151話 ラプラタ川の戦いⅢ 嘆きの細剣

 ジンが帝国軍とジオルディーネ軍の決戦地であるラプラタ川を渡り切ってしばらく経った後。


 地人ドワーフで構成される架橋部隊は見事橋を完成させ、完成前に渡河点に跳躍していた隊が築いた橋頭堡きょうとうほとの連結に成功した。


 これにより帝国騎馬隊は続々と川を渡り、ジオルディーネ軍二万の左右から挟撃に成功していた東挟撃軍長ローベルトと西挟撃軍長オスヴィンの勢いをさらに加速させ、帝国軍は多勢を相手に熾烈な白兵戦を繰り広げている。


 前線指揮官であるアスケリノに続いてコーデリアも橋頭堡にたどり着き、共に馬上から戦況を見守っていた。


「報告します! 前線騎馬隊の渡河完了! 続いて重装歩兵隊、歩兵隊、弓隊、魔法師隊の順に渡河に入ります!」

「わかりました。戦線が上がるまで魔法師隊は橋上にて待機。敵の橋への遠距離攻撃に備えておきなさい。渡河のタイミングは追って指示します。同内容と、戦線が安定次第本陣と後方部隊も渡河に入って頂く旨を司令官に伝えなさい」

「はっ!」


 ふーっと息を吐くアスケリノ。気を抜いた訳では無いが最大の難所をくぐり抜け、出せる戦術は全て出した。今は味方を信じて待つ時間である。そして軍の動きを視界に入れながら、側にいるコーデリアへ謝意を示した。


「レイムヘイト様。先程はご叱正しっせい賜り、感謝申し上げます。本来なら私の役目。情けなくも自失しておりました」


「………」


「…レイムヘイト様?」


 アスケリノは傍で固まったまま微動だにせず、自軍の状況を見ているコーデリアに視線をやる。その横顔は動かぬ岩を見ているかのようで、一点を見つめたまま、心ここにあらずといった様子だった。


「…おかしい」


 突然不穏な言葉を発したコーデリア。


 当然、軍神が発した違和感をアスケリノが放置するはずが無い。


「っ!? 申し訳ありません、その問題どうかご教示願えますでしょうか! 今、軍に不利な状況を生む芽は早急に摘む必要があると判断致します!」


「…え?」


 突然大きな声で指示を仰いだアスケリノに、コーデリアはキョトンとした顔を向け、自分の言葉がいらぬ誤解を生んだことを理解した。


「い、いえ。違うのです。大した問題ではありません。いや…これは重大と言えば重大…と、とにかく貴方はよくやっていますし、このままの状況が続けば敵は撤退せざるを得なくなると思います。挟撃軍が寡兵かへいにもかかわらず、思いの外頑張っているようですね」


 早口にその場をつくろったコーデリアに若干眉をひそめるアスケリノだったが、結果が自身と一致しているなら、これ以上の追及も不要だと判断した。


「左様ですか。安心致しました…油断せぬよう努めます」


「ええ、そうして頂戴」


 二人が再度戦局に意識を傾けたその時、本陣より伝令が入る。


「左方で行われていた冒険者と魔人との決戦、本陣に続き最終報告申し上げます」


「終わりましたか…」


 アスケリノが感極まった声で嘆息する。


「はっ。冒険者達は途中風人エルフの姫他二名の参戦のち、九体の魔人を見事撃破。既に戦場を離れられております」


「そうですか。礼を…というのもお門違いなのでしょう。彼らからすれば『依頼を達成したに過ぎない』といったところでしょうか」


「正に、そのように仰っておりました。つきましては『喚水の冠帯アクルトクラウン』リーダーフロール殿より、コーデリア・レイムヘイト・ティズウェル様へご伝言をお預かりしております」


「伺います。ありのままを」


「はっ。『いつか必ずスウィンズウェルに遊びに行きます。その時は絶対お茶しましょう!』と申されておりました」


 ほうっと息を吐き、コーデリアはこの一月程戦場を共にした年の離れた戦友に思いを馳せる。楽しみにしていますとつぶやき、次の報告を促した。


「以上です」


「………」


 失礼致しますと、その場を離れようとする伝令員。コーデリアは慌てて呼び止めた。


「お、お待ちなさい。本当に他の報告は無いのですか?」

「はっ。以上です」

「本当に? いいのですよ。失念した事は不問にします」

「はっ…ほ、他は特に…」

「………」


 ギロリと伝令員を睨みつける。伝令員は焦りながら必死に記憶を辿るが、やはり他に思い当たる節も無く困り果てて恐縮するばかりである。


 ここで、彼女の不満を察したアスケリノが助け舟という止めを刺した。


「ゴホン! 風人エルフの姫と共にしていた冒険者は…どうされましたか?」


「はっ! 先を急がれているご様子で、他の冒険者達に先んじてその場を後にされました。特にご伝言は残されては…っ!?」


 伝令員が最後まで言い切る前にコーデリアは肩を震わせ、周囲に圧を発し始めた。アスケリノを含め周りにいた近衛兵は軍神の方を見る事はできず、只ひたすら背筋を伸ばし感じる圧力に冷汗を流すばかりである。


「分かりました! 持ち場に戻りなさいっ」

「はっ! し、失礼します!」


 気の毒な伝令員を戻らせ、アスケリノは何とかフォローを入れられないかと思考を巡らせるが、正解を導き出す事は出来ず。恐らく今のコーデリアに何を言っても無駄であろうと、静かに目を閉じた。


「ふふっ…そうですか。怪我一つなく魔人を倒したという事ですね? 凄いですねぇ。さすがあの子です…ウフフフ…」


 念仏を唱えているかのような抑揚のない言葉を吐き出しているコーデリア。その声は徐々に小さくなっていき、最後は掻き消えてしまった。


「ううっ…」


(アイレから私が多少の怪我を負ったことは聞いていると思うのですが…少しは心配して一声かけに来てくれてもいいじゃありませんか…急ぎイシュドルに向かわなければならない事は分かっていますし、ここは戦場。再開を喜ぶ場所ではない事は確か。でも、それでも…一目くらいいいじゃありませんか…あっ、いけない。泣いてしまいそうです)


 そばでコーデリアの様子を視界に入れつつ戦況を見守り続けるアスケリノは、彼女の圧力が突然無くなり、悲しみの表情に変わっているのを見るや、途端にその胸中を察した。


(ここまで奥方様を翻弄するとは…王竜殺しドラゴンキラー、恐るべし。奥方様もさぞ会いたかったろうに。ここが戦場でなければ…いや、戦場だからこそまみえる可能性があったと言うべきですか)


 コーデリアはジンに会えなかった事を悲しんだ。しかし、戦場でいらぬ感情に翻弄されている自分に気が付き、恥をそそごうと細剣の柄を握りしめた。


 目を瞑り遠視魔法ディヴィジョンを展開。戦場全体の魔力の流れを注視する。


「アスケリノ」


 肩を落としていたコーデリアに突然名を呼ばれたアスケリノは即座に反応。


「はっ」


「どうやら右奥の敵連隊がくさびとなって左ばかりが押し上げ、それが右の攻めを窮屈にしているようです。私が楔を取り除いてきますので、流れをよく見ておいてください。こちらの反応次第で、一気に敵を崩せる可能性があります」


「なっ!?」


「では、行ってきますね」


 細剣を抜きつつ歩き出したコーデリアに、アスケリノは大いに慌てた。今彼女が言った右奥の敵は未だ接触前。軍が到達していない敵陣に一人で行こうとしているという事だ。アスケリノにも作戦というものがある。近衛兵や渡河中の兵を彼女に付き従わせて、陣形を乱す訳にはいかない。


 そんな危険な所に行かせる訳にいかないと近衛兵共々必死に止めるが、振り向いて彼女が放った言葉と表情に、誰もが固まって動けなくなってしまった。


「さっきはごめんなさい。私はもう、戦場に出てはいけない人間なのかもしれません」


 ―――!?


「そ、そんな…っ」


 足早に去っていくコーデリアの背中に、アスケリノは何も言う事が出来なかった。


 ここで、団長のアスケリノより優れた戦闘力を有するスウィンズウェル騎士団の中隊長オーウェンと、同じくファンデルという女騎士が名乗りを上げた。


「団長。私とファンデルが奥方様と参ります」

「…よいのですか? 死ぬかもしれませんよ?」

「並び立てるのなら、死してなお本望です」


 アスケリノは『個の戦力』という分野において、自身には見えない何かを感じ取っている様子の二人に、コーデリアに付き従う事を許可した。


 許可を得たオーウェンとファンデルは急ぎコーデリアに合流し、僅か三人で敵連隊に突入してゆくという、普通なら自殺行為、作戦とも言えぬ作戦を敢行した。


 三人が接敵すると同時に揺れ動いた敵連隊はコーデリアの予想通り強軍だったが、ほとんど歩を緩めることなく穴を空けてゆく様に、遠目から凝視していたアスケリノは戦慄した。



 ヒュン! シュドッ! バスン!



 大して強化魔法を使用していないにも関わらず、襲い来る敵を一閃で葬り去ってゆくコーデリア。その目はまばたきも無く見開かれ、敵の体重移動から初動を予測。相手の攻撃の軌道があらかじめ分かっているかのような動きを披露する軍神の戦い方に、エリート騎士であるはずのオーウェンとファンデルは到底及ばないと、内心で落胆にも似た感情を抱かざるを得なかった。


「二人共。共に来てくれたお礼です。色々と学んでいきなさい」

「「はっ! ありがたくっ!!」」


「オーウェン。無駄な強化が多いですよ。もっと目に集中しなさい」

「はっ!」


「ファンデル。囲まれた時は、如何に恐怖を植え付けられるかがキモになります。到底敵わないと目の前の敵に思わせれば、その感情は周囲に広がり、敵が勝手に委縮します。そこが勝機です」

「は、はい!」


「二人共、間合いがせばまってきています。上半身ではなく、下半身をもう少し意識して動きなさい」

「「はっ!!」」


「よく鍛えていますね。これからも精進なさい」

「はっ!」

「ありがとうございます!」


 敵を葬りながら二人に鞭撻べんたつを振るうコーデリア。彼女の期待に応えようと必死に剣を振るうオーウェンとファンデルは、当初の落胆にも似た感情は尊敬に代わり、ついには信仰に変わっていった。


 コーデリアが騎士団を退団してから十年以上の月日が流れている。今更騎士への指導など行っているはずもなく、たとえ直接仕えるているとはいえ指導を受け、あまつさえ戦場で自分達と共に剣を振るうなど本来ならあり得ない事なのだ。


 二人は予想だにしない今の状況に打ち震え、その顔には敵陣真っただ中にありながら笑みがこぼれていた。これを狂気と感じ取ったジオルディーネ兵は恐れおののき、さらに動きを鈍らせる。そして動きの鈍った者はこの三人に容赦なく狩られていくという、敵にとっては悪夢のような螺旋が出来上がり、気が付けば三人はくさびとなっていた敵連隊を真っ二つに斬り裂いていた。


 さすがにその頃になるとオーウェンとファンデルは片膝を突くほど疲労していたが、アスケリノの指示で戦線を上げていた帝国軍がすかさずこれに追随。ジオルディーネ軍は大いに陣形を崩され、とうとう退却のドラが鳴り響いた。


 橋頭堡まで押し上げていた司令官ヒューブレストの勝鬨は波の如く前線まで押し寄せ、戦場全体を帝国軍の士気が支配する。


 即座に前線指揮官アスケリノと東挟撃軍長ローベルト、西挟撃軍長オスヴィンを中心とした追撃軍が再編成され、退却するジオルディーネ軍の背を大いに討ち始めた。


 勝利の喜びと安堵、ジンと会えなかったという嘆きの表情を入り混じらせ、コーデリアは静かに細剣レイピアを納刀した。


 ここに、ラプラタ川の戦いは帝国軍の勝利で幕を閉じた。


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