の指示に従い、たくさんの人を殺すようプログラムされたロボット。こうして彼女が悩んだのは、そんなロボットに人の心を持って欲しいと願った俺の失策だった。
……それは間違いない。
だけど、俺はふと思った。目の前で俯き、この先どうすれば良いのか道に迷ったロボットを前に、思っていた。
彼女は……マナは、暗殺用ロボットなのか?
いいや、
「君は暗殺用ロボットなんかじゃない」
そんなことはない。そんなことはないじゃないか。
「颯太、そんなことはありません。事実、あたしはたくさんの人を殺しました」
マナは俯いて、苦笑気味に言った。
「確かに昔はそうだったかもしれない。だけど、今は違う。違うじゃないか」
「今、ですか……」
「そうだ。今だよ。今の君は、暗殺用ロボットなんかじゃない」
俺はマナが暗殺用ロボットだから、人の心を持って欲しいと思ったのか?
いいや違う。
俺は彼女が人に似た心を持ったロボットだと思ったから人の感情を持って欲しいと思ったんだ。花畑で彼女の変化を確信したんだ。
彼女との思い出が脳裏で駆け巡った。たくさんの思い出が駆け巡った。
「だって君は、俺を助けてくれたじゃないか……」
戦車から助けてもらったこと。
ネズミから助けてもらったこと。
塞ぎ込みそうになった心を助けてもらったこと。
「俺に色々教えてくれたじゃないかっ」
この世界の歴史のこと。
猫を滅ぼした王国の末路のこと。
研究文献を書くAIロボットのこと。
「俺を色んな場所に連れて行ってくれたじゃないかっ!」
図書館に連れて行ってくれたこと。
テニスコートに連れて行ってくれたこと。
花畑に連れて行ってくれたこと。
「君は、俺を殺すために俺に色んなことをしてくれたのか。違うだろ。君は、俺を助けたくて色んなことをしてくれたんだろっ」
そんな彼女は、俺にとっては暗殺用ロボットなんかじゃなかった。違ったじゃないか。彼女は俺にとって、残骸になってしまったロボット達とは違った存在だったじゃないか。人らしい何かを感じた存在だったじゃないか。だから俺は彼女を苦しめることになるとも知らずに、彼女に人になって欲しいと願ったんだ。
そうだったじゃないか……!
俺の目からは再び涙が溢れていた。そんな俺に、マナは戸惑っているように見えた。
「でも、あたしが犯した罪は消えない」
「確かに君のしてしまった罪は消えないかもしれない。でも、君が俺にしてくれたたくさんの善行だって消えない。そうだろ?」
「そうですが……」
気づけば俺の息は荒れていた。涙で視界も歪んでいた。それでも、俺はマナを見つめ続けた。戸惑うマナを見続けた。
「でも。でも……っ」
「マナ」
俺は困惑するマナを抱きしめた。力強く、抱きしめていた。
「ありがとう」
マナが息を呑んだのがわかった。動揺するように、体を震わせていた。
「戦車から助けてくれてありがとう。ネズミから助けてくれてありがとう。辛い時に傍に居てくれてありがとう。色んな場所に連れて行ってくれてありがとう」
「そんなこと……」
「君がいたから、俺は今ここにいれる。君がいたから、俺は今生きている。それでも君は、今の自分が暗殺用ロボットだと思うか」
声を震わせて、俺は叫んだ。
マナは何も答えなかった。
「ようやくわかったよ」
そして、俺は理解した。
「どうして俺がここに来たのか」
終末を感じさせる砂漠。人とロボットが消え失せた哀れな居住区。絶望が毎日のように俺を襲った。父と母と再び会いたくて、怒りに駆られた日だってあった。それでも俺は、大人にもなっていない俺は、自らの無力さばかり感じるこの世界で自発的に行動を起こした。
マナを。今抱きしめているロボットを、人にしたいと行動した。
過ちを知って。エゴを犯して。罪の意識を抱えて。
それでも俺は、マナを探して足を棒にして道を走った。苦しむマナを救えたら。いいや、救いたいと思ったんだ。
それはきっと、俺の感情に変化があったからという理由もあるけれど、何よりもこの世界に来ることが出来たから、マナに出会うことが出来たからこそ抱けた感情だ。想いなんだ。
だから。
だから、だから……!
「俺は君に会うためにここに来たんだ。君に会うために生まれてきたんだよ、マナ」
それが俺が生きてきた理由なんだと思った。
どれだけ世界が朽ちようと。
どれだけ世界から人が消えようと。
どれだけ世界から、疎外されようと。
俺は今、一人のロボットのために生きている。一人のロボットの心の支えになりたくて、生きている。
「君の犯した罪、俺も一緒に背負うよ」
心のつっかえが取れたような気がした。ずっとモヤがかかっていた一歩先の世界に、足を踏み入れた気がした。
「一緒に罪を償おう。そして、いつか笑って過ごせるようにしよう」
それがきっと、俺が彼女にしてしまった罪に対する償いでもある。たくさんの迷惑をかけた恩返しでもある。
だから俺は、これからはマナのために全力を尽くそう。彼女が苦しむのならば背中を擦ろう。彼女が悲しいならば慰めの言葉をかけよう。
どれだけ長い時間そうすることになろうとも、いつでもくじけることなくそれをやり遂げよう。
彼女のために。
俺を救ってくれたマナのために。
涙は止まっていた。滲んでいた視界は明瞭だった。俺は微笑んだ。
「一緒に生きていこう。二人でさ。マナ」
二人で。
罪を償いきれるまで。いつまでも生きていこう。愛情にも近い感情が溢れていた。マナに対する想いが溢れていた。いつか、この感情をマナに伝えられたらいいなと思った。そんな時がいつか来たら。そんなことを言えるくらいマナが立ち直ってくれたらいいな。そう思ったんだ。
だけど世界は、そんな俺の願い、いいや、『エゴ』が成就することを願っていなかった。
この世界は、唐突に終わりを迎えることになった――。
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