155話 野営は縄張りの確保から

 ジオルディーネ王国領内に入ってから三日目。


 俺達は途中の街村に立ち寄る事も出来ないので連日野営が続いている。幸いここに野宿を苦にする者はいないし、もっと言えば専門家とも言える連中が揃っている。


 元々放浪癖のあるアイレは野宿に適した地形や場所、その逆の袋小路や窪地くぼちなど危険な場所を見定める事が出来る。さらに口にできる植物や果実の知識は豊富で、なんならこの姫、花すら食う。それを垣間見た時は開いた口が塞がらなかったが、いざ言われて食べてみると事の他美味かったが彼女には黙っている。


 それに地べただろうが堅い岩の上のだろうが木の上だろうがどこででも寝られるという。ドッキアで別れたミコトやオルガナなどは野営が続くと、やれベッドが恋しいだのどこぞの料理が食べたいだの風呂に入りたいだのとアレコレ愚痴が噴出していたが、アイレにはそれが無い。野営の知識や心構えは十分に持ち得ていた。


 女なら特に風呂や水浴びは欠かせないと思ってここまで来た俺は、共に旅をする仲間としてその辺りを聞いてみたが、『風人エルフはあんまり汚れないから大丈夫』とかワケの分からんことを言い出した。


 確かにふとすれ違っても、まるで匂い袋を携えているかのような良い匂いがする。その匂いを例えるなら山吹の香りか。幼き頃から花を食って育つとこうなるのかと、妙に納得したものだ。


 コハクは言わずもがな野生に生きていたと言っても過言では無いので語るまでも無いだろう。強いて言うなら食料に関して難ありだが…


 先日の朝、何気なくコハクに目をやると、しゃがんで何かをしていたので気になって覗いてみた。するとコハクは草をしがんでは捨て、しがんでは捨てを繰り返していたので、食べられる草でも探しているのかと思い聞いてみると、何と草に付いた朝露を飲んでいるのだと言った。


 雪山の生活では水分補給できる雪があったからこんな事をしなくて済んだのだが、雪の無い地に連れてこられ、俺が食事時か休憩時にしか飲み物を渡さなかったばかりにこの結果となってしまったのだ。確かに俺は腹が減れば言ってくれとは言ったが、喉が渇けば言ってくれとは言っていない。


 言わなくても同じ事だろうと思っていた俺が愚かだった。その場でコハクに全力で謝罪し、なんで俺が慌てているのか分からず首を傾げているコハクに、水が無くなったら言ってくれとの言葉を添えて、小さな竹の水筒を作って首から下げてやった。


 下駄に続き、次は水の入った珍しいものをまた貰ったと思ったのだろう。しばらく水筒を眺めてチビリと水を口にした後、しゃがんだままの俺の背中に飛びついて小さく『ありがとう』と言われ、アイレにポンと肩を叩かれた時の俺の複雑な心の内は、誰かに分かってもらえるだろうか?


 こういう出来事もあったが、今は彼女の食事は俺が担うので野営は全く問題ない。


 マーナは…もういいだろう。


 開けた街道沿いで休むのが俺としては安心できるのだが、かなりの確率でジオルディーネの敗残兵が南下して来るので、出来るだけ接触は避けたいところ。


 火を焚いても街道からは見えない程度の森の中で、俺達はの確保をしていた。焚き火の前で二人と一匹にあれこれ指示しながら、火に吸い寄せられて来る魔物を次々と狩ってゆく。


「アイレ。南からラヴァ三体」

「イ、イヤ! やってよ!」

「そう、か…残念だな。共に食卓を囲めなくて」


 舶刀はくとうを抜こうとした手をガッとつかまれる。


「…いじわる」


 掴んだ手からプルプルと小刻みに震える感覚が伝わり、甘ったるい視線を送ってくる。別に嫌がらせをしているわけでも何でもない。適材適所、働かざる者なんとやらだ。


「俺に上目遣いが効くわけ無いだろう。せめて母上かアリアの域に達してから使うんだな」

「マザロリコン!」


 謎の呪詛を吐き、細剣を抜きつつ舌打ちして魔物に向かうアイレ。


 ザシュ! ブスッ! ザクッ!


 ラヴァと呼ばれる顔に複数の脚と羽が生えた体長五十センチ程の人面蚊を、風で動きを封じて斬り墜としてゆく。動きが素早く、蚊というくらいなので取り付いて血を吸って来る恐ろしくも気持ちの悪いやつなのだが、彼女の前では動かぬ的も同然。


 女に食いつくラヴァの習性を利用し、すかさずアイレを当ててやった。


「うわ゛ぁ…いつ見てもキモぃぃぃ」

『ボルルル…』


 ひっくり返って足をピクピクさせながら消えていく様は、かなり気持ちが悪いと評判の魔物だ。


「マーナは北でうろついてるデカブツと遊んでやってくれ」

『わぉん!(任せてよ!)』


『バフォォォォッ!』


 マーナには今こっちに来られると邪魔なデカブツの相手をしてもらい、引き付けてもらっておく。


「コハクはあっちにいる豚がこっちに来たら殴ってくれ」

「なぐって…?」

「ああ。たたくって事だ」

「たたく なぐって なぐる」


 コハクが言葉を飲み込み、うなづいたとほぼ同時に突進して来たオーク。大体複数で現れる魔物だが、今目の前、遠視魔法ディヴィジョンに掛かっているのは一体だけだった。


 ズンッ!


 オークが振り上げた棍棒をヒョイと軽く躱わし、腹に一発入れると、オークはその場でうずくまった。


 巨躯を誇るオークが小さな少女の前にうずくまる姿は滑稽に見えるが、いかせん相手は大抵の魔獣を寄せ付けない生態系の強者。F級のゴブリンに続き、E級の魔物であるオークもただの拳一発で仕留めてしまうその強さは本物だ。


 この調子で、D級C級と強さを上げて行ってみるのも面白いかもしれない。他人から見ると小さな女の子に何させてんだとのお叱りを受けそうだが、俺が目撃していないだけで、コハクはA級指定のエンペラープラントも倒したというし、魔人をも倒しているのだ。


 うずくまるオークをじっと見つめていたコハクだったが、やがて消えていったオークを見届けると、焚き火の前に陣取っている俺の元へ駆け寄ってくる。恒例?の『やったよ』報告なのだが、頭を撫でてやるとそれはもう嬉しそうにしてくれるのだ。


 最後はここまで何もしていない俺の番。


 相手はマーナに遊ばれているデカブツこと、グリムロックと呼ばれるオーガの上位種だ。こいつはオークやオーガと違い、基本単独で動いている事が多い。中級冒険者が遭遇した場合、全力で戦うか逃げるかの選択を取らざるを得ないC級指定の魔物である。


《 マーナ、すまないがここへ連れて来てくれないか 》

《 遊ぶの終わり? 》

《 また今度だ 》

《 はぁ~い 》


 俺に慣れ始めた頃は遊ぶことに関してわがままの多かったマーナだが、最近聞き分けが良くなってきた。いい事だ。


『うぉーん(ほーらこっちこっちー)』


 さほど待つことなくマーナがグリムロックを従えて近くまでやってくる。ズンズンと野太い地響きを響かせながら現れたのは、二足歩行の一角鬼。灰色の肌に浮かび上がる筋肉の鎧を身に纏い、あごまで伸びた鋭く尖った犬歯がどう猛さを物語っている。また、眼球の無い眼窩がんかは暗くよどんでおり、その相貌そうぼうを前にすると恐怖で動けなくなる者も多いという。


 この魔物は視覚ではなく嗅覚と聴覚、果ては第六感を持ち得ているという話もあり、目暗ましや牽制の類にはことごとく掛からないらしい。つまりは真っ向勝負で倒すべき魔物なのだ。


 俺は舶刀を抜き、身構える。


「なんでそっちなの? 黒い剣は?」


 アイレが不思議そうに聞いてくる。そろそろ刀という言葉を覚えてほしいもんだと不満を言った上で事情を話した。


「俺は元々こっちだったんだ。本来は二本なんだが一本無くしてな。強敵には刀を持つが、この程度の敵は一本で戦う場合のいい練習台になる。体術に重きを置きつつ剣術と魔法を組み合わせて戦うんだ。とくにこいつは初めて戦う―――最適な獲物だっ!」


 そう言ってグリムロックに駆け寄り、風渡りを発動。


 タタンと空中で目前まで迫ると、咆哮と同時に左右からてのひらが襲い掛かって来た。


 バチンッ!


 俺をハエの様に挟みつぶそうとするが、寸でで風渡りを足場に上へ回避。両手の合わさる音が耳をつんざくが、体勢を水平に持って行くと同時にグリムロックの両手首を未強化のまま斬り付けた。


「っつ!?」


 だが、まるで圧縮されたゴムを斬り付けたかのような感触と共に跳ね返され、体勢を崩したところに短く太い角が迫った。回避は難しいと判断した俺は迎撃すべく足を強化、空中で仰向けの状態に何とか持って行き、迫る角に目掛けて蹴りで応戦した。


 ガコッ!


「硬っ!」

『フォアァァッ!』


 脚と角が衝突するとどちらも大きく仰け反る結果に。思った以上の頭突きの威力に脚はビリビリと悲鳴を上げ、着地の役には立ちそうもない。グリムロックに視線を残したまま何とか片足と手で着地し、敵の様子を伺った。


 どうやら硬い角は武器と同時に弱点、つまり魔力核を内包する部分でもあったらしく、グリムロックは眼球の無い眼窩と角を押え、もだえ苦しんでいた。


「弱点で攻撃するとは…なかなか豪胆な武者だな」

「なに褒めてんだか」


 俺のつぶやきを離れたところで聞き取るアイレ。両手を挙げて呆れている。


「盗み聞きとは趣味が悪いぞ!」

「遠耳って言うのよ」


 アイレの母であるヴェリーンさんが使っていた”遠耳”。まさかアイレも使えたとはと、この状況で知りたくもない事実を知らされ身震いした。


 返す言葉も無いので、苦しんでいるグリムロックに追撃してやろうと目前にまで迫ると、俺に気付いた敵はその場でゴロンと後転し、距離を取って大口を開け放った。


「魔法もいけるのか!」


 ゴルゴノプスよろしく大口の前に魔力が収縮し、時間差で放たれたのは三発の岩石。どうやら地属性魔法を備える魔物だったようだ。


 一発目と二発目はかわし、三発目はあえて回避せずに両手を突き出す。着弾と同時に腕の伸縮と後方ステップを組み合わせて威力を殺し、瞬間的に強化魔法を爆発させて素手で岩の軌道をずらす事に成功した。


「よし、ダメージは無い。何度もやれば無意識に出来るようになるはず」


 その後もボンボンと撃って来る岩石を、躱し、穿うがち、受け流し、時には蹴り砕いたりしながら、反撃することなくグリムロックの攻撃を受け切った。岩石の発動間隔が徐々に遅れて来たのが、魔力の収縮が間に合わなくなってきたであろうタイミング。


 そろそろ反撃の時間だと、その大口に火球魔法イグ・スフィアを叩き込んでやった。


『ゴッフォォォッ!』


 ズン!


 ブスブスと煙を吐き出しながら尻もちをついたグリムロックに飛び掛かり、舶刀をその角に振るった。


 バキッ!


 角に大きくヒビが入り、頭を抱えてもだえる。片手をブンブンと振り回し、俺の接近を拒むかのようにやたらに暴れるが、風渡りを使って頭上へ跳躍。今度は体術の次に試したかった攻撃を放った。


 まずは火をイメージ。次に夜桜の鍛造過程で見た、朱に染まるまでに熱せられた武器をイメージする。


 すると舶刀の刀身が赤々と熱を帯び始め、手に持つまでに熱を感じ始めた瞬間、舶刀はグリムロックの脳天に深々と突き刺さる。刀身の熱がジュワッと頭蓋を侵し始めたと同時に、グリムロックは断末魔を上げ、黄の魔力核を残して消えていった。


「うむ。上々の成果だ」

「結構おもしろかったわ」


 意外な感想がアイレから漏れる。遊びすぎだの時間掛けすぎだの言われると思っていた俺は拍子抜けした。


「見世物じゃないんだがな」

「岩投げ飛ばすとか笑っちゃった。でも、あの空中で体勢変えて蹴る技術とか、あっさりやってたけど正確に岩の中心を突いて砕くとか簡単じゃない。それに最後の火を火として使うんじゃなくて熱にして使うとかさ。あんなの竜人イグニスでもやってる人見たことない。色々勉強になったわ」


 案外戦いの事になると真面目な一面を見せるアイレ。風人エルフの戦士として見るものがあったと言うならよかったという事にしておこう。


 一応褒めてくれてるみたいだしな。


《 今日のジンもおもしろかったね~。渡して正解だったよ♪ 》


 最近素直になったのはそういうことか…マーナの成長を感じた俺が馬鹿だった。


 マーナの裏切りに溜息をつくが、それを癒してくれる人が居るのは嬉しい限り。コハクがリンと鈴を鳴らし、近くまで寄ってくる。


「じん たのしい?」

「そうだな…楽しいと嬉しい、かな?」

「じん うれしい」



 疲れが一瞬で吹き飛んだ。



 だが…



「すまんみんな。囲まれてる」


「…あんたが時間かけて派手に遊んだせいじゃない!」


 遠視魔法ディヴィジョンに複数の魔力反応が掛かっていた。


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