150話 去りゆく烈火

「なんだ…何が起こった…?」


 コーデリアとの戦いにより、命からがらラプラタ川決戦より逃げ延びていたジオルディーネ軍司令官の魔人ベルダイン。魔人達と冒険者達の戦いの隙を見て抜け出したのでその結末は分からない。


 だが、ジオルディーネ王国騎士団長でもある彼は傷を癒し再起を図る為、本軍を配下に任せて一人本営のあるイシスに戻って来ていた。


 ラプラタ川で本軍が負けたとしてもイシスに戻れば獣人の捕虜がいる。これを人質とし、帝国軍にイシスを諦めさせる事が出来る可能性は高い。力ではなく人質を当てにするとは本意ではないが、イシスを奪還されてはこのミトレス戦線は崩壊するも同然なのだ。


 ピレウス戦線の膠着、エリス大公領戦線の撤退により、このミトレス戦線は此度の侵略戦争の最後の砦と言ってもよかった。何が何でも負けるわけにはいかない。帝国の軍神に力の差を見せつけられたベルダインは、その責務を果たさんと唇を噛みしめていた。


 だがイシスに到着した彼が目にしたものは、墜ちたジオルディーネ軍旗と拘束されていたはずの獣人ベスティア達。さらに門前に立ちはだかる帝国兵と竜人イグニスの姿だった。


 どこからどう見てもイシスは陥落している。ベルダインはワナワナと肩を怒らせ、腕輪を地面に叩きつける。


「ぬぁぜ! 帝国兵おまえらがっ! ここに…いるんだぁぁーっ!!」


 ビリビリビリビリ!


 ベルダインの咆哮に空気が揺れる。穴だらけの鎧からは魔人の傷が癒える際に出る白いが立ち、その様を初めてみたペトラ騎士団員と竜人の戦士たちの表情が途端にくもった。


「団長。あやつまさか…」

「間違いねぇなぁ。魔人って奴だろ」


 ヴィスコンティの発した魔人と言う言葉は、実際に彼らの恐ろしさを目の当たりにした獣人ベスティア達をはじめ、騎士団員にも動揺をもたらした。


 ただ一人、竜人の少女を除いて。


「あの鎧の穴は刺突で開けられたんだろうなぁ…大方、姐さんにボコられて前線ほったらかして逃げてきたはいいが、イシスここを取られたのを知ってブチ切れたってとこだろ」


 頬杖をつき、とかく冷静に努めるヴィスコンティだったが内心は全くの逆。


(あんだけ貫かれといて生きてるとか反則でしょ! いきなり人間の魔力じゃなくなったと思ったら湯気みたいなの出してるし完全に魔物だろワケ分かんねぇ! 俺ら全員でかかっても良くて半数、下手すりゃ全滅! 姐さんと冒険者共なにやってんだよぉぉぉっ! 逃がしてんじゃねぇよぉぉぉっ!)


 完全に想定外の魔人の出現に、その思考は混乱と愚痴が渦巻く。


「あ~…みんな。アレはダメだわ。俺一人でやっから絶対に手ぇ出すんじゃねぇぞ。状況見て獣人達逃がすのがお前らの仕事だ。ライネリオ、槍くれぇ」


 ヴィスコンティの焦りは、鎧の下でベットリと纏わりついている汗が証明している。


 騎士団員も団長が発したこれまでで最も真逆の表現に言葉を失った。あのひねくれ者の団長がここまではっきりとと言ったのは初めてかもしれないと。


 ヴィスコンティは副官のライネリオがギリギリと歯を食いしばりながら差し出した槍を手に取り歩みを進める。どれだけ譲っても、ライネリオから見て団長と魔人は相打ちだった。


「ライネリオ、後は頼ん――――」


 ヴィスコンティが最期の言葉を掛けようとしたその時、


「シィが行く」


 シリュウが震えながら懇願した。


「シリュウちゃんまで食い気味にくるのなぁ…でもダメだよ~。アレは俺の獲物だから」


 困惑気味にシリュウを槍でさえぎって進もうとするヴィスコンティに、今度はギダーダルが声を上げた。


「お主に死なれでもしたらワシらの立つ瀬がない。ここは大人しくワシに譲っておけ。シリュウもいかんぞ。確かにヤツは万全では無いように見えるが危険すぎる。命令じゃ、お主は下がっておれ」


「おいおいジッちゃん、立つ瀬が無ぇのはウチらだっての。いいから―――」

「やかましいわぃ。お主若造の分際で―――」



 ドッ



「うっ…」

「シ…リュ…」


「だ、団長!?」

「シィ! お前何を!?」


「騎士のみなさん。みんな。ごめんなさい」


 シリュウはヴィスコンティとギダーダルを不意打ちにより気絶させ、ゆっくりと地面に二人を寝かせて慌てる騎士団と仲間に頭を下げた。そして門外にいる魔人ベルダインを見据えて言う。


「シィは魔人を倒してにぃさまの仇をとる。じゃないとシィはダメなまま。団長さまは頭よくてやさしい。里長はシィたちの長。とてもえらい。でも、」


 真紅の魔力を瞳に湛える。



 ―――ふたりともシィより弱い



 ビキビキと音を立て、先程より深い竜化に入ったシリュウ。手足は徐々に竜のそれに代わり、長く紅い髪はザワザワと背に向かってなびき始め、周囲に炎が弾けては消えていく。皮膚には鱗の様な紋様が浮かび上がり、大きく美しい紅玉の瞳を内包していた目は鋭く吊り上がっていった。


 竜人最強の戦士だったガリュウを彷彿とさせるその姿に同族はもちろん、自分達の上官に手を上げられたにも関わらず、騎士団員達でさえも息を吞んだ。


 深竜化したシリュウは門外へ跳躍、着地と同時に魔人ベルダインに向かって凄まじい速度で突撃する。


「向かって来るなら容赦はせんぞっ! 竜人イグニスのガキがぁっ!!」

「魔人絶対にゆるさないっ!」


 ベルダインの剛剣と、シリュウの爪脚そうきゃくが真っ向ぶつかる。


 ギャゴッ!


(斬れんだと!?)


 振り下ろされた剣の刃を、竜化した足の裏でまともに受け止めたシリュウ。顔色一つ変えずそのまま足裏で剣を巻き込んで地に伏せさせ、目前で大きく口を空けて轟火を吐き出した。


 ボアッ!


「ぐああっ! 火を吹きおるかっ、このトカゲがぁっ!」


 纏わりつく火を何とか散らせて身構えたベルダイン。チリチリとただれた皮膚は必死に再生しようと、更なる白いもやを生み出している。


(これ以上のダメージはまずいっ!)


 焦りから敵を見失った魔人の頭上にあるのはシリュウ。容赦なく炎を纏う脚を振り下ろした。


「やっ!!」


 ドガン!


「ぶほおっ!」


「こんなものか魔人っ! にぃさまがこんな弱い奴に負けるわけがない、本気だせっ!」


 地面に埋まった顔面をボゴッと引っぺがし立ち上がる。


(こ、これほどとは…いや、俺の力が弱まっているのか…魔力のほとんどが治癒に回されて満足に強化できん。しかしっ―――)


「なぁ…なめるなぁっ! 俺はジオルディーネ王国騎士団長ベルダイン! ここでお前のようなガキに負ける訳にはいかんのだ!」


 再度剣を構えて目の前の竜人イグニスの少女に向き直る。


「はあぁぁっ!」

「ぬがあぁぁっ!」


 爪甲そうこう、拳、手刀、蹴撃、果てや頭突きまで駆使し、全身に繋がる武器を存分に振るうシリュウ。全ての攻撃にバンバンと音を立てて爆発が付随し、剣を持って互角の力で迎え撃っているはずのベルダインは、次第に仰け反らざるを得なくなっていった。


 避けるのではなく、全て四肢で撃ち返してくる少女の苛烈な戦いぶりに魔人は恐れを抱き始めていた。


(全く斬撃を恐れぬかっ! ガキのクセに何という性根しょうねだっ! ならば、これはどうだっ!)


「じゃっ!」

「っ!?」


 ベルダインは一瞬剣を引き、鋭い突きを繰り出した。


 これにはさすがのシリュウも受け止めるのは危険と判断したのか、刃を受け止める為に繰り出していた掌底を剣の軌道からずらし、正確に顔面に襲い掛かる刺突を首をかたむけ回避。かすった刃が頬をくが、前傾したままの体勢をベルダインの懐まで潜らせ、剣を持った相手の腕を掴み、釣り手で脇の下を抱えた。


 ブオッ


 ベルダインの世界が回る。


 刹那の浮遊感の次に認識したのは、呼吸を忘れる程の衝撃と、雲がゆきかう空だった。


 ドガッ!


「かはっ…!」


 ガラリと剣を手放し、呼吸もままならないまま霞む視界の中、自身を見下ろす竜人イグニスの少女の視線を全身で受け止める。


「竜人の大戦士、ガリュウを知ってるか」


 冷たく放たれた言葉で、少女の目的が分かろうというもの。ベルダインも力欲しさに魔人となった欲深い人間ではあったが、明滅する身体と黒い霧が晴れゆく脳裏に、せめてもの騎士道が横切った。


「復讐、か…褒美に教えてやる。そのガリュウと言う男…獣人の女王と共に最後まで我が軍に抵抗したが、魔人ニーナが葬ったと聞いている」


「ニーナっ! どこにいる!?」


 鋭い視線で怒気を放ったシリュウを見ることなく、天を仰いだまま遠ざかる意識の中ベルダインはつぶやいた。


「王よ…申し訳、ありま…せん…」


「くっ…」


 最早声が届かなくなっていたベルダイン。シリュウは取り乱すことなく、先程から明らかに強い光を放っている魔人の右脚に拳を振りかざした。


「ここが核。どおりで身体が穴だらけでも死なないはず」


 バギン!


 振り下ろされた拳は魔力核を砕き、魔人ベルダインは同時に消え去った。



(魔人ニーナ。もっと強くなって、絶対シィが殺してやるっ!)



 里長であるギダーダルの命令に反した挙句に暴行、さらには恩義ある帝国騎士を攻撃し、気絶させた。里からの追放は避けられないし、仮に許されたとしても同族に示しがつかない。


 静まり返っているイシスの街に向かって頭を下げ、その場を後にした。



 竜人最強の戦士シリュウ 齢十四 



 この戦いを最後とし、彼女が仲間の元へ戻る事は無かった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る