160話 おさんぽ
『空の杯』を出て宿に戻る。
街の中央通りから山手に上がると領主の屋敷がある。さすがと言うべきか王都への玄関口とも言えるこの辺り一帯を治めるユリエフ卿は、王国内でも有力貴族なのだそうだ。それほどの貴族の妻子ならば、相応の身代金も取れると踏んでいるのか。
ジョズさんが言っていた奴隷商の事を思う。
奴隷売買を禁止されれば、彼らは途端に路頭に迷うのだ。奴隷商の怒りももっともだと思うが、手元にいた奴隷はちゃっかり領主に売りさばいている。妻子までに手を出そうとするのは流石に仁義にもとるというものだ。
「まぁ…俺には関係の無い事か」
暗い事ばかり考えていても得は無い。宿には立派な風呂が待っている。今はその事だけで足取りが軽くなるというものだ。
宿に戻ると、明かりのついた部屋で一人アイレが気持ちよさそうに寝ていた。ベッドの上なのは良いが、布団も掛けずに寝るとは風邪でも引きたいのだろうか…そっと布団を掛けてやり、本題に入るとしよう。
まず、窓が開いている。次に一着のローブが床に脱ぎ捨てられている。そしてコハクとマーナの姿が無い上に、風呂は静かなので入っている様子も無かった。
《 二人で散歩にでも行ってるのか? 》
《 あ、ジンだ。大丈夫! ちゃんと人前じゃぬいぐるみになるよ! 》
《 おさんぽ 》
声を掛けると間髪入れず反応が返ってくる。警告する前にマーナが自己申告して来たのでそこは許すとして、窓の開けっぱなしは寒さと防犯面から頂けない。少し説教でもしてやろうかと思ったが、小うるさいのもどうかと思い、言うのは思い留まった。
それにしてもコハクは疲れて無いのかねぇ…どうせマーナに誘われて二つ返事で出て行ったのだろう。
《 あまり遅くなるなよ 》
《 あい~ 》
《(コクリ)》
どうせ宿の表から戻ってくるはずもないと思い、窓のカギは閉めずにおく。あの二人にさほどの心配は必要ないだろう。俺も風呂に入って寝るとするか…
◇ ◇ ◇ ◇
《 人間だっ! かくれろー! 》
「かくれろー」
コハクとマーナはアイレと共に風呂に入ってから夜の街に繰り出していた。マーナはまたぬいぐるみになるのは嫌という理由で、コハクは見知らぬ人が怖いという事もあり、人間の反応を感じるや隠れるなり道を変えるなりしての散歩だ。
リージュの街は石畳なのでコハクが歩くたびに下駄の音がカラコロと街路に響くのだが、奏でている本人はこの音をとても気に入っていた。夕刻は雑踏に消えていたこの音もこの時間だとよく聞こえる。歩くのが楽しかった。
《 あ、挟み撃ちだっ 》
道の両端から人間の気配を感じた二人は咄嗟に民家の屋根に飛び上がり、屋根伝いに散歩を再開。これなら人間に会う事も無いと気付き、二人は見合って笑った。
木の家に住む者からすれば天井から聞こえる下駄の足音がゴトゴトと鳴り、恐怖を煽られる上に迷惑
ぴょんぴょんと屋根を飛び移り、月明かりがコハクの白銀の髪と真っ白な着物に反射する。
その姿を偶然目撃した住人は後日、『真っ白な銀髪の子供と水色に光る玉が屋根の上を飛び回っていた。きっといいことがあるに違いない』と、その幻想的な光景を多くの人に語ったという。
《 んー? あれは何かな? 》
「ひ いっぱい」
屋根上の散歩も束の間。二人の視線の先には赤々と燃える松明群。魔力反応も全て人間だったので、人間の集団が明かりを持って集まっている事が分かった。
人間が何をしていようが二人にはまるで関係の無い事だが、夜の散歩の最中の小さな出来事に、二人はほんの好奇心をくすぐられた。
《 よし! 隠密さくせん開始だよっ 》
「おんみつ…?」
コハクは訳も分からず火の方へ向かっていったマーナの後を追う。だが、楽しそうだと思ったのは間違いなかった。
◇
「きっ、貴様らっ! 伯爵家に手を出してタダで済むと思うなよ!」
ガキン! ギリギリギリ――――
「はっ。没落貴族なんぞに誰がビビるかよ」
ズバン!
「ぐあっ!」
男の凶刃が鎧に身を包む騎士の一人を襲う。複数に囲まれた三人の騎士は、仲間がやられるや剣を握り直し、内一人が護衛対象に向かって声を上げた。
「屋敷はすでに囲まれています、街門へお駆け下さい! 護衛隊が待っております! パウリナ、奥様とお嬢様を頼んだぞ!」
「やるぞ二人共!」
「「おぅ!」」
「ブランっ!」
「奥様、お嬢様! 参りましょう!」
明かりの無い街路で四人の騎士と複数の男達が対峙していた。内一人の騎士がやられ、残るは三人。ブランと呼ばれたリーダー格の騎士は、女騎士であるパウリナに守るべき対象と共に逃げるよう指示を下した。
後ろ髪をひかれる思いでパウリナに連れられ、二人はその場を離れる。激しい剣戟の音は、自身らに迫る危険を嫌という程思い知らしめていた。
「お母様! どうして私共があのような下賤の輩に追い立てられなければならないのですか!?」
走りながら母に不満を叫ぶ娘。事の成り行きを説明している暇などない母は、娘の手を無言で引きながらその下賤の輩を止めている騎士達を案じていた。
「待ちやがれっ!」
輩の数人が母娘の後を追おうと駆けるが、行く手を満身創痍の騎士が阻み、なんとか母娘を街の外へ逃がそうと必死に時間を稼いでいる。
行く手には母娘を狙う傭兵、野盗など金で雇われただけの浅慮な者達が街のあちこちに散らばっていた。突然襲い掛かってくるそのような者達を引けながら、騎士パウリナは母娘を連れて街門を目指す。
《 なるほどなるほど。人間が鬼ごっこしてるんだね。あの二人が捕まったらゲームオーバー。街の外がゴールだ 》
「おにごっこ」
松明群に行きつく前に人間同士の戦いに遭遇したマーナとコハクは、屋根の上からその様子をこっそり見ていた。鎧を着た三人が大勢に囲まれて殺されたのを見届けてから、今度は逃げる三人の女の後を追いかけていた。
曲がり角から突然襲ってくる人間を、鎧を着た女が倒して進んでいる。人間が襲い来る度に二人の女は怯えて物陰に隠れるのを見て、マーナとコハクはさっきの自分達みたいだとはしゃいでいた。
《 あの鎧着た人、なかなかやるね 》
「やっつける ずるい」
《 あはは、人間は人間同士で殺し合うんだもんねぇ。おもしろいよね 》
「………」
だが、コハクは人間の子供を見て思う。
先程大きな人間が目の前で殺されても何も思わなかったが、自分とそう変わらない大きさの人間が怯えているのを見ると、いつも人に怯えている自分と重なり、胸がチクリと痛くなった。
でも自分はルイに会い、その後アイレとジンに会って変わった。こうして怖かったはずの人の街に来て、たくさん食べ物を食べて、大きな人間に沢山食べ物をもらった。突然人間が歌い出して騒ぎ始めた時はまた怖くなったが、ジンが楽しそうにしていたから自分も怖くなくなったのだ。
「じんいれば こわくない」
《 へ? 》
あの自分と同じ大きさのあの人間は、ジンに会ってないから大きな人間が怖いのだ。コハクはただ単純にそう思った。
突拍子の無いコハクの発言にマーナはその意図を考えてはみるが理解できず。考える事を放棄したその時、先程三人の騎士を殺した集団がこちらへ走って来るのを感じた。
《 あちゃー、ゲームオーバーかなぁ 》
「………」
真っ白な少女と水色の玉に屋根の上から観察されている事を知るはずもない三人。同様に大勢の人の気配を感じたパウリナが目の前の敵を倒し耳を澄ませると、先程仲間が迎え撃った者達だと知れた。ヤツらが追ってきたという事は仲間はやられたという事に他ならない。
「くっ、ブラン殿っ」
「ああ、なんてこと…」
「お母様、これからどうなるのですか!?」
とりあえず目の前の脅威が排除されたのを見て、娘が恐怖を紛らわせるように大声を上げた。その声を獣のように拾った一部の者がこちらを嗅ぎ付け、集団が迫ってくる。慌てて娘の口を塞いだ母とパウリナはギュっと目を瞑り、自身らの最期も覚悟した。
「いたぞ! こっちだ!」
「おーおー。大分足止めされてたのか? 門はまだまだ遠いぜ?」
祈り空しく発見された三人は大勢に行く手を阻まれる。パウリナは震える身体を何とか奮い立たせ、剣を相手に向けた。
「諦めろって。お前も多少は役に立つかもしれん。殺しはしねぇから大人しく捕まれ」
前に進み出たリーダーらしき男が、パウリナを見下ろしながら宣告する。
「黙れ! 貴様ら、本当にやっている事を理解しているのか!? メルカ様とリディアーヌ様がアルバニアに赴かなければ、帝国は閣下の恭順を疑い、攻められる可能性があるのだぞ! お前達も他人事では無いはずだ!」
「知るか。俺らは傭兵。この国がどうなろうが知ったこっちゃねぇし、一貴族なんざもっとどうでもいい。何ならさっさと降伏しやがった伯爵には食い扶持を減らされたと言ってもいいくれぇだ」
「だからと言って奴隷商に雇われるのか! 誇りは無いのか!」
「誇りで飯が食えるか? そもそも奴隷を安く買い叩いた伯爵が買った恨みだろうが」
「そ、それは…」
ハーン通貨の暴落を伯爵が予見できなかったとはパウリナは言えない。それを言えば、主たるユリエフ伯爵を無能と呼ぶ事と同義だからだ。
此度の騒動は領主たるユリエフ卿が奴隷解放に伴い、奴隷商から買い上げた商品たる奴隷の対価に大きな問題が生じたためである。問題は、ユリエフ卿が奴隷商との取引に使用したハーン通貨だった。
ジオルディーネ王国が帝国に敗れ、早々に奴隷の価値が落ちると嗅ぎ付けた奴隷商は、さっさと交渉のテーブルについて全ての奴隷を当時の真っ当な価値で売り払っていたのだ。
だが、しばらくするとあれよあれよとハーン通貨は暴落。暴落を知った奴隷を持つ者達はハーン通貨以外の通貨で取引を行えたが、奴隷商が得たハーン通貨はもはやその価値を無くしたと言っても過言ではなくなり、表向きには代金の回収の為に今回の騒動を引き起こしていた。
ユリエフ卿の妻子を人質とし、帝国に接収される前にユリエフ卿から奴隷を取り戻し、あわよくば全ての財産を奪おうと企てたのだった。奴隷商も通貨の暴落を予見し、他国の通貨に変えていない時点で商人としての資質を問われるところだが、それはおくびにも出さない。
なお剣を引こうとしないパウリナに業を煮やしたリーダー格の男は、とうとうその凶刃を彼女に向けた。
だが、
「やめなさい! 私はリディアーヌ・ハイメス・ユリエフ! フェドセーエヴィチ・ハイメス・ユリエフⅡ世の娘です! 誰に武器を向けているのか分かっているのですかっ!」
「リディアーヌ! お止めなさいっ!」
勇敢か無謀か、果てや無知なる傲慢か。ユリエフ卿の娘であるリディアーヌはもう我慢ならないと、自分達に剣を向ける傭兵達に大声を上げた。母のメルカは娘を止めるべく脚に力を込めるが、恐怖からその場から動けなかった。
「おぅおぅ。なーんにも知らねぇマセガキは元気でいいねぇ。お前は俺達の人質になるか、帝国の人質になるかのどっちかだ。人質人生、ごくろうさんっと」
バキッ!
「ああっ!」
「お嬢様! 貴様ぁっ!」
リーダー格の男に蹴り飛ばされ、リディアーヌは壁に叩きつけられる。それを防ぐことが出来なかったパウリナも男に迫るが、周りを囲まれて身動きが取れない。男は壁際で苦しむリディアーヌに再度にじり寄り、その苛立ちを少女に向けた。
「少しはお貴族様に下々の苦しみってやつを教えてやんねぇとなぁ」
「ひっ!」
薄ら笑いを浮かべて迫る傭兵の男が、リディアーヌにとって強大な恐怖の対象へと変貌する。これまで誰にも手を上げられた事の無かった少女は、初めて『痛い』という事を経験し、これから襲い来るであろう痛みを想像しただけで息が止まる思いだった。
「や、やめろぉっ!」
「リディアーヌ!」
殺しては元も子もないと男も分かっている。動けなくして先程の啖呵を後悔させてやろうと、少女の脚に向かって剣を突き出した。
「っらぁっ!」
ガキン!
「なっ!?」
だが男の繰り出した切先は寸前で阻まれ、リディアーヌに届く事は無かった。
恐る恐る目を開けたリディアーヌの視界に映ったのは、ぬいぐるみを抱いた真っ白な獣人の少女だった。
「だめ」
《 ああ…やっちゃった…絶対ジンに怒られる…わたしが… 》
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