159話 満腹の皿と空の杯

「いらっしゃいませ!」


 店内はそこそこの人で賑わっていたので、まずは一安心。さすがにガランとしていては食事の味が落ちてしまう気がするのは俺だけだろうか?


 もう一つの心配事だった、亜人の奴隷が居たらどうアイレをフォローするかの懸念も消えた。少し見回しても亜人の居そうな気配はない。いそいそと気立ての良さそうな人間の給仕に席に案内される。


「おー…」


 コハクは椅子の上で脚をぶらぶらとさせ、天井や床、最初に出された水の入ったガラスのコップ、果ては席一つ挟んで座る客が舌鼓を打っている料理を見たりして視線が忙しい。彼女が楽しんでいる時に発する音を聞き、俺はつい笑みがこぼれた。


 注文は席に着いた矢先に給仕から渡された品書きを食い入るように見るアイレに任せよう。


「これとこれとこれ、あとこれと…これも。あっこれも美味しそう! 食後はこれにしてちょうだい! 飲み物は…ラガーと温めたヴァインとリンゴ酒と薄めるお水! あ、いい香辛料あるじゃん! ピぺルとチンナモンムも持って来て!」

「あの…結構量多くなりますけど大丈夫ですか?」

「へーきへーき! 私おなか減ってるの!」

「わかりました。少々お待ちください!」


 とんでもない数の注文に給仕は引き気味。どうやら俺には飲み物の選択肢も無いようだ。


「ところで、どんな料理頼んだんだ?」

「え? わかんない。料理名とかさっぱりだし絵で選んだ」

「なんてこった」


 料金に関してはまぁいいとしよう。だが厨房の負担になるだの、食べるペースを考慮しろだの、そもそも量を考えろだの言えばまたうるさいのは分かり切っているので、これが今の俺の言える精一杯だ。


 アイレは気にもしていないが周りを見て見ろ。完全に注目されてしまっている。フードを目深にかぶったローブの主が女で、さらにとんでもない量を一気に注文したのだ。それもデカい声で。俺が他人だったとしても注目する事請け合いだ。


 数分後、俺達のテーブルは隣と繋げられ、二つのテーブル一杯に料理が並んだ。一皿一皿がこれまたデカく、次々と運ばれてくる料理にアイレの顔が徐々に引きつっていくのを俺は見逃さなかった。


「さすがだな」

「う、うるさ…っ! …ジン。助けて下さい」

「断る」

「ぐっ! や、やってやろうじゃない!」


 食べる前から苦悶の表情を浮かべるアイレとは対照的に、ようやく使い慣れて来たフォークとスプーンを握りしめ、無意識にテーブルをコンコンと叩くコハクは実に嬉しそうだ。


 ◇


「さすがだな」

「うるさ…うぷッ…もう、ムリ…」


 冷めたヴァインで喉にしがみ付いていた食べ物を流し込むアイレ。その一杯が止めとなって、彼女はテーブルに突っ伏した。当然、掛ける言葉は無い。


 俺も注文して食べ残すのもどうかと思い頑張って皿と格闘したのだが、一皿を食べ終わり、二皿目の序盤で限界が来てしまった。問答無用で注文されたラガーの気泡がこれまた腹を膨らませ、飲み込む料理と逆流する気泡が喉でせめぎ合っている。ラガーと飯は相性が悪いのだ。これを機にアイレにはこの事を覚えておいてもらう他ない。


 途中から残った料理は収納魔法スクエアガーデンに放り込み、数日は彼女に残飯の日々を送らせてやろうと思っていたのだが、どうやらその必要は無さそうだ。


「うぉーっ! 嬢ちゃんスゲーなおい!」

「いいぞいいぞ! これも食えちびっ子!」

「その小っこい身体のどこにそんな入るんだよ」


 大声でワイワイと周りの客が盛り上がっている。お目当ては突っ伏したアイレと、腹をさする俺を横目に未だモリモリ食べ続けているコハクだ。


 テーブルの上の料理を全て平らげた後、じーっと俺を見てきた。まさかと思い、まだ食べるかと聞くとコクリと頷いたのだ。汚れた口の周りを拭ってやり、品書きを共に見る。文字の読めないコハクは、アイレとは別の意味で絵を見て次々と料理を指差していく。


 先程出て来たものばかりだが、どうやら自分の好みの味をちゃんと覚えているようだった。そして追加で運ばれてきた料理も平らげ、その様子を見ていた周りの客が面白半分に盛り上がり始めたのだ。


 最初こそ周りの客の様子に怯えていた様子だったが、まだ手を付けられていない食べ物を差し出され、周りの客は悪い人間では無いと思ったのだろう。無言で料理を受け取り、それもちゃっかり平らげた。


 フードの下でチリンチリンとくぐもった鈴の音を鳴らし、身体を揺らしながら料理を食べ続けているコハクを見てその場の皆が楽しそうにしている。保護者面の俺は料理を分けてくれた客に感謝を述べながら、ここはコハク含め皆に心行くまで満足してもらわねばとついぞ疼いてしまった。


「店主殿、ここにいる皆様に新たな酒を! ここからの酒代は私が持ちます! 私の連れに良くして頂いたお礼です。心行くまで呑みましょう!」


「うぉーっ、乗ったぁ!」

「いやぁ~ん、ホレちゃいそ~! 飲むわよぉ~♪」

「兄ちゃん分かってるじゃねーか!」


 ここからはドンチャン騒ぎ。俺も満腹なのを忘れ、次々と運ばれてくる酒を飲みまくる。すっかり夜も更けているのだが、いつまで経っても大騒ぎの店に新たな客が吸い寄せられ、店内は客でごった返した。


「大将! まだ酒と食いもんあんのかぁ!?」

「舐めんじゃねぇ! 倉庫カラにしてみろってんだ!」

「だーっはっは、そう来なくっちゃな! ねーちゃんもう一杯! いや、三杯だ!」

「はいよっ!」


 久々に盛り上がったのか、店主も店員も楽しそうに店内を駆け回る。いつの間にか店員も増えていて、おそらく応援を頼んだのであろう。誰かが唄を歌えば、誰かがテーブルを叩き、その音に合わせてどこからともなく楽器の音が木霊する。俺も負けじと篠笛を取り出し、唄に合わせて音を奏でた。


 笛の音で突っ伏していたアイレが起き上がり、『なんでもっと早く起こさないのよっ』と言いながら店内を飛び回り始めた。さすがに風纏い付きで踊るのは不味いかもと思ったが、周りの客はそんな事は文字通りどこ吹く風で大盛り上がり。もう楽しけりゃなんでもいいと言ったところだ。


 それほど広くない店内からは外にも人が溢れ、この雰囲気を楽しもうと皆が皆、盛大に酒を酌み交わした。



「あ゛~っ、食べすぎ飲みすぎ騒ぎすぎたぁ…」


 アイレが横で辛うじて自立しながら言う。


 食堂での大宴会も終わり、大金貨二枚を放り出して店を出た。


 はい、この街に来て数時間で大金貨四枚が消え失せ、支度金はほぼ無くなりましたとさ。一体何人に奢ったんだ俺は…まさかここで父上の悪癖が出るとは思いもよらず。火照った頬を撫でる夜風と、大散財をやらかした後の祭り。どちらが俺をこんなに冷ましているのかは分からない。


 まぁ、いいか…得たものは、帝国だろうが王国だろうが、平時だろうが戦時だろうが、民は皆懸命に働き、その時その時の幸せを見出して生きている。それが分かった。


「俺は寄る所がある。先にコハクと宿に行っててくれ」

「りょーかい。コハクいくよ~」

「じん」


 食べに食べたコハクは大して腹も膨らんでおらず、平然としながら相変わらず俺の外套の裾を掴んでいる。少しためらいを見せたがマーナと先に風呂に入っててくれと言うと、コクリと頷いて二人は宿に戻っていった。


 一人暗い夜道を行く。街の中央にある広場を東に向かい、聞かされた路地を迷いなく進む。すると暗い路地にポツリと明かりの灯った店があり、『空の杯』という小さな看板が見えた。その下には店の前でいそいそとエプロンを付け替える女性が一人。


「あら? あなたはさっきの…」

「先程はどうも。ここでも働いているのですか?」


 大騒ぎした食堂で見た顔である。おそらく応援に駆け付けた店員の一人だったと思う。さすがに大盤振る舞いしただけあって覚えられていたようだ。


「こっちがメインなんだけどね。あっちが忙しい時に駆り出されるのよ」

「すみません。今度は騒ぎませんので」

「何言ってるの。こちらこそよ。このご時世じゃない? あなたみたいな人が居てくれると働いてて楽しいもの」


 ニコッと笑って店内へ案内してくれる。中はカウンターと呼ばれる高めの一列テーブルにこれまた高めの椅子が配置されている。五、六人入れば満員になりそうなこじんまりとした店だが、年期の入ったアイテムの数々と暗めの照明、何より白髪の混ざった総髪の店主の風貌がただならぬ雰囲気だ。子供が入ってはならない店に思えた。


「マスター、素敵なお客さん来てくれたよ」

「…らっしゃい」


 見た目通り寡黙なマスターと呼ばれた店主。郷に入れば郷に従え。マスターとは格好の良い呼び方では無いか。ここは一つ覚えておこう。


 スッと空のグラスが差し出される。どうやら子供でも客と認識してもらえたようだ。


 俺はファンデルさんに教わった通りに注文した。


「陽の当たらない酒を」

「…飲み方は」

はね休め」


 少し間をおいてマスターはふっと笑みをこぼした。


「こんな若いのが来るとはな」

「ですが、そこそこいけます」

「言いやがる。ミイサ、裏に行く。適当にやっとけ」


 察したのか、ミイサと呼ばれた助っ人店員は返事をし、マスターは裏口を指差した。


 裏口から続く部屋へ案内され、マスターは酒ではなく茶を用意しがてらジョズと名乗った。さすがにここで酔う訳にはいかない。茶を一口飲むと、スッと落ち着いた気分になる。感謝を述べて俺も名乗り、本題に入った。


「何が知りたい」

「イシュドルの情勢と獣王国女王ルイの情報を頂きたいのです」

「だろうな…」


 ジョズさんは今王都で何が起こっているのか、女王ルイに繋がる知り得ている情報を余すところなく教えてくれた。


「直轄領の民が王都に集結…」

「ああ。暴発も時間の問題だろう。じきに王都は国王軍と反乱民の戦場となる」

「っ…」


 いつまでも帝国に降伏しない王に、ギリギリまで引き上げられたままの税。加えて王国通貨の暴落が重なり、破綻寸前となっている生活への不満を爆発させた民が王家の打倒を掲げているのだという。


「結果は見えている」


 ジョズさんは静かに言った。当然国王軍が勝つだろうと。それも当然である。戦うために組織され訓練を受けている軍に、戦いの素人である一般人が勝つことは難しい。ジョズさん曰く、反乱民の数は国王軍の比では無いというが、個々の武力がまるで違う。大勢の民間人に死人が出るのは火を見るよりも明らかだ。


 しかも反乱の最終局面を裏で操っているというのが、ジオルディーネ王国軍の作戦参謀フルカスという男らしい。イシスを奪還された責を負い、任を解かれた場で帝国に降伏すべき事を国王に上奏するや死刑を言い渡されたのだが、部下の助けを得て命からがら王城から逃げだし、今は城下に潜んでいるという。


 魔人を使って侵略戦争の絵を描き指揮した挙句、任を解かれるや民を巻き込み主人に牙を剥くか。本人は王に目の前の危機を思い知らせ、なるべく早く帝国に降伏させねば王族は皆殺しにされると喧伝しているらしいが、民を戦いに巻き込んでいる時点でそいつのやっている事は気に食わなかった。


 女王ルイに関しても興味深い情報が得られた。これは魔人にも直接つながる事だが、ルイは魔導研究省主席研究員メフィストという男の元に監禁されているらしい。王城に忍び込んでいる隠者の目ハーミットの構成員が突き止めたらしいが、このメフィストと言う男、魔人の生みの親である事が本人と王の会話から判明したとの事だ。


 メフィストの研究所および住居となっているのは王城のすぐそばにある『魔導塔』という建物で、そこにルイがいる可能性が一番高いのだが、余りに警備が厳重でその姿は未だ確認できていないとも。


「十分です」


 十中八九、女王はその魔導塔にいると思って差し支えないだろう。結局コハクに聞けばルイが居る方向だけは分かるのだ。大まかなアテがあれば発見は容易に思えた。


 その後は帝国軍がラクリから南下しつつあるとか、水人アクリアの国であるミルガルズに駐屯していたジオルディーネ軍は陣を引き払ったとの情報ももらったが、それを聞いたところでせん無い事。帝国軍がジオルディーネ王国を蹂躙する日も近い。そう思うに留まった。


 だが、それに伴ってこの街に関係のある話はさすがに聞き流せなかった。


「この地域一帯を治める貴族、ユリエフ卿の妻子が未だ帝国に向かえずにいる」

「身内が人質になる事を恐れるとは。感情としては当然ですが、領主としては失格です」

「…お前さん、若造にしては少々出来過ぎだ。それはいつか仇となるかもしれんぞ」


 前世でも政略結婚、同盟の際の人質、主従関係を証明するための人質は当然の事だった。この世界も何ら変わりない事だが、ジョズさんの言う通り少々物分かりが良すぎるのも確かに危ういかもしれない。


「…肝に銘じます」


 話が逸れた、とジョズさんは続ける。


「領主が躊躇ってるんじゃない。この街の奴隷商が妻子を狙ってるんだ」


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