148話 怠惰な矢

「報告します! 現在イシスより北、ラプラタ川流域にてお味方本軍渡河作戦決行中! 対岸に布陣する敵軍約二万と交戦に入っております!」


「戦況は~?」


「はっ! お味方東西より挟撃に成功したとの報がありましたが、未だ状況は伝わっておりません!」


「はいよぉ」


 この報告を受け取ったのは、帝国一の怠惰な団長として知られるペトラ騎士団長のヴィスコンティ。


 駆ける馬上で報告を受け、今なおダラリと馬の背に身を預けつつ、無茶とも思える本営からの指令にうな垂れている。彼は団長として書類業務、部下の訓練に始まり、他団体との折衝せっしょうや領主とのやり取りも全て隊長や中隊長任せにしている程だ。


 そして当の本人は特に何もしない。各所をうろついては駄弁だべり、ボーっとしていたかと思えばフラッといなくなる。


 帝都の騎士学院の同期であり、旧知の仲であるスウィンズウェル騎士団長のアスケリノなどはあるまじきだと怒り、彼とは徹底的に反りが合わなかったりする。


 何事にもやる気を見せない彼がここにいる理由はただ一つ。帝国軍本営を預かる軍務大臣カーライルの指示があったからだ。


 当初はシブい顔を隠す事なくカーライルに抵抗していたが、陛下の勅命であると言われ、さらに後日、皇帝ウィンザルフから本当に激励の言葉が届いたので馬蹄ばていを正して任務に着いていた。


「いやぁ…さすがに陛下に言われると逃げらんねぇわ」


 馬上でポリポリと頭をき、無精髭の生えたあごに手をやる。右肩に騎士団長のみが着用を許されている、神獣ロードフェニクスの紋章が刻印された騎士団の鎧を着ていなければ、ただの中年の男だ。


 なお、帝国騎士団員にはそれぞれ紋章が与えられる。平団員はロードフェニクスの片翼、中隊長で両翼、隊長で全体が刻印され、団長にのみその象徴である天色あまいろが入れられるという決まりである。


 これは十六年前、スルト村に神獣が降り立ち、聖地と認定された年に採用された紋章である。それまでは帝国旗が刻印され、あしらわれた剣の本数で階級が示されていた。


「それにしても、本当に帝国軍は負けぬのであろうな」

「だーいじょうぶだってジッちゃん。帝国軍ウチら強いから。それに姐さんもいるらしいし、まず負けるこたねぇって」

(こんな物臭ものぐさの言う事を信用してよいものか…)


 地から鳴り響いているかのような声でヴィスコンティに訝しげに声を発したのは、竜人イグニスの長ギダーダル。竜人イグニスの国ドラゴニアをジオルディーネ軍から解放する手助けをした帝国軍の恩義に報いるべく、生き残った竜人イグニスの戦士三十人を引き連れ、この部隊に従っている。


 この三十人の戦士はラクリの日に散った戦士の子や兄弟、成人年齢に届いていないなど、戦場におもむく事を許されなかった者達である。言うなればドラゴニアに残る最後の戦士達と言っても過言ではなく、その為に長であるギダーダルはこの一見頼りない騎士団長の事が不安でならない。


 如何に恩義に報いるためとはいえ、自身はともかく、将来ドラゴニアを背負っていく戦士達をここで失う訳にはいかないのだ。


「どうかご心配無きよう、ギダーダル様。確かに団長は帝国一の怠惰な騎士ではありますが、配下をことに関しては帝国随一です」


 この隊の副官であるライネリオがギダーダルの最も不安に思う所を払拭しようと言上ごんじょうする。


「死なさぬのぉ。面倒な言い回しをしおる。とにかく、我らが三十でそちらが百。たしかイシスの守備隊は五百人だったかの? 我らの力を持ってすれば五百人、何とかやってやれん事は無い。だが川で戦こうておる二万が戻ってきた日にはどうにもならん」


「まぁ、なんとかなるって~。そん時はウチの本軍も一緒に上がってくるだろうさ」

「むぅ、それはそうかもしれんが…」

「ていうかジッちゃんさぁ、ずっとウチらと同じ速さで走ってっけど、疲れないワケ?」


 そう、この会話は駆けながら行われている。ペトラ騎士団選りすぐりの騎士百人は馬上で、竜人イグニス三十人は皆走っているのだ。老齢に差し掛かっているギダーダルでさえ息一つ切らせていない。


「なぜ疲れる。まだそう走っておらん。これでもお主らに合わせておるのだ。シリュウ、はやるなよ」


「わかっています」


 先程から先導する騎馬のすぐ後ろを走り、後ろから聞こえた言葉に背中越しに返すのは竜人最強の戦士だったガリュウの妹、シリュウ。一家から一人しか戦場に赴いてはならないという掟から、ラクリの日に参戦出来なかったという経緯がある。


 兄が死に、更には百人の竜人の戦士が殺されたと聞いた彼女は失意の中涙に暮れ、そんな中で数千ものドラゴニア侵略軍に国中を追い立てられていた。


 通常、竜人は戦場で友、さらには肉親が死んだとしても、悲しみはすれ泣く事などない。戦死は栄誉だからだ。だが、未だ齢十四と若すぎる少女には重すぎた。帝国軍の助けにより侵略軍は引けたものの、彼女の仇討ちは終わらない。


 業火ごうかを胸に抱き、その瞳には真紅の魔力が揺らめいている。


 ギダーダルの言葉通り、竜人三十人は無言で闘志を燃やし、皆苦も無く騎馬と並走している。


「はは…これは誰も死なせずに済むかもなぁ」


 ヴィスコンティが嘆息を漏らすと、森が切れ、平原の彼方に獣王国ラクリの首都イシスの街がその目に入る。


「あ~あ、慌てて壁作っちゃってよ。でもあれじゃ無いのと変わらんなぁ」

「報告では…」

「それは今言わなくていいって」

「はっ、申し訳ありません」


 ヴィスコンティが遮った言葉は『獣人が壁の建設に駆り出されている』という報告だ。副官のライネリオは確認のため申し出ようとしたが、側にいる竜人達に聞かれては彼らが今以上に燃え上がってしまう可能性がある。


(今じゃないんだよなぁ…激情は力にはなるが、無茶もすんだよ。そんなの怪我増えるだけだわ)


 副官の報告を遮るとヴィスコンティは思考を切り替え、事前に聞いている街の造り、兵力、目の前の外観と地形を頭の中で巡らせ、次々と戦術を組み立ててゆく。


 

 これも悪し

 二十人死ぬ 悪し

 万が一が五つ 悪し

 これは…時間かかるダルい 悪し


 こう…こう…ここでこう…ふむ 良し


「時間ねーしこれでいくわぁ」

「なんの事だ」

「作戦に決まってんでしょーが」

「今考えたのかっ!?」

「そりゃあね。現場見ないと分からんでしょ、いろいろ」


 唖然とするギダーダルをよそに、ヴィスコンティは何の気なく返答する。


「はい~。ここから歩いて行こうか。ジッちゃん、ライネリオ」

「はっ! 全隊停止して下馬! 行軍に入る!」

「なっ、歩くのか!? …仕方あるまい。みな止まれっ!」


 だが一人、この停止命令に瞳を燃え上がらせながら反抗した。


「里長、ここは一気に攻め込むべき! この男やる気ない、信用するのよくない! 人間相手シィひとりで」


「シリュウ!」

「―――っつ!」

「我らの使命を述べて見よ」


 ギダーダルの迫力により興奮から強引に引き戻されたシリュウは、しまったという表情をしながら答える。


「て…帝国の恩義にむくい、イシスを…解放すること、です…」

「その通りだ。団長殿への暴言の罰としてお主は最後尾で控えろ。戦闘を禁ずる」

「ふぐっ! はぃ゛…団長さま…申しわけ、ありませんでした…」


 ヴィスコンティに頭を下げ、半ベソでトボトボと後ろに下がってゆくシリュウに、他の竜人達は何も言わない。誰もが当然の罰だという思いがあるのと同時に、実はホッと胸を撫で下ろしていた。


「すまない団長殿。まだ幼く、気性の激しい子でな。ワシからも謝罪させてくれ」

「いいっていいって。ちゃんと言わなかった俺も悪いよ。あの子が次なんだな?」

「ああ、そうだ。あの子の兄ガリュウ亡き今、次の長に相応しいのはあのシリュウなのだ。竜人の未来はあの子に託されている」

「なるほどね。だから他の戦士たちは死なれでもしたら困るし、ホッとしてるんだなぁ?」


 ヴィスコンティにあっけなく見抜かれた竜人達は、視線を受けて素知らぬ顔をするので精一杯。


「でもさ、悪いけどあの子の力も俺の作戦の内なんだわ。ここは一つ、俺に免じて減刑してやっちゃもらえんだろうか?」


 この言葉につい顔を上げてしまったシリュウ。ギロリとギダーダルに睨まれ、慌てて目を伏せた。


「…わかったわぃ。ならば戦闘は許可する。だが最後尾にはいるんじゃ」


「は、はい!」


「すまんな、身内に口出しちまって。おーし、みんな。死なねー程度に気合いれて、落ち着いて行こうか。指示はちゃんと聞いてくれよ~?」


「はっ!」


 イシスまで残り五百メートル。ヴィスコンティ率いる百三十人の帝国騎士、竜人の混成部隊が行軍を開始した。


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